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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画「寄生獣」(完結編) 感想

映画

変える必要はあったのか


映画「寄生獣」の完結編を見てきました。
前作の感想はこちら↓ese.hatenablog.com
公式HP↓kiseiju.com
前作はいくつか不満もありましたが、VFXの出来がよかったので満足でした。さて今作は?


(ネタバレあります)


完結編公開前にテレビ放送がありました。私は見なかったのですが、R12指定の本作をテレビ放送でどこまで流し、どこをカットしたのかな?
テレビ放送の甲斐もあって、劇場はだいぶお客多かったです。テレビはやはり大きなメディアです。


原作がいいので、それをそのまま映像化してくれれば傑作になることは分かっています。見せ方だけ気を付けてくれれば。
途中まで、なかなかよかったです。原作を上手く省略しながら進めてくれました。
殺人鬼浦上のビジュアルが「デスノート」のL過ぎるだろとか、市役所の後藤無双は見たかったなとか、動物園での田宮良子はもっと拳銃の弾撃たれないと死なないだろとか、細かい気になるポイントはありましたが、大筋としては上手い進め方です。
浦上と新一の面通しの場面の「死んだ目対決」はよかった。笑うシーンではないですが、笑っちゃった。


それが、後半でちょっと大きく気になるポイントが出てきました。クライマックスでのゴミ処理場のシーンです。
ここで新一と里美が初めてセックスをするのですが、えー、ここでやるの!
確かに、絶体絶命でミギーとも別れ命からがら逃げ出してきた新一にとって、このときの里美が本当にありがたい存在だったと思います。泣いてすがって胸に抱かれて眠りたい。うん、それは分かる。でも、セックスは別物ですよ。この非常時に勃起させますか?キスして一緒に抱いて眠るくらいじゃダメ?
いや、この二人にとってセックスという儀式・段階・経験は必要なのですが、今ここじゃないだろ、と思うのです。
それ以前に、このときの新一は右腕がないんですよ。昼間会ったときは腕あったのに。そこに対する驚きや質問などはないの?
そもそも、原作では里美はミギーの存在を知りません。新一に何かあったことは分かっていても、そこは深く追求しないし、決定的な場面を見ていません。だからこそ言えない新一とそれを汲み取る里美の間に絆や愛が生まれるのだと思うのですが。
でも、ここの橋本愛の手ブラシーンと挿入時の喘ぎ声はよかった。ここのシーンこんなに長くなくていいと思うけど。


激しいキスして倒れ込んで朝チュンでいいと思うのですが、まあともかくきちんとベッドシーンも描いてめでたく結ばれた二人。
朝、ミギーの目が新一の腕に出てきたのを見て「やばい、これじゃあいつに見つかっちゃう!」と思う新一。ミギーが生きていて喜ばないのかよ!厄介者かよ!


仕方なく最終決戦へ。ゴミ処理場の焼却炉に自ら飛び込む新一。なぜ?どういう計算や勝算があってこんなことするの?
ここであの棒を突き刺すシーンがありますが、何とこの棒は放射性廃棄物だったのです。うーん、今の時代だからこうなるのも分かりますが、原発放射能は表現にデリケートさを求められるので、少し引いてしまうというか、構えてしまいました。ここのゴミ処理場は放射性物質をそのまま燃やしているの?とか後藤があんな拒否反応を示すレベルの放射性物質だったら、ここの職員も今ここにいる新一も被害出るんじゃない?とか思ってしまいました。
あと、ここのシーンは原作では泊めてくれたおばあさんの「臨機応変に最後まで諦めずやりな」という忠告があって、諦めかけた新一がこの棒に最後の望みを賭けるのですが、その辺もないのでカタルシスが薄いです。
マンガだとモノローグが使えるので心の中の描写がしやすいという差はありますが、映画でもモノローグ使えばいいじゃない。「もうダメだ。いや、まだ諦めるな。この棒はどうなっているだろう。引き抜けないかもしれないし長すぎるかもしれない。可能性はほとんどゼロだけど、やらなきゃゼロだ」(原作手元にないので記憶にて)という逡巡と決断。以前後藤が脇腹から血を流していた事実から、あそこが弱点である可能性(新一が勝つ根拠)も含めて。映画の表現だと完全なるラッキーパンチすぎる。
あと、この焼却炉は本当に画面通りに燃えていたら新一は耐えられないのでは。


闘いを終えて、ミギーがいなくなる場面。原作だと新一の夢の中に出てきて別れを告げ、朝目覚めた新一が右手に向かって「忘れるわけないだろ、バカヤロウ」と叫びます。これでいいじゃない。何で変えるの。


エピローグで浦上に向かっていく場面。原作だとこの瞬間にも新一のモノローグとして彼の計算(自分は普通の人間と違うのだから、一瞬で浦上を倒して里美を救えるはず)があるのですが、映画だとそれがない。なので、普通の男の子が頑張っているだけに見えちゃいます。
そもそも、この映画では新一が母親を乗っ取った寄生獣にやられた後、新一自身がパワーアップしている描写がありません。なので、様々な場面で新一が活躍する裏付けが見えません。


でも、これらの批判部分は、全て「原作と違うから」という理由です。これって、映画の良し悪しを語る理由になっていませんよね。なので、原作を知らない人にこの辺をどう思ったのかを訊いてみたいです。
とはいえ、原作は素晴らしいのです。話の盛り上げや伏線や意味付けなど、とても上手くできています。なので、これをそのまま映像化すればそれが一番いいと思うのですが、なぜ変えたのでしょうか。
もちろん時間的な制約があることは分かりますが、それでも変えた部分が「改良」になっていると思えないのです。
というわけで、後半で私の支持率はだいぶ低下してしまいました。いい原作をなぜ改悪するのかと。
まあ、山崎貴監督作品の特徴である「タイトルに英語が付く」がなかっただけよかったと思おう。「PARASITE 寄生獣」になっていたらそれだけでげんなりしちゃう。


最近、原作ものの映像化についていろいろ考えてしまいます。読んでから見た方がいいのか、読まずに映画単体として見た方がいいのか。
読んでからだと、原作との違いに目がいってしまうし、ビジュアルやエピソードが原作を踏襲しているだけで加点してしまいます。これは映画そのものの評価ではない。
読まずに映画を見ると、マンガや小説だと気にならなかった違和感(世界観やセリフ回しなど)が気になるし、エピソードの省略に気が付かないので展開の唐突さを感じてしまう。
どっちがいいんだろう。



「寄生獣」おさらいダイジェストPV - YouTube

「寄生獣 完結編」予告 - YouTube

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