やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「あの頃の音楽」って今じゃないのね

俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!(富澤 一誠) - 個人 - Yahoo!ニュース
青春時代を彷徨い続けるオジサンが大人の音楽を騙るなんて、ちゃんちゃらおかしい - シロクマの屑籠
ぜんぜん「自分らしく」ないじゃん - 24時間残念営業


いろいろ読みました。
この話題の発端は一番上のリンクの富澤さんのエントリなのですが、こういう「あの頃の音楽は良かった」「今の音楽はクソだ」という話題には付き合いません。だってこういう話題は「今どきの若いもんは」と同じで、30年前も30年後も絶対にある話だもの。
昔はいい曲が多かったわけではなく、今の時代になってあの時代を振り返るとクソな曲が歴史からも記憶からも淘汰されていい曲しか残っていないからそう思うだけであって。
あと30年たてば現在のクソ曲も歴史の中では消えていくのでいい曲しか残らない。そうしたら30年後には「あの頃は」って言うから。
そしてフォーク・ニューミュージック黎明期に衝撃を受けた今の大人(富澤さんの言葉を借りれば<Age Free世代>というらしいですw)と同じようにアイドルやボカロに衝撃を受ける若者だっているわけで。


私がいつもこういう話題で疑問なのは、なぜ時代や世代で区切るのかな、ということです。
「この曲を聴くとあの思い出が蘇る」「あの頃、よくこの曲聴きながら○○してたなあ」という話をよく聞きますが、その曲、その時にしか聴いてないの?と思うのです。
私自身が日々の記憶は過去5年分くらいしか持っていないというのもありますが、曲と出来事がリンクされて覚えている、ということがほとんど無いのです。
全く無い訳ではありません。尾崎豊長渕剛を聴くと中高生の頃のサムい思い出が蘇ってきますが、同じ頃に聴いていた岡村靖幸ではそうはなりません。
なぜか。
尾崎や長渕は現在は積極的に聴くことはないので、「尾崎=自分の中高生時代」と記憶がパッケージされているのですが、岡村ちゃんは今でもヘビーローテーションなので、全く「あの頃」とリンクしません。「あの頃」と「今」は、その音楽を聴くことについてはイコールだから。


現在、音楽を聴いていないから「あの頃の音楽=あの頃の自分」になるのではないでしょうか。


音楽の素晴らしさは「この曲を聴くといつでも14歳に戻れる」ことでもあるし、「14歳から聴いていいるのにまだフレッシュな気持ちで聴ける」ことだと思うのです。
それなのに、ある年齢や時代でその音楽を聴かなくなると「この曲を聴くと14歳の頃を思い出す」になり、「14歳の頃はよかったな」になるのでは。
まあ、ほとんどの人にとって音楽はファッションの一部なので、その時代によって聴くものも着るものも変わるのはしょうがないのですが、なんか残念。
とはいえ、同世代の友達は「俺のカーステなんて毎日プリキュアだよ」という現実もあるわけで、ずっと「自分の音楽」だけを追っていられないのも分かります。


でも、ずっと音楽を聴いていると、いいことあるんですよ。
岡村ちゃんの「家庭教師」は今日も素晴らしいし、桑田佳祐は今また自己最高を更新し続けています。HIPHOPに出会ってライムスターを聴いていると、40歳過ぎたラッパーが最高傑作を生み出す歴史にも立ち会えるのです。紆余曲折あったドラゴンアッシュと共に生きていると「ROCK BAND」という曲で泣けるのです。
OKAMOTO'Sは若いのにロックの「芯」を食っている感じがするし、UNCHAIN山下達郎のようなソウルを感じることがあります。そういう若手からも、様々な影響から歴史を感じることがありますし、でもRADWIMPSのようにいきなり新世代が現れた衝撃を受けることもあります。
全て、今聴いているから、今まで聴いてきたから味わえる音楽の楽しさです。


なので、「あの頃は」なんて言っていないでもっと音楽聴きましょうよ。「我々の世代」なんて関係ないじゃん。今、自分が何を聴くか。これだけでしょ。