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日テレ「明日、ママがいない」抗議問題で、フィクションとその影響力について考えてみた

オチも結論もないが、140字では書ききれないので


日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」での児童養護施設の表現が実際の施設とはかけ離れているとして、熊本市の慈恵病院がテレビ局に対して放送中止を求めています。
そして、それに対して「確かに内容はひどすぎる」「しょせんフィクション」と賛否両論です。ネットを見ると「ひどい」の方が多いようです。あくまでも私の見えている範囲でですが。


私はこのドラマは見ていませんが、ドラマ(というかテレビ)の影響力とフィクションが現実に与える影響について考えてみました。

日テレのドラマ「明日、ママがいない」への抗議問題。施設の子どもに対する「想像力の欠如」と「加害性」(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

Yahoo!ニュースでこの記事を読みました。
フィクションの条件として「誰かを傷つけないこと」「差別や偏見を助長しないこと」を挙げていますが、それって不可能ですよね。
「この飴おいしい」と表現しただけで「うちのじいちゃんは飴をのどに詰まらせて死んだ。悲しくなった」と思う人がいるかもしれません。まあ、これは極端な例なのでこれで抗議することはないと思いますが、「誰かを傷つけない」ことを目的とするのは不可能だし、そんなことをしたらクリエイティブは死んでしまうと思います。
同じように差別や偏見についても、その表現を受け取ってどう思うかはその人次第なので、「助長しない」という結果を保証することはできません。


ドラマやテレビに対して、そこまで要求するのは無理だしお門違いだと思います。
表現がひどくて見ていられないのであれば視聴率は下がって影響力も下がります。子どもが影響を受けていじめを誘発するというのであれば、非難されるべきは一緒に見ている親でしょう。見ないか、見るのであればきちんと諭し、説明していじめを起こさせないようにするべきでしょう。


上記に引用した記事は、「実際に、このドラマを見て児童養護施設の子どもが学校でいじめられた時、日本テレビはどう謝罪するつもりだろうか。」と太字で書いているようなちょっと極端な内容なので、この記事自体に対してはツッコミしろが多いですが、このドラマに対する抗議問題自体は、確かに考える内容ですね。


私の意見は上記のように「フィクションなんだから受け取る方のことをそこまで考える必要はない」と思っています。
しかし、テレビという「誰でも見ることのできる敷居の低いフォーマット」で、子どもが主人公ということで子どもも多く見ることが予想される内容なら、やはりもう少し考えた方がいいのかも、とも思います。
映画のようにお金を払って見に行くものであればこんな問題は起きないでしょうし、そもそも映画はレイティングされています。
だから、レイテイングが必要な内容を子どもも見る時間帯に放送する、というのはやはり問題あるのかな、と思うのです。
ここ最近のテレビでは女性の裸はほとんど出なくなりました。これも青少年に悪影響ということで減っていったのだと思うのですが、「いじめの誘発」なんて目に見えない悪影響は制限が難しいです。


というわけで、結論はありません。フィクション自体は制限を受けるべきではないと思っていますが、今回のように悪影響が予想されるのであれば何かしら対策は講じるべきだったのでは、と思うのです。「何かしら対策」と言っても何も具体策はないのですが。放送時間を遅くしたらこのキャストや製作費では作れないでしょうし、あらかじめ「これはフィクションだから現実とリンクさせないでね」としつこく告知しておくのも現実的ではない。


日テレは「最後までご覧いただきたい」とコメントしています。多分、ラストにはハッピーになって「ほら、悪意じゃないんですよ」としたいのでしょうが、相手は野島伸司。連ドラでも既に最終回まで書き上げており、修正には一切応じないとか、最終回で主人公が心中したりすることもあるので、そんなハッピーエンドにはならないかも?


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