やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

ドラマ&映画「SP」 感想

テレビドラマの映画化禁止


私、普段全くテレビドラマを見ません。
前回見たのは「流星の絆」、その前は「木更津キャッツアイ」。こんなレベルです。
なので、この「SP」も評判は良いようなのですが全て見る気力がなく、ずっと今までスルーしていました。
本当今更ですがテレビシリーズから特番、そして劇場版2作を立て続けに見たので感想を書きます。


テレビドラマと映画は「説明量」が全く違いますね。
この作品も映画クオリティで、という意気込みのもと始まったようですが、それでも説明セリフが多い。確かにテレビドラマは映画と違って集中せず見ている人が多いので、そんなながら族でも理解できるようにセリフで説明するのはしょうがないのですが、しばらくはその「テレビドラマのルール」になかなか馴染めませんでした。
あと、真木よう子の鼻筋にも。手を加えすぎはよくないよ。


テレビドラマの世界にも慣れてきた頃、ドラマ全体の世界に違和感を感じだしました。
テロリストの伸び伸びぶり(銃は簡単に手に入るよ。狙撃も簡単にできるよ)や井上(岡田准一君)チームの無双ぶり(屈強なテロリストもすぐ気絶させるよ)など。
まあそれもドラマだし、ということで気にしないようにしていたのですが、ドラマ版ラストの総理大臣襲撃事件に至っていよいよ我慢ならなくなりました。
この世界は井上チームしか警察はいないのかな?仮にも一国の総理が命を狙われているのに、誰も助けにも守りにも捕まえにも来ませんけど。
そしてラストで尾形(堤真一)の「大義のためだ」というセリフ。さらにうっすらと出ている「続く」のテロップ。こんな卑怯な最終回でいいんですか?本当の結末が知りたいなら劇場へ来てね、って大人は汚いな!


憤慨しながらも劇場版1作目「野望篇」。
これ、アクションやりたいだけの映画でしたね。内容はほとんど無し。
イントロダクションのアクションが長い。もっとまとめるか別のシーンと分けるかすればよかったのに。
私はアクション映画には脚本の妙は求めないのですが、それでも最低限のルールや設定がないと、そのアクションの必然性が感じられなくなります。
今作の場合は「井上を殉職という形で殺せ」という設定ですが、それは銃で撃てばすぐ終わるのになぜか敵は撃ちません。目の前でも遠くからの狙撃でも。
そしてここでもこの世界には警察は井上チームのみ。それどころか生きている人間も彼らだけ?あんなにドンパチやっても誰も出てきません。街は静かな夜のまま。


「革命前夜」挟んでいよいよラストの「革命篇」。
こっちは内容ありました。もうちょっと「野望篇」とバランスとって作ればいいのに。この2話のボリューム、3:7くらいのバランスですよ。
と途中まで期待していた革命篇ですが、国会を制圧してからまたおかしくなってきました。井上チームの無双ぶりはさらにパワーアップし、説得のみで銃を取り上げる説法パワーも身につけます。
そしてまた誰も助けにも守りにも捕まえにも来ません。
尾形は総理大臣に罪を認めさせますが、銃を突きつけて「罪を認めろ」って単なる脅迫だろ。それでいいの?
それでも尾形は満足で革命終了。結局尾形は総理に罪を認めさせることだけが目的なの?大義って何?
あと、尾形が書いた井上宛の手紙も、結局内容は全く不明のまま。謎解きや告白や遺言が書かれていると思ったのに。じゃああんなに意味ありげに何度も登場させるなよ。


やっぱり、テレビドラマの映画化は良くない。
テレビドラマの世界を映画でやるだけなので、映画である意味がない。2時間ドラマの特番でいいじゃない。
まあ、普段映画を見ない人を劇場に引っ張るのだからこれくらいあざとく分かりやすい、考える余白があまりない作品になるのもしょうがないのですが、それでもこれを「映画です」とは言いにくいなあ。
これも「世界の亀山モデル」。



SP THE MOTION PICTURE 野望篇 予告編 - YouTube


「SP 革命篇」劇場予告編 - YouTube