読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「態度が悪くてすみません」 内田樹 感想

書籍

内田樹の本を読みました。
毎回同じ感想が出ます。「頭のいい人の文章を読むのは面白い」。私の頭の中に何となくもやもやとしているものを言葉として、理路として書いてくれる。読んでいて頭がぱかーっと開く感じです。


というわけで今作ですが、これは雑誌などの依頼を受けて書いた文章なので、同じテーマでずっと書いているわけではありません。
「依頼を受ける→自分ではそんなこと考えたことなかったな→考える→書いてみる→思いがけないところに着地」という流れなので、項目によっては「結局何が言いたいんだよ」という文章になっているし、その場の思いつきの文章なので、こじつけや屁理屈に思えるような文章も多かったです。
というわけで、いつもの内田先生の本を読みたかった私としてはちょっと物足りなかった本でした。


とはいえ内田先生ですので、パンチラインはいくつもあるのです。いくつかご紹介。

「文脈を読む」とは(中略)いわば現在を「交響曲のある楽節のある楽音」のようなものとして聴くことである。交響曲の楽音はそれを単独に取り出しても意味を持たない。それはそこまでの楽音全体の記憶と、これから展開するであろう楽想への期待の中に置かれてはじめて意味を持つ。

むしゃくしゃするので殺人を犯す人。確かにその行為によって「むしゃくしゃ」は解消したかもしれないが、その後の逮捕・勾留・裁判・服役などの「不快」を考えれば全くそろばんが合わない。それでもこんな事件を犯す人は「文脈を読む」能力が欠如しているのです。

アメリカは「老齢」を迎えた。(中略)最近のアメリカの外交を見ていると、おのずから醸し出される威厳に人々が服するというより、すぐに「オレを誰だと思ってるんだ!」と怒鳴り出すので、それがうるさいから人々がしぶしぶ「はいはい」と言うことを聞いているような印象がする。

この文章はあとがきでも出典不明となっていますが、「イラク侵攻を実行することでもあれば」という文章があるので、2003年以前の文章でしょう。そう考えると、その先見の明には唸らざるを得ません。
しかし、現在はTPPや超巨大企業により、再びアメリカの力が強まっているのも感じます。ただし、それは威厳や尊敬ではなく、力の強いものがルールをなぎ倒して勝っていくという荒くれ者の姿に私には見えます。各国の事情があるからこその関税なのに、「自由化!」「平等!」の掛け声のもと、階級別の競技を無差別級のみにしていく動き。そうなっちゃったら、体のでかい奴が勝つよな。

名前がついたときにモノは存在し始めるのだ。

私もそう思います。「援助交際」はそれまでは「売春」でしかなかったのに、「エンコー」の言葉が与えられることで何だかポップなものになってしまいました。「ブルセラ」も「ニート」も、その言葉が与えられるまでは存在すらしていなかったのに、言葉が与えられると、そこに存在のスポットライトが当てられる。
同じように「万引き」も「窃盗」も刑法上は同じなのに、「万引き」は罪の雰囲気が低い。その「名前」でそのモノ・事象は意味や価値を持ち始めるのです。
なので、新聞もテレビも「暴走族」という呼称を止めて「珍走団」にすれば、彼らは激減すると思うのですが。


こういう文章を読んで、自分のぼんやりとした意識に言葉を与えてもらうこと、自分の価値観を再確認すること(内田先生とはいえ、全ての言説に賛同するわけではありません)などは、たまにやっておくべき作業だと思うのです。
世間や世界で起きていること、それを報道するマスコミの論調、ネットでの意見、様々な情報が溢れる中で、自分はどう思うか。どう考えるか。
意見はぶれても変わってもいいと思っているのですが、外からの情報のみではなく、自分の考えとしてどう思うのか。そういう訓練の一つになる文章であり、大事な方です。


内田樹のエントリ↓
「街場の現代思想」 内田樹 感想 - やりやすいことから少しずつ

最近読んだ本 一言感想 - やりやすいことから少しずつ

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」内田樹 感想 - やりやすいことから少しずつ


態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)