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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

パンチライン続々!「サワコの朝」 ゲスト:ビートたけし

サワコの朝」が100回記念ということで、何とビートたけしがゲストで出演されました!その中でのたけしさんの発言がいちいち名言だったので、いくつか書き起こしします。
たけしさんの発言は過去のインタビューや本などで知っていることも多かったですが、やはり本人の口から語られるというのが大事。


母の話。

俺ねえ、自分で言うのもアレだけど、異常なマザコンで。北野サキさんという人がいて(その存在が大きかった)。遠足みんなで行くのに母ちゃん俺の隣に座っちゃって。
だから、彼女とか、かみさんも入ってるけど、みんな同じタイプ。彼女でありお母さんなの。


浅草時代の話。

あの時代はね、売れなくても「浅草の芸人」で死ねばいい、っていうロマンがあったの。浅草っていう街自体が芸人を支えていた時代があって、煮込み屋さんなんかでも「金がない」って言うと前のお客が「飲みな飲みな」って座らせてくれるの。

今でも2か月に一度は顔を出しているそうです。顔を出さないと「あの野郎、売れたら来ねえ」と言われるから(笑)。
その店は、今でも若手芸人からはお金を取らないそうです。「タケちゃんからもらうから」と勝手に。なので、たけしさんは浅草に行くたびに何十万も置いていかなければならないそうです。「もう、やんなっちゃうよ」と笑顔でぼやいていました。


事件・事故の話。

結局、イラつくんじゃないですかね。売れても「この先どうするんだろう」って落ち込むことしか出てこなくて。「白紙に戻す」みたいなとこがあって。
でも、いいバチだと思っていて。節目節目にバチが当たるから。
事故の原因は、結構映画にあって。自分が「いい」と思った映画がまるっきり評価されない。そうなると、自分の感覚が悪いんだってことになって、結構自虐的になっちゃって、わーっとなったら事故っちゃって。
でも後になって考えると、そこまで自分を犠牲にする必要はない。浅草の原点に戻って、やりたいことをやって、それが評価されようとされまいと、しょうがないじゃない。そこから自分が芸人生活を始めたのに、何でちょっと売れたからってそれを守ろうなんて図々しいことになったんだ、っていうことを思って、あとは野となれ山となれですよ。

と達観したかに思いますが、

バイク事故の後はなるたけメディアの記事を読まないようにしてるんだけど、自然に耳に入ってくるでしょ。「たけしは終わった」とかさ、散々書かれるわけじゃない。それがちょっとショックで、ムカッとくることもあったよね。で、そういうことを言われると「じゃあやったろうか」ってなるよね。

実際、映画の評価が高まったのは事故後ですもんね。


今の個性尊重の世の中について。

自分しか持ってない個性とか、誰にでも特別な才能があるんだとか、あれウソだよね。ない奴はないもん。
でも、「なくてもいい」っていう教育した方がいいと思うよ。

そうですよね。9割の人は特別な才能なんかない。「オンリーワン」は「個々の個性・才能」ではなく、「特別ではないことの自覚」から始まるものです。

「生きがい」なんて、死ぬ前に「ああ、これが生きがいだったんだ」って気づいたっていいわけでさ、そんな若いときに生きがい見つけてどうすんだ。その子が挫折したらどうすんのって。それが全てじゃないんで、それで「夢破れた」と思わずに、「他に何かないかな」でいいんじゃない。


「校則」と「自由」の話。

不良は、「いかに俺が不良か」っていうのを見せたがるんで、持ち物検査なんて徹底的にすればいいの。それでもこのナイフを持ち込む俺、で済むわけ。ところが、自由にしたらナイフ持っていても気づかれないから、今度そいつは刺さなきゃいけなくなっちゃう。そうしないと「すごいな」にならないから。
何でも「自由」って言ったって、子どもには何が自由かなんて分かんないんだから。

決まりがあるから逸脱がある。抑圧があるからそれに反抗する「自由」を手にしたくなる。何もなければそのラインが分からない。狂気のボケをできる人は、常識を知っているからそこからの距離を測ることができる。


「品性」は、の話。

学校教育で、もう一回基本的な作法をやれば、年上の人に対する口の利き方も電車の乗り方も、コンビニ前でたむろとかもなくなるんで、もう一回作法をやり直すべきだと思うよ。その中から文化が現れたりするんだから。何もないのに「文化、文化」って言ったって、基本を知らないのに出来るわけないんだから。

作法とは「型」から始まります。それでどんな利益が、効果が、対価が、という消費者的な考え方は教育には馴染みません。「この先に何があるか分からないけど学んでみたら結果的に身についていた」というのが教育ですから。この辺は内田樹の受け売りですが。


ネット社会の話。

インターネットを中心とした社会が、奴隷化していると思うよ。
ネットの中で喧嘩したりしているのは、狭い鶏小屋の中で頭を突っつきあっているような気がしてしょうがない。それで卵だけ持っていかれているような気がする。

いい例えだ!
ネットで自分の評判を検索することはしないというたけしさん。それでも世間の評価は聞こえてくるものですが、それに対しても落ち込むことはないそうです。

それ(悪口を含めた意見)は、視聴者の権利だから。俺たちはそれが職業だから、「お前何も分かってない」なんて応戦はしない。

松本人志にはできない技量だ。今は松本さん大人になったから変わったのかな?


自分の感覚が古くなっていると感じたとき。

漫才で、40ちょっとのとき、アドリブがぱっと出ないとき「あ、終わった」と思った。30代では相手が言った返しが、お笑いとして一番的確な言葉がぱっと出たんだけど、(40代になってからは)「えーっと」ってやっちゃうの。その言葉が何だか分かってるんだけど、出てこない。

そう思って、どうしたか。

漫才辞めて、ラジオをやったり、アドリブの少ないコントをやったり。
だから俺、早いんですよ。漫才のピークのときに、自分でも「あ、今ピークだな」って感じるときがあるんだよ。で、ここでもう「終わった」って思うから。そこでそこから下まで降りるまでの間に「違うはしご見つけなきゃ」っていう。こっちにラジオのはしごがあったから飛び移ってまた登る。


引退について。

自分はお客の前で芸をやって上がってきた男なんで、自分で辞めようとは思わない。誰が決断をするのかっていうと、引退はお客が決めることで、お客さんが「たけしもう見たくない」ってなれば自然に視聴率もなくなるでしょ、誰も見なくなるでしょ、そしたら辞めていく。


最後に、今の子どもたちに一言。

今生きていることに感謝すればいいんだ。生きていることが全てです。いずれみんな死ぬけど、生きている間にいかに生きるかだけを考えろ。そうすると、マヌケなことをしている暇はないでしょ。

お言葉、ありがとうございます!
しかしこの後

言ってる私がマヌケなことしてるのがちょっと辛いですね。

と照れも含めて落としてくださいました。


私は世代的にビートたけしよりちょっと下で、ダウンタウン直撃世代です。なので、漫才ブームの人たちは「倒すべき旧世代」であって、たけしさんのすごさは知りながらもあまり熱心なファンではありませんでした。それが、年齢を重ねるにつれてたけし伝説をあちこちで目にするようになり、もう一度ビートたけしの凄さを後追いで学習している感じです。
いい「無茶な年の取り方」と「死にざま」を今から期待する人はそういません。年取れば取るほど「無茶なジジイ」としての振り幅ひろがるからね。松本信者の私でも晩年の松本人志を見たいとは思いませんが、たけしさんは見たい!
※とはいえ、「元気が出るテレビ」は夢中で見ていました。振り返ると、現在のバラエティのフォーマットを作った番組ですよね。


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