やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画「マグニフィセント・セブン」 感想

真の主役は谷間


映画『マグニフィセント・セブン』を見てきました。公式サイト↓
www.magnificent7.jp
公開してまだそんな経っていないのに私の近所の(といっても車で1時間半かかる)映画館では朝イチと深夜の2回しか上映していなかったので、早起きして見に行きました。ちょうど『相棒』公開初日だったので映画館は混んでいましたが、本作は私を含めて8人しかお客はいませんでした。そりゃこんな上映時間・回数にされちゃうわ。


本作は、言うまでもなく『七人の侍』『荒野の七人』のリメイクです。一応本作を見る前にどちらも予習してきました。
で、本作を見終わっての感想は
七人の侍>荒野の七人>マグニフィセント・セブン
です。


お話は古典中の古典。悪い奴がいて、苦しめられる人がいて、それを助ける人がいる。勧善懲悪でありチームものであり活劇である。
その王道を分かりやすく見せるために、オープニングでの悪徳実業家ボーグの悪行三昧。何と分かりやすい「こいつが悪者!」表現。清々しい。


そしてお次はこの悪者を倒してくれる勇者探し。ここが私の残念ポイント。
まず、村の総意で勇者を探すことになったというくだりがない。中盤で村に7人が来たときの対応も「勇者様待っていました歓迎です感」がない。
また、集まる勇者たちの動機が不明瞭。特にリーダーであるチザムは過去2作にあった「義を見てせざるは勇無きなり」の部分が見えなかったです。まあ、見えなかったというか実際の動機は違うものでしたから仕方ないのか。その他のメンバーも、義でもお金でもいいのですが、もう少し動機が明確だとよかったなー。


仲間になる7人は、人種が様々ということもあり、過去2作に比べてキャラ立ちしていましたね。
①チザム(デンゼル・ワシントン):リーダー
②ファラデー(クリス・プラット):明るい、モテ男、手品上手い
③グッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク):南北戦争PTSD負っています
④ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフリオ):熊のような大男
⑤ビリー・ロックス(イ・ビョンホン):ナイフの達人
⑥ヴァスケス(マヌエル・ルルシア=ルルフォ):メキシコ人
⑦レッド・ハーベスト(マーティン・センズメアー):ネイティブ・アメリカン


村に着いて村人と仲良くなったり防御法を練ったりするのも何だかあっさりしていましたね。まあ、『七人の侍』がこの辺をしっかり描けたのは207分という反則な上映時間があったからですが。


そしていよいよ戦闘開始!
村は、爆薬も弾薬もいっぱい持っているのか。結構豊かな村なのね。本作は困窮の村ではなく金の採掘所のある村ですからね。
と、序盤は物量作戦で戦いを優位に進めた村人勢ですが、途中でガトリング砲炸裂!おお、これは見た目にも分かりやすい強力な武器。これでロビショーもビリーも命を落とします。最期はかっこつけさせてやりたかったなあ。
ジャックは、矢が何本刺さってもなかなか死なない大男っぷりを見せてくれました。まるで『北斗の拳』の山のフドウです。
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そしてファラデーは銃撃を何発も撃たれてもなかなか死なない準主役っぷりを見せてくれました。『太陽にほえろ』のジーパンです。
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どちらも素晴らしい死にざまでしたが、メインキャラは何回かやられないと死なないというのはずるいな。こういうお話なのでいいけど。


そしていよいよラスボスボーグに対するのはもちろんリーダーチザム。何とここでチザムはボーグに対する私怨があったことを告白。えー、義ではなく、個人的な復讐なのかよー!この物語の根本がぐらつく動機でした。
いや、私怨も十分な動機なのでいいのですが、それなら最初に言ってよ。もしくは義を全面に出さず、私怨を少し匂わすとかさ。
ボーグ一味を倒したら即撤収。あっさりしているな!
ラストの『荒野の七人』のテーマソングは熱くなったけど、それは本作の手柄じゃない。


というわけで、動機の部分が弱くてそこがイマイチでした。もっと村が困らないと、もっと村の窮乏に発奮しないと、もっと村は勇者を待ち焦がれていないと、せっかく悪役を分かりやすく仕立てたのにそれに対抗するベクトルが弱くなっちゃう。
とはいえ、そんなけなすような出来でもないです。まあまあ面白くて少しケチつけたいところもあって、という感想なのでなかなか書きにくい。


銃撃戦も素晴らしかったですが、本作のMVPはヘイリー・ベネットです!
オープニングから怯えながらもおっぱいはしっかり主張。その後も常に谷間とふくらみの存在感は健在で、「戦うならスカートではなくズボンを履きな」とは言われても「谷間を隠せ」とは言われない。だってみんなが望んでいるから。
ついでに、本作はどの町でも娼婦がいて、セクシーな女性が多くいたのですが、ここは今回の監督アントワーン・フークアのこだわりなのかな?


絶賛でも酷評でもなく、リメイクの意義もよく分からず、書きにくいなーと思っていたけど2,000字超えたのでこの辺でおしまいにします。



七人の侍 [Blu-ray]

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三船敏郎の菊千代役の存在が欲しかったな。愛されキャラで勇者も村人も結び付ける存在。

今の世の中を窮屈に感じるのは私たちが「前の世代」だからなのか

消え去るのみ


最近、世の中が窮屈になっていると感じませんか?不倫は重大な悪事だし19歳がお酒飲んだり17歳とお付き合いをすると大ニュースだし線路で写真を撮ると書類送検と涙の会見まで必要だし。
でもこれは、みんながそう望むから叩かれるし話題になるわけですよね。


世の中は、よくなっているのか。
私は楽観主義者なので昨日より今日の方がいい世界になっていると思っています。世界中の人が「より便利に」「より快適に」と思って様々な製品やサービスを開発していきました。今、スマホのない生活なんて考えられない。動画を見ることができるとか電話もメールもできるとかもそうですが、電車の乗り換えとか分からないことをすぐ調べることができるようになったとか、本当になくてはならないツールです。
もちろんスマホに限らず、ITの発展は世の中を飛躍的に便利にしてくれました。問題やデメリットもありますが、メリットの方が何倍も大きい。IT革命は、本当に私たちの社会や生活を変革しました。


殺人事件も交通事故の死者も減っています。みんなが大好き『三丁目の夕日』の頃がいちばん治安悪かった時代です。
www.jicobengo.com
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h28kou_haku/pdf/zenbun/h27-1-1-1-2.pdf
www.pepsinogen.blog
togetter.com
worldgoodnews.net
そして、マナーやモラルもよくなっています。タバコの吸い殻も道路のゴミも、昔と比べれば激減しています。おっさんがそこらじゅうで痰を吐いたり立小便をしたりする姿もめったに見なくなりました。セクハラ・パワハラなどの職場環境も改善されています。


もちろんブラック企業クレーマーなど、問題もたくさんあります。それでも、トータルではよい社会になってきていると私は思うのです。
世の中はよくなっています。ただ、昔と同じ価値観のおっさんが今の価値観に対応できていないので「今は窮屈だ」とごねるのです。


翻って、自分はどうだろう。世の中はよくなっていると思いながら、窮屈だとも思っています。
外で立小便をするおっさんや卑猥な言葉を女性に投げかけるおっさんは不要だし、まだそんなことをしている人がいたら眉をひそめます。今はそういう人がほとんどいなくなってよかったと思っています。
しかし、冒頭に書いたような最近の世の中の流れには窮屈だと感じています。
これは、自分にとって都合のいいことは「いい社会になった」と思い、自分の価値観にそぐわないことは「窮屈な社会になった」と思っているからではないでしょうか。


冒頭に書いたようなことは、あくまで私の観測範囲ですが、若い世代が支持している感じがします。
なので、今後こういう流れはもっと進んでいき、社会はより潔癖で完璧を求めるようになるのではないでしょうか。
それは、過ごしやすい環境なのでしょうか。息苦しい環境なのでしょうか。私は後者だと思うのですが、これからの若い世代は前者と感じ、その方向に進むのかもしれません。


これからの社会にとって、私は外で立小便をするおっさんという立ち位置になるのかもしれません。「前の世代」の人間は新しい世代についていけないため、今の世の中が窮屈に感じるのでしょう。自分は今、ルールを作る立場にいないのだ。


老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
マッカーサーの言葉を書いても若い子には通じないんだろうなー。


老兵は死なず ダグラス・マッカーサーの生涯。

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  • 作者: ジェフリー・ペレット,林義勝,寺澤由紀子,金澤宏明,武井望,藤田怜史
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映画「シング・ストリート未来へのうた」 感想

才能ありすぎ、上手くいきすぎ


映画『シング・ストリート未来へのうた』を見ました。公式サイト↓
gaga.ne.jp
公開時も評判は上々で見に行きたかったのですが、私の地元では上映してくれず、ブルーレイでの鑑賞。


感想ですが、私ははまりませんでした。
なぜだろう。他の人の感想を見ても絶賛ばかり。なぜ私は乗り切れないのだ。思い当たる理由は「主人公の行動原理」と「音楽の出来」です。


主人公コナーは、赤いほっぺの高校1年生。内気な性格で転校早々からかいの洗礼を受けます。分かる。こういう物語の主人公として、いるいる。
そんな彼が音楽を通じて成長していく物語なのですが、その最初の一歩目が理解できません。
高校の前に立っているきれいなお姉さん。きれいだな、お近づきになりたいな、声かけたいな。分かる。「でもできない」まで含めて、分かる。
しかしコナーは「きれいなお姉さん発見→すぐさま近づき声かける」という離れ業を演じるのです。えー、そんなことできる奴だったの!そんな性格描写じゃなかったのに。
もうね、ここです。ここに納得ができなかったので、映画全体に乗り切れませんでした。


すぐに初対面の女性に声をかけられる男であればそういう風に描いてほしいし、内気な高校生であれば初対面の女性に声かけるなんて一大事なわけですから、そこには相当大きな勇気とか偶然とかを設定しないと、納得ができないのです。
もともと内気な彼が「思わず」声をかけた、でもいいのですが、それであれば、自分の意思と無関係に足が彼女に向かったとか、何かしら「自分でもびっくりの勇気」が必要なのでは。


そしてバンドを組むことになるのですが、「楽器何でも演奏できる人だった」「黒人だから誘ったら鍵盤弾ける人だった」「メンバー募集ですぐに上手いドラムとベースが来た」と、上手くいきすぎ。コナー自身も「ノープランだったからとりあえずボーカルにしたら歌が上手かった」というチート設定。
そして作ったオリジナル曲がすげーいい曲。メロディも歌詞も演奏もアレンジも、バンド組み立ての出来ではない!
音楽映画なので扱う曲が名曲なのはいいのですが、最初くらいは「演奏ガタガタ、でもバンド楽しい」という段階から始めるべきでは。


最初いじめられっ子、いじられっ子だったコナーは、音楽にのめり込んでいくにつれて、だんだんイケイケになります。ついにはいじめっ子に対し「お前は壊すだけで何も生み出していない」なんてカッコいいことを言うのです。それはカッコいいけど、そこに至る経緯をもう少し見せてほしかったです。最初髪の毛染めたりメイクして登校したらクラスメイトにいじられるはず。そこでどう対処したのか。学校内のヒエラルキースクールカーストをどうひっくり返したのか、その変化を知りたい。
バンドをやっているから学内のヒエラルキーが上昇するのであれば、撮ったMVが評判になるとかギグ(この作品では「ライブ」ではなく「ギグ」という)が評判になるとか、何かがないと学校での立ち位置は変わらないと思うのですが。
そして途中からコナーはアイデア出まくり、仕切りもできまくり、ついにはいじめっ子をローディーとして仲間に引き入れる。すげー有能じゃん。15歳の仕事とは思えない。


学際での演奏、最初のギグであんなに上手くいくかなあ。冷やかしもありましたが、全体としては盛り上がっていました。あんなに上手くいくかなあ。高校生が初めて人前で演奏するんだから、緊張して間違えたりするんじゃない?いきなり箱バンレベルで演奏できていいのか。そしてあんなに盛り上がっていいのか。


彼氏に騙されたラフィーナはロンドンから失意の帰郷。そりゃコネもあてもない状態でロンドンに行っても上手くいくわけがない。
なのに、ラストで二人でロンドンに向かうなんて。君たちもコネもあてもないでしょ。住むところだって仕事だって。しかも15歳と16歳ですよ。あまりに無謀でしょ。なぜ前者は「そりゃ無理だ、騙された」なのに後者は「夢に向かって頑張れ」になるのか。
コナーのバンドの音源を兄が密かにレコード会社に送っていてそれが認められて呼ばれたとか、何かロンドンに行っても何とかなるかも、という可能性がないと単なるバカップルに見えてしまいます。


ついでにいうと、あんなに厳しい校長先生なのにあんなに学校が乱れているなんてことある?とか音楽の趣味が変わるごとにコナーの服装や髪形も変わるのですが、そんなお金ないはずでしょ?とかも思いました。


というわけで、あまり乗れませんでした。全体的なリアリティのなさ。
高校時代なんて恋に夢中になるけどかっこよく恋愛できるわけじゃないし、バンドだって初期衝動と実際の演奏には大きなかい離があるし、演奏やパフォーマンスも理想と現実のギャップがあるものですが、この作品はそれらすべてが上手くいっている。そんなー。


いいシーンもあります。二人でキスした後クッキーを食べ、またすぐキスしたいコナーと「まだ口の中にクッキー残っているから」とちょっと待たせるラフィーナ。「もういい?」と催促・確認して再びキス。分かるぞ。キスしたいもんな。
両親が喧嘩している最中、きょうだい3人でレコードをかけて踊る場面。このクソみたいな現実を忘れさせてくれるのは音楽だけなんだ。
兄が「まともになる」と宣言したことに対し「今さら?」と失礼な言葉を発するコナー。そこで「俺が兄として道筋をつけてきたんだ。お前たちはその後を歩いてきただけだ」と怒る場面。お兄さんは基本ずっと穏やかでコナーの味方でした。その彼が怒るシーンなのですが、感情的にキレるわけではなく、感情を抑えながらコナーに語る場面はとてもよかった。いい兄貴ですな。
ラストでコナーがロンドンに向けて出発したのを喜んでいるのも、自分もこの町を出たかったのに叶わなかったことを弟が実行してくれたことを喜んでいるのです。自由な弟を素直に祝福できる兄貴、ステキです。
そして何より、曲がいい。80年代の名曲はもちろん、オリジナル曲も名曲ぞろい!


この作品は青春映画でありつつ音楽映画でもあるので、音楽も重要。80年代の音楽がふんだんに使われているのですが、私の音楽遍歴の中ではこの時代の洋楽が抜けていて知らない曲が多かったのも乗れなかった原因のひとつです。知っている曲ばかりだったらもっとノリノリで見ることができたはず。


うーむ、なぜこんなに世間とギャップのある感想なのだ。私の感性はおかしいのか。


<追記>
上で「青春映画でありつつ音楽映画」と書きましたが、これは「青春恋愛映画」なのではないか、と思いました。音楽はコナーの恋愛にとってのツール(手段・道具)。そう思えば少しは納得。


シング・ストリート 未来へのうた [DVD]

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シング・ストリート 未来へのうた

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2017年はCreepy Nutsの年、か?

未来予想図は


Creepy Nutsの新作『助演男優賞』が出ました。いいタイトル!
前作『たりないふたり』はとてもよく、当時こういうエントリを書きました。↓
ese.hatenablog.com
フリースタイルダンジョン』での圧倒的な強さと、音源でも素晴らしいリリックとフロウ。これは2016年の台風の目になるぞ、と思っていたのですが、MCバトル界隈でしか風は起こりませんでした。もっと音楽番組に呼ばれると思ったのに。ヒゲでむさいから?太ってきたから?DJが童貞だから?くそう、日本語HIPHOPがメインストリームになるのはもう諦めました。


そんな世間をひっくり返すために、新作が届きました。
今作は5曲がひとつのストーリーになっているように構成されています。主役になれない主人公はドンキにもサブカルにもなれず、自分では何も行動しないくせにネットで上から目線、しかしそんなことをしても何もならず自分に絶望する。そして再び立ち上がる未来予想図へと。


分かります。理解します。曲それぞれはいい曲です。
しかし、何だか重く・暗い印象の残るミニアルバムでした。今回は5曲しかないのに3曲が重くゆったり目のトラックとリリックなので、ミニアルバム全体が重く・暗い印象になっています。
もしこれが10曲入りのアルバムであればまた違う印象だったかも。配置や割合は大事。
なので、このアルバムを以って「2017年はCreepy Nutsの年になる」とは言えません。


それでは、1曲ずつ感想を書きます。
1.助演男優賞
https://www.youtube.com/watch?v=Pia9RTHgGhYwww.youtube.com
オフィシャルのMVがなぜかアカウント停止されているので別の方がアップしているものを載せました。これもすぐ消えるかも。
2016年の芸能界の話題が詰め込まれているMVが素晴らしい。映像が面白すぎてリリックの内容が頭に入ってこない。
これはリード曲として素晴らしい。サビも2段構えだしMVでは簡単なサビの振りもある。ちゃんとポップやマスを考えて作られている!
個人的には「田岡が見逃した不安要素」
f:id:ese19731107:20170204210900j:plain
と、「明るい未来?暗い未来? 俺が森山なら後者 モテキなんて来る訳ねぇじゃん 各駅停車 苦役列車 Let's Go」の部分が好きです。
スラムダンク』の田岡監督という人選!そして森山未來の名前と彼の主演作を使って自分の現状を表現。上手い。


2.どっち
ドン・キホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちの居場所は無かった だけどそれで良かった」パンチラインいただきました!
ヤンキー・体育会系とおしゃれサブカルのことをこんなに上手く言い当てる言葉があったとは。
これ、分かるわー。私はもちろんヤンキー・体育会系ではくサブカルクソ野郎ですが、かといってヴィレバンにもはまらない。これはヴィレバンが「おしゃれサブカル」だったからなのですね!ものすごく腑に落ちた。
ドンキの「LDH、泣き歌コンピ」、ヴィレバンの「Yogee New Wavesの100番煎じ」も上手い!安易とおしゃれのみのセレクト。


3.教祖誕生
ネットで有名人などを叩いているうちに祭り上げられて、いつしか「鏡に映ったそのツラは あの日俺が大嫌いだった神様気取りのソレでした」になってしまうというストーリー。
このストーリー自体は上手いしよいと思うのですが、ずーっとマイナスの言葉が続いて「ソレでした」の後がないので、何だか気分が落ちたままで終わってしまうのです。
ミニアルバム全体としてこの後の2曲につながっていくのだと思いますが、この曲単体だとちょっとツラい。


4.朝焼け
これも自分を責める曲。ツラいよー。


5.未来予想図
https://www.youtube.com/watch?v=GPB6BNVC04Uwww.youtube.com
フリースタイルダンジョン』ブームのその後を描いた曲。主人公はラストで「世間が愛想尽かしても(略)また一から肩肘張らず(略)その全てを書き起こそう」と決意するのですが、この上がる部分が少ない、というか遅い。
この曲単体でも「ブームが終わって落ち目」の部分から「でもやろう」までが長い。そして「やるぞ」の部分が弱いので、聴いている私は上がりきらないまま終わる印象です。
さらにこの曲はこのミニアルバム全体をひっくり返して力強く肯定する役目もあるのですが、そこまで描けていない感じがしました。


このミニアルバム全体の重い印象は、上に書いたようにテンポがゆっくり目だから、というのが理由の一つだと思っていますが、もうひとつは「R-指定のリリックがリアルすぎるから」というのもあると思います。
その通りなんだもん、えぐるなよ、ポップに聴けないよ、と思ってしまうのです。前作の『中学12年生』『たりないふたり』はまだ「イケてないあるある」で笑えましたが、今回はリアルでシリアスだから笑えない。
しかし、ということは、今後R-指定がポジティブで前向きなリリックを書いた場合は、これまた刺さるリリックになると確信しています。もちろんそのときは『夢は必ず叶うから』なんていうクソダサい表現でないことも分かっています。


R-指定は、というかCreepy Nutsの二人は「たりないふたり」なので、どこにも属せない居場所のなさやルサンチマンの捌け口がこういう「心の闇」として曲に出てくるのだと思っています。そして彼らは自分たちでもそれを自覚しており、それを自分たちの武器だと理解してこのラップシーン、音楽シーンをサヴァイブしていくつもりだと思うのですが、たぶん自分たちで思っている以上に彼らの心の闇は深く、つい無意識でペンが奥深くまで進んでしまうのではないでしょうか。
でも、それでいいと思っています。オードリー若林さんだって南海キャンディーズ山里さんだってそういう人でしたが、現在は社会的にも芸能界的にも慣れと安定により、バランスがよくなった気がします。若林さんのエッセイを読んでもそう思います。でもやっぱり根底は「たりないふたり」。
なので、彼らもこのままでいいのです。そのうちいいバランスになると思っています。それまではこの危うさも含めて愛してあげましょう。


それにしても、ラップブームの真っただ中でCreepy Nutsとしても重要なこの時期にこんなヘビーでシリアスな曲多めのミニアルバムでいいのか。売る側としては間違っている。もっとポップでイケイケなアルバムの方が売る側としては正しい。
でもこういう曲を作らなければいけない、こういう気持ちがこぼれ出てしまう彼らは信頼できます。10年後も彼らの音楽を聴き続けている予感がする。私が10年後ライブに行ける体力があるかは分からん。


10年後、Creepy Nutsの時代になっているかも。そんな未来予想図。


ついでにいらん心配するけど、Creepy Nutsはこういう自省ものの曲が多いのですが、まだ持ち曲が少ない現在、ライブでの曲の置き所が難しそう。これは今度ライブで確認してきます。


それでは、過去2枚に入っていない彼らの曲を貼っておしまいにします。
www.youtube.com
↑こういうテーマの曲にこの映像はヤバい!ルサンチマンが溢れ出す。また『桐島』見たくなっちゃう。
https://www.youtube.com/watch?v=ge0PyOPXzrYwww.youtube.com
↑これも『未来予想図』的なテーマの曲ですが、こっちの方がグッとくる。ライブだから?


助演男優賞

助演男優賞

セカンドオピニオン

セカンドオピニオン

R-指定のソロアルバムも全体的にはシリアスなトーンです。

映画「紙の月」 感想

共感はしないが、理解はする


映画『紙の月』を見ました。公式サイト↓
v.ponycanyon.co.jp
原作は未読です。あまりこういうタイプの作品は見ないのですが、評判がいいのと『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督だったので見てみました。


素晴らしかった。


不倫も横領も一切賛同も共感もしないので主人公に同化して感情移入するわけではなく、不倫も横領もいつばれるのか、いつ破たんするのかにドキドキしながら見ていました。


原作は未読で角田光代さんの作品自体読んだことないのですが、セリフや人間関係の描写に「さすが作家」「さすが女性」と思いながら見ていました。
何となくのセクハラ、何となくの男尊女卑、何となくの女性の武器のちらつかせ、何となくの若い女の重用、夫との意思の疎通の不具合などなど。男性は無意識で気づかないことも女性目線ではしっかりキャッチして描き出します。


横領という「犯罪」に手を染める過程の描写も上手い。クレジットカードを持っていない事前説明、デパートで買い物をしようとしたら現金が足りない、一品減らしてもまだ足らない、もっと減らしてなんて恥ずかしくて言えない、カバンの中には顧客から預かったお金がある、一瞬借りるだけ、後でお金おろして帳尻合わせればいい。
ここではお金をおろして事なきを得ますが、その後不倫相手の借金の話、その祖父からの電話でタガが外れます。
さらに夫の海外赴任、同僚の甘いささやき、認知症の顧客によってどんどん坂道を下っていきます。
上手い。自分がその状況で悪事に手を染めるかと問われれば「染めない」ですが、転げていく状況は十分理解できます。


宮沢りえ演じる梅澤梨花池松壮亮演じる平林光太の出会いからベッドインまでが性急に感じたのですが、これはいいの?恋に落ちるってこういうこと?
一度始まってしまえばもう止まらない。夫と違って自分にとって「正解」の対応をしてくれる若い男の子。そりゃはまるわ。
この辺、ずっと「アカーン!」と心の中で叫びながら見ていました。


ラストで走って逃走する梨花には度肝を抜かれましたが、走るその姿は何だか楽しそうで生き生きしていて、手をたたいて笑ってしまいました。あっぱれ!って感じ。
そして本当のラストで東南アジアに逃亡する梨花ですが、そんなこと可能?警察はまさかそこまですると思っていなかったので空港には手配回さなかったのかな。
個人的には銀行から逃走するシーンでエンド、でよかったと思うのですが、原作も東南アジアの場面あるのね。


主人公が犯罪を犯す作品は、義賊であったり巨悪を懲らしめるためであったり、見ている私たちも何かしら応援できる動機があるものですが、この作品は一切ない。不倫して、その相手のために横領する。何も同情できない。
なのに、「こんな悪い奴早く滅びよ」とは思わないのが不思議。いつか破たんするのは分かっているのに不倫も横領もやめられない梨花には「やばいって!もうダメだって!」という、応援とはまた違う忠告のような感情で見ていました。ドリフの「志村後ろ!」的な感じ。


本作は、役者の皆さんが全員素晴らしい。完全に「その人」でした。
宮沢りえ
女優は皆さん美しいわけですが、映画だと「この作品世界ではこの人はどの程度の美人レベルとしてこの世界に存在しているのか」が気になってしまいます。
見ている最初は「地味な奥さん」かと思いましたが、この作品世界では「地味だけど美人な奥さん」なのですね。おとなしいたたずまいと不倫中の輝いている表情のコントラストがよかったです。あまり自我がない感じでありながら芯に強いものを持っている感じもいい。
学生時代のエピソードから、もともと彼女はこういう気質なんでしょうね。「与える自分が好き」。
池松壮亮
かわいくて色気のある若手No.1ですな。一目見ただけであんなに惚れるもんかな、と思いましたが、その後のヒモ気質や若い女を連れ込むダメンズ気質を見るにつけ、女性に対する嗅覚は鋭いのでしょう。
大島優子
これは、そのまま大島優子に見えてしまうので、演技が上手いのかどうか分からない。
梨花を堕落させる悪のささやき役。『キッズリターン』のモロ師岡みたい。
田辺誠一
女心が分からない夫。いや、分からないというか、世間の男はあんなもんです。時計もらった直後に時計プレゼントするとかはさすがに無神経だなと思いましたが。
いい夫でもダメな夫でもない、普通の夫。であれば、もう少しイケメン度合いが低い俳優でもよかったかな、と思います。
小林聡美
さばさば自然体おばさんではなく、今回はお局役。上手い。銀行の職場にいなければならない重石の役どころ。
道徳・倫理観は厳しいだろうに、梨花に対してあまり非難しないのは、どこかに梨花に対するうらやましさがあるからか。
近藤芳正
銀行の次長。小さいプライドと、自然にふるまおうとして周りにバレている男尊女卑。上手い。銀行の小役人感。
石橋蓮司
怖くてエロい。石橋蓮司だなあ!と思いながら見ていました。しかしラストはエロ親父ではなくいい人でした。


Wikipediaを読んだら、結構原作と違うのですね。原作は他人から見た梨花で、映画は梨花自身が動く。視点の違い。
また、映画独自のキャラクターもいるのね。原作も読んだ人はこの映画に対してどういう感想なのか知りたいです。
あと、Wikipediaには原作のいいセリフがいくつか紹介されていたので、これを映画で見たかったなーとも思いました。


不倫はともかく、横領は普通の人はしません。この物語はその悪魔のささやきを上手く描いていて納得できるお話の筋運びになっていますが、それでも普通の人はそのささやきに乗らないでしょう。やはり、梨花はもともとそういう人だったのだと思うのです。
少女時代のシーンで、海外に寄付をした相手からの感謝の手紙がうれしくて自分は続けていたのにだんだん友達は寄付をしなくなっていく。そこで自分は父親の財布から5万円を抜き出し、ひとりでクラス全体の寄付を行おうとする、というエピソードがあります。
広く薄く、自分の無理のないようにというのが寄付の前提であり、その行為をひけらかすのも恥ずべき行為とシスターに教わったのに、「寄付をする→相手から感謝される」がうれしくてその前提を壊してしまう梨花
与えるのがうれしいのではなく、やはり見返りが欲しいのです。夫に時計をプレゼントするのも感謝が欲しいからです。不倫相手に貢いでしまうのも愛情という見返りが欲しいからです。
そんな梨花だからこそ、一線を踏み越えてしまうのです。そしてラストも反省や後悔よりも「自由」を選ぶのです。
映画の中では常に受動態な表情で「何となくこうなっちゃった」感じがしますが、その芯は一線を越える側の人間なのでしょう。


大島優子演じる相川は梨花の悪魔部分であり、小林聡美演じる隅は梨花の天使部分という見立てもできます。
悪魔のささやきに転んでしまい、天使の忠告には耳を貸さず、ラストには「あなたも来る?」と悪魔のささやきをする梨花。もちろん隅は付いていかないわけですが、これまで徹夜すらしたことのない隅にとっては若干うらやましく思っていたかもしれません。


作家ならではの細かい目線や言葉遣い。それをきちんと映像とセリフに織り込んだ監督。素晴らしい作品でした。


紙の月 (ハルキ文庫)

紙の月 (ハルキ文庫)