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松本人志最新作「R100」発表!

一度好きになった人を嫌いになるのは難しい(西原理恵子


松本人志の映画監督最新作「R100」の完成が発表されました。公開は10月。
公式サイト→映画『R100』公式サイト
このティーザー予告編では、まだどんな映画か全く分かりませんね。


松本人志の映画です。映画監督としての松本人志です。さて、どう考えるべきか。


私は、年齢的にダウンタウン直撃世代です。すごく恵まれた時代に生きてきたと思っています。その分、いろいろな部分で排他的になったりシニカルになったりもしました。
そんな影響やトラウマやPTSDや三つ子の魂百までの季節を過ぎても、まだ松本人志は私の中で大きな存在です。なので、映画についても客観的な批評はできません。


今までの3作、全て劇場で見てきました。面白そうだから見るのではなく、松本人志の作品だから見るのです。見終わっても、「面白かった!」と両手(もろて)を挙げて絶賛できる作品はありませんでした。客観的に見れば駄作だったでしょう。
それでも、松本人志の作品であれば私はまた見に行きます。


とここまで私の偏ったスタンスを書き、ここから少し冷静に松本映画について私の思うことを書きます。
まず、松本さんは映画監督ではないのです。頭の中にある発想を表現する場が、テレビにはないので、たまたま映画館で上映されているから映画監督とされているのです。
松本さんは「発想」の人なので、「物語」が作れません。なので、2時間もある「映画」の世界ではうまく才能が発揮できないのです。適材適所。


大日本人」は途中まではとても良かったのに、最後で破壊してしまいました。あれはあれでいいのですが、一般的な評価を考えれば、最後きれいに着地しておいた方が良かったのでは。


「しんぼる」は海外を意識してベタな笑いに固執した結果、肝心のお笑いが面白くない。ラストも宗教的な描写になったので、却って海外では反発もあったようです。レスラーのエピソードもフリにしては長すぎたし、オチが面白くない。あれをやるならレスラー以外にもフリをたくさん作っておき、ラストでどんどん落としていけばいいのに。


さや侍」は、野見さんのリアクションで笑わせる構造ですが、「緊張と緩和」が逆では?
「笑ってはいけない」という緊張を強いられていると、少しのことで笑ってしまう(=ガキの使いの「笑ってはいけない」シリーズ)。逆にくだらない空気感の中で無茶をやらせる緊張により、笑ってしまう(=「働くおっさん劇場」)。
リラックスの中に緊張を生じさせ、それを緩和してやる。これが笑いの基本構造です。
(そのための「フリ」「ボケ」「ツッコミ」です)
それがこの映画では「笑わない若君を笑わせろ」という縛りです。まず「笑わせろ」という縛りがあり、そのために「笑わせる」ことを頑張る野見さん。しかし、そもそも野見さんは笑いのプロではありません。あくまで素人なので、何かさせられて「笑われる」のが上手い人なのです。そんな素人が「笑わせる」ために必死になっても、こちらは笑えません。
笑いの基本構造からすると、逆になってしまっているのです。


ではどうすればよいのか。
松本さんは発想の人で物語が作れないんだから、何章かの短編にすればいいのです。そしてそれを最終章で大団円にまとめる。こうすれば発想を無理やり2時間に薄く伸ばす必要もないし、最後でまとまればカタルシスもある。
いかがでしょうか。
ってもう出来ちゃっているのでもう遅いのですが。


多分今回も世間では叩かれるでしょう。興行収入もそんなにはいかないでしょう。
既に金も名声もある松本人志からすれば、こんなリスキーなことはしなくてもいいのです。ずっとテレビの中で君臨してもいいのです。なのに、敢えてまた作品を作るのです。
偉いじゃないですか。
だからといって平伏する必要はありません。劇場にお金を払って見に行く人は大いに好きな感想を言いましょう。


結局冷静には書けませんでした。
今回も期待はしていません。完成発表会の俳優さんのコメントを読んでも期待はしぼむばかりです。
でも、私は劇場に行って見てきます。そして「やっぱり」と感想をこのブログに書くのでしょう。