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好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

高校球児でも体育会系でもない私が「タイブレーク制」について思うこと

私は高校球児ではありません。体育会系でもありません。運動しません。スポーツも一切見ません。サッカーの日本代表戦ですら全く興味がありません。このブログでもTwitterでも、スポーツの話題は一度も出てきたことがないはず。体育会系の人たちは羨ましくもあり、ウザいと感じることもあり。
そんな私ですが、タイブレーク制について思うことを書きます。


私は、タイブレーク制には「賛成」です。タイブレーク制そのものというより、選手の酷使に歯止めをかける方法に賛成です。なので、球数制限でも構いません。
そもそも、選手の酷使が故障につながっていることは明らかなのに、それを防ぐことに対してなぜ反対の声が出るのかが分かりません。
プロで活躍できたかもしれない選手が故障によってプロに行けない、プロに行っても故障で思うように活躍できない。かわいそうじゃないですか。
また、高校球児はプロに行かない人たちの方が圧倒的に多いわけですが、そういう人たちも故障によってその後の生活に支障をきたす場合もあると思います。
繰り返しになりますが、酷使を防ぐ手段がなぜ否定されるのでしょうか。


タイブレーク制反対派は、「ドラマ性が薄れる」「日本の文化」「ぬるま湯体質」などの意見があります。
参考記事↓

高校野球に「タイブレーク制」?是非を巡って論争勃発 | アサ芸プラス
甲子園の名勝負が消滅?新制度「タイブレーク制」に賛否の声 - NAVER まとめ
甲子園のタイブレーク制導入を考える(森本栄浩) - 個人 - Yahoo!ニュース
高校野球、甲子園大会でのタイブレーク導入に賛成? 反対?:言わせろ!ナンバー - Number Web - ナンバー

(特にアサ芸のエモやんの意見は酷い)
高校野球は「教育の一環」じゃないの?それよりも見る側のドラマ性や盛り上がりの方が優先されるの?「文化」という物言いは固定概念や悪しき前例を美化している場合もあるので要注意。そして、体を壊すまでやらないと「ぬるま湯」なんて言うオジサンの言うことは聞く必要なし。


確かに延長や再試合などが様々なドラマを作ってきたのは事実です。しかし、私たちはそういう生贄や犠牲を「消費」してまで、高校野球を楽しむべきなのでしょうか?


サッカーはPKというルールがあって、誰も文句言わないですよね。なのに野球は何でこんなに反対意見が出るのでしょうか。
それは、高校野球を「スポーツ」として見ていないからではないでしょうか。限界を超えて頑張る姿に拍手し、涙する。クーラーの効いた部屋で。
映画でもドラマでも、人が死ぬ場面は盛り上がるもんね。「死ぬ」なんて極端な表現ですが、そういうアクシデントやドラマ性を求めるのは人の性です。これはしょうがない。
でも、だからこそ、規制やルールを設けるべきなのです。放っておいたら私たちの「他人の不幸やアクシデントを求める性」には歯止めがかからないんだから。大人が、子どもの健康や将来を考え、教育やスポーツとして高校野球を位置付けてあげなければいけないんです。


ただ、サッカーでもVゴールゴールデンゴール制が廃れていったので、タイブレーク制という制度自体がよいのかは議論すべきです。球数制限も待球作戦になり、選手層の厚いチームが有利になります。
この辺の「どういう制限・ルールがいいか」という議論は必要ですが、「選手の体なんてどうでもいい。限界を超えてこそ高校野球だ」という意見はいちいち説得・論破していかなければなりません。
しかし、こういう意見は高校野球経験者(たまたま故障しなかった人)や野球部の監督に多いので、根は深い。
「俺は故障しなかったんだからお前もやれ。故障したのはお前が弱いからだ」という他者のことを考えられない無茶な強制が、私が体育会系を敬遠する理由のひとつです。


しかし。いろいろな記事を読んでいたら、やっている本人たちはこの状況だから完全燃焼できるのであって、守ってもらうと不完全燃焼になってしまうという意見を読み、なるほどなと思いました。中の人がそう思っているんならそれを邪魔する必要もないのかな。故障しても、最後までやり抜く方が重要なときもあるもんな。うーん、考えてしまう。
最後でぶれてしまった。


高校野球 2015年 05 月号 [雑誌]

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第87回選抜高校野球展望号 2015年 2/25 号 [雑誌]: 週刊ベースボール 別冊

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