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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「㈱貧困大国アメリカ」 堤未果 感想(その2)

本の感想なのにまとめられず、その2まで続いてしまいました。
前回のエントリ↓
「㈱貧困大国アメリカ」 堤未果 感想(その1) - やりやすいことから少しずつ

切り売りされる公共サービス

本書ではデトロイトの「公共」における危機的状況が描かれていますが、その後2013年7月に本当に破綻してしまいました。「今のアメリカでは氷山の一角だ」と書かれていたのはまさに本当のことなのです。
このように市や州の財政が悪化し、公共にお金をかけられなくなるとどうなるか。
教育部門では公立校は潰され、「チャータースクール=営利学校」に替わっていきました。その結果、授業料を払えない家庭の子どもたちは路上にあふれ、教育格差をさらに拡大させました。この施策で恩恵を受けたのは

教育ビジネスで利益を得た投資家と大企業、それにSNAP(前エントリ参照)拡大で売り上げが伸びた大型スーパーとファストフードチェーン、SNAPカード手数料が入る大銀行だけですね。

教育を受ける主人公であるはずの子どもとその家庭には何もプラスのことは起きなかったのです。
では、なぜこんな横暴とも言える施策が実施されるのか。それには「危機管理人」の存在があります。
危機管理人とは、財政難に苦しむ自治体に代わって、選挙ではなく州知事が任命した人物に、財政の健全化の指揮権を与える法律です。

管理人は債務を減らしバランスシートを調整する目的で、自治体の資産売却、労働組合との労使契約の無効化、公務員の解雇、公共サービスの民営化などを、一切の民意を問うことなく行使する権限を持つ。

その影響は、教育だけに留まりません。動物園、美術館、公園、図書館などの廃止。消防や警察も廃止され、隣の町からそのサービスを借りるようになりました。
確かに財政の健全化は必要ですが、バランスシート上の数字を整えることが目的となると、このような極端なやり方と結果になってしまいます。しかし、危機管理人は数字さえ元に戻せば、称賛されることはあっても非難されることはありません。「公共」が元に戻らなくなったとしても。

今のアメリカは、貧困人口が過去最大であると同時に、企業の収益率も史上最高なのです。

政治とマスコミも買ってしまえ

「正当防衛法」。身の危険を感じたら、公共の場でも殺傷能力のある武器使用が認められる。場所が自宅や車内であれば傷害致死でも逮捕はされず、正当防衛かどうかの立証責任も被害者のみに義務付けられる

自身の身を守るためという触れ込みで成立したこの法律は、フロリダ州では法律導入後の銃による殺人件数は3倍に跳ね上がりました。
確かに、普通に考えればそうなりますよね。では、なぜこんな法律が可決されたのか。そこにはNRA(全米ライフル協会)の存在がありました。絶大な資金力と影響力により、この法律の成立に大きく関わっていたのです。
そして、同じ内容の法律はフロリダ州以外の32州でも導入されているのです。なぜ州ごとの法律である州法が、違う州で同じ内容で成立するのか。それにはALEC(米国立法交流評議会)という存在がありました。
ALECは、法律を作る前段で、官民(政治家と企業)が協力して検討するための機関です。「協力して検討」という建前ですが、実際は議員の年会費は年1万円なのに対し、企業は年80万円~250万円、これに寄付金が加わります。さらに評議会での議員のホテル代や食費なども全てALEC持ちです。これで健全で対等な議論ができるでしょうか。
この評議会でまとめられた草案が各州の法律の草案となり、可決されていくのです。企業は法律を可決させるためにロビー活動をするだけではなく、その前段から政治家を取り込んでいるのです。


このような状況は国民には知らされることはありません。マスコミが報じないから。マスコミもCM、スポンサーという形で抱え込まれており、企業に不利な報道はほとんどされません。

民放テレビは全てコマーシャルを収入源とする5大テレビネットワークに支配され、そのCM代理店もまた、数社が支配する構図になった。これはつまり、大手広告代理店を押さえられる資金力を持つ上位「1%」が、アメリカ国内の世論を操作できる力を手に入れたことになる。


2010年1月、「企業による選挙広告費の制限は言論の自由に反する」という違憲判決が出され、企業献金の上限が事実上撤廃されたのです。

アメリカ国民にとっての選択肢は、大金持ちに買われた小さい政府か、大金持ちに買われた大きい政府か、という二者択一になりました。


エピローグではネットを使った対抗策がいくつか紹介されていますが、この大きな力に対抗できるとは思えません。
あとがきで筆者は現在の社会についてこのように表現しています。

いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)に他ならない。

グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を越えて拡大するようになった。価格競争の中で効率化が進み、株主、経営者、仕入先、生産者、販売先、労働力、特許、消費者、税金対策用本社機能に至るまで、あらゆるものが多国籍化されてゆく。流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。その結果、無国籍化した顔のない「1%」とその他「99%」という二極化が、いま世界中に広がっているのだ。

巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は(中略)政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引き換えに、企業向けの法改正で「障害」と取り除いてゆく。


恐ろしい。本書で描かれたアメリカの現実は、数年後の私たちかもしれません。「グローバリズム」というお題目の元、多国籍企業やTPPなどの国内法を超える力により、国単位でも太刀打ちできない状況になりつつあります。
このような状況で私たちができることは何があるでしょうか。ネットを使ってつぶやいたり声を上げること?デモを起こすこと?選挙に行って清廉潔白な政治家を選ぶこと?
何だか、どれもとても小さな力に思えてしまいます。ネットでの声がどれほどの大きさになるのか。デモを起こしてもマスコミが報じてくれなければ「無いこと」になってしまいます。私たちが選んだ政治家はいつまでも清廉潔白でい続けるでしょうか。清濁併せ呑む間に「向こう側」に取り込まれてしまわないだろうか。
まるで映画のように、「組織」が大きすぎて何をしようともそれすらも「組織」の掌の上にいるような感覚。
無力感に覆われてしまいますが、それでも「何もしないよりは少しでもした方がよい」と思います。逆転は難しくてもこの流れを少しでも押し止めること。そのために私たちは学ばなければならないし、政治やマスコミをチェックしなければならないし、それに対して声を上げたりアクションを起こしたりしなければなりません。
いつだって、遅すぎることはありません。


ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

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ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

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