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「間抜けの構造」ビートたけし 感想

たけしの時代に生まれるか、松本の時代に生まれるか


1973年生まれの私にとって、ビートたけしというのはちょっと上の世代にあたります。そしてダウンタウンが直撃の世代です。
「全員集合」→「ひょうきん族」→「みなさんのおかげです(保毛尾田保毛男や仮面ノリダーの頃)」→「夢で逢えたら」→「ガキ使・ごっつ」という流れでバラエティー番組を見てきました。「元気が出るテレビ」ももちろん見ていて、「こんな○○はイヤだ」は大好きでしたし、大仏魂や8月のペンギンなどは子ども心ながら信じていたくらいです。
それでもビートたけしというのは、欽ちゃん・ドリフと同じく子どもの頃のタレントであり、自分が物心ついてから「芸人」として意識したのはダウンタウンが最初でした。


もう芸人としては「あがり」で、その存在自体をありがたがられている立場です。そんなたけしさんが、「間」について書いた本作。


芸人にとって「間」が大切なのは言うまでもありませんが、本書ではそれ以外にも政治家の失言、落語、テレビ、討論、スポーツ、映画、人生、そしてビートたけしの「間」について書かれています。
その中でも「なるほど」と思ったのが、「息継ぎの‘間’」についての部分。

‘間’が悪い人というのは、話をしている途中で息を吸っちゃう。息継ぎが下手なの。(中略)
「原子力発電というもののリスクというのは政府が思っているよりも安全じゃなくてそれを信用するというのがそもそもの、(‘スーッ’と息を吸う)間違いなわけであって」なんていうことになる。息継ぎがスムーズじゃないと、話している内容が頭に入ってこないから損をする。

(討論の)上手い人は、相手が呼吸するタイミングで入ってくるよね。(中略)ある人が「僕はね、そういうことはね、」と言って息を吸った瞬間に、「いやあ、だけどさ」と入ってこられると、「ウッ」となって、話を取られる。そうやって相手がしゃべるのをつぶす。

なるほど。「間」というのは「トークを上手く聞かせる技術」だけではなく、「会話を上手く進める技術」でもあるんですね。それが討論となれば主導権を握れる。


確かに人としゃべっていてもうまくリズムが合わないときがあります。こういうのは、話の内容そのものよりも、お互いの「間」が違うからギクシャクしてしまうんですね。


映画についての項では、さらに熱い。

映画は、‘間’で決まる。これはもう完全にそう。

編集でどこを何コマ切り取るのか、構図はどうするのか、セリフでなく映像でいかに簡潔に語るか。これは漫才で培った「間」の感覚的な部分と、数学が好きなたけしさんらしい理性的な部分が両方活かされていますね。技術的な部分も分かっているからできることで、ここが松本人志との差でもあります。
※ちなみに松本人志の撮る映画は、「映画」というくくりで見るから駄作になるのだし、「映画」にしようとするから駄作になるのだと思っています。松本さんの頭の中の「発想」をそのまま映像化して、それをパッケージングすればいいのに。映画という「物語」を作らせるべきではないのでは。話がそれるのでここまで。


最終章ではたけしさんの人生を「間」というキーワードで語っています。
大学を中退してフラフラとしていた若者時代、浅草でストリップ劇場から一躍スターに駆け上がるツービート時代、フライデー襲撃事件とバイク事故での謹慎と療養時期。それぞれ狙って起きた出来事ではありませんが、この「間」が結果的にはビートたけしにはプラスに働いていますね。
そういえば、千原ジュニアがSPA!の連載でたけしさんについて書いていた文章があります。

ビートたけしというのは、芸人として唯一、ニュース速報で3回も名前が流れた人なんです。1回目はフライデー襲撃事件、2回目はあのバイク事故、3回目は映画「HABA-BI」でのヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。こんな芸人他にいませんよ。そして4回目のニュース速報になることも決まっているんです。それはたけしさんが亡くなった時です。


本書では「時代の‘間’」についても書かれています。
長嶋さんも王さんも、裕次郎さんもひばりさんも、野球や芸能がいちばん輝いていた時代だったからスターになれた。当然、彼らスターがいたからこそその分野が輝いた、という面もありますが。
サッカーなんて今は海外にも行けるいい時代ですが、釜本さんの時代にはJリーグすらもない。才能があっても評価や報酬は見合ったものではありませんでした。立川談志さんも、あれだけの才能がありながら、当時は落語は時代の傍流だったため、正当な評価を受けることがありませんでした。
そう思うと、マンザイブームのときに出てこられたツービートはラッキーだったともいえるでしょう。ダウンタウンは自分で時代を作っていったと思っているのですが、私の贔屓目でしょうか。


そして、この「時代の‘間’」は、見ている私たちにとってもその違いは大きいものがあります。
冒頭にも書きましたが、私はダウンタウン直撃世代なので、たけしさんはちょっと古いイメージがあります。松本人志ビートたけしを(実質)お笑いから撤退させたとさえ思っています。
しかし、たけしさんがテレビでしてきたことを振り返ってみると、改めてすごいことをやってきた人だというのは理解できます。もし私があと5年早く生まれていたらたけし信者になっていたでしょうから、これは「たけしと松本どっちがすごい」という比較論ではなく、ましてや「たけしを信奉している奴は古くて松本信者の方が笑いを分かっている」という話でもありません。時代の「間」の話です。

記録メモ
「欽ドン」1975年~1980年、81年~83年
欽どこ」1976年~1986年
「8時だョ!全員集合」1969年~1985年
オレたちひょうきん族」1981年~1989年
元気が出るテレビ」1985年~1996年
「みなさんのおかげです」1988年~
夢で逢えたら」1989年~1991年
「ガキの使い」1989年~
ごっつええ感じ」1991年~1997年


間抜けの構造 (新潮新書)

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