やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

経営者のモチベーションとは

夢物語の絵空事


顧客情報流出で話題になったベネッセの原田社長は、2013年までは日本マクドナルドの社長でした。さらにその前は米国アップル社の副社長でした。全く違う業種なのに経営者として素晴らしい手腕を発揮しているのですね。
(もちろんその経営手法や業績には様々な意見があるとは思いますが)
※あと、関係ないけど原田社長の嫁って谷村有美なのね。知らなかった。びっくり!
同じように、ローソンの社長だった新浪剛志氏も今年からサントリーの社長になっています。京セラの稲森和夫氏が日本航空の経営立て直しを図ったのも同様。


皆さん、「プロ社長」なのです。
こういう人たちって、前社の経営が上手くいったから白羽の矢を立てられて新しい会社に行くのでしょうが、そのモチベーションはどこから来るんだろう。
前社の社長時代で地位も名誉も得て、もちろんお金もたくさんもらっています。このまま「勝ち逃げ」しても老後食うには困らないし、誰からも文句は言われません。たまに講演会や何かの団体役員やっていれば悠々自適の順風満帆なのに。
新しい会社、しかも全く畑違いの業界で、今までのやり方が通用するかどうかも分からない。いや、多分通用しない(業界も違うし時代も変わっている)のに、チャレンジするその勇気。


彼らのモチベーションは「売り上げの増大」「利益を株主に還元」「自分の能力の発揮」などいろいろあると思うのですが、もう自分の暮らしは安泰なんだから、もっと「みんなのために」とはならないのでしょうか?
「みんな」とは、従業員だったり取引先だったり社会(文化とか安全とか)だったり地球(環境とか)だったりです。
従業員を守るためには会社を守らなければならない。だからリストラする、コスト削減する、ということ?自社の利益のために、取引先の仕入れ価格を叩きまくるということ?
従業員の給料を上げたり取引先からの仕入れ価格を上げると商品価格が上がってしまい、市場で売れず、会社が衰退する。だからコスト削減が正しい、のかな。


経済というのはみんなが生産者であり消費者で、「風が吹けば桶屋が儲かる」のように本当に幅広いところまで影響は及びます。なので、私が書いたようなことは机上の空論でしかなく、現実は経営者たちが選択していることが正解なのでしょう。
でも、この流れは私たち一般市民を幸せにしているのでしょうか。会社の利益・発展のために身を粉にして働き、サービス残業もいとわない。その結果得られた利益は私たちの給料にはなかなか還元されず、先の見えない未来のための内部留保と株主のために使われる。
「株式会社」という組織自体が「利益を追い求める怪物」のような存在になり、市場というコロッセオで闘わされているような印象さえあります。手綱を握っているのが経営者で、株主から餌をもらい、足元は従業員が支えている。
もう個人の意思などは届かない世界。
f:id:ese19731107:20140814154638j:plain(こういうイメージ)
そうであっても、最終的な手綱を握っているのが経営者であるならば、「俺はもう闘わない」「みんなも闘うのやめようぜ」とも言えるはず。言えないか。


モチベーションが「社会のため」ならば、それは「社会で自社が勝ち抜くこと」ではなく「社会を良くすること」であり、それは自社にまつわる人たちを幸せにすることが一番身近で確実なことでしょう。
そういう社会にならないかなあ。


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