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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

國分功一郎「来るべき民主主義」 感想

書籍

「国は官僚が動かしている」ということの意味


國分功一郎氏の著書は、以前「暇と退屈の倫理学」を読んだことがあります。哲学を、私たちにも分かるように噛み砕いて解説してくれる内容でしたが、それでもやはり哲学書なので、普段使わない頭の部分を使いながら読みました。とても充実した内容でした。
ese.hatenablog.com


その著者の新刊が出ていたので購入。今回のテーマは民主主義です。
現在、日本をはじめとした多くの国では「民主主義」が採用されています。しかし、主権者である国民が許されているのは選挙を介して議会に関わることだけです。
これは代議制民主主義であり、直接民意が反映されるわけではありませんが「現実を考えれば仕方ないこと」と思われています。
ここまでは私たちも知っているし実感していますよね。


立法府(議会)が物事を決め、行政府(国・県・市町村)がそれを執行し、司法がそれらを監督する、というのが三権分立です。建前は。
では、実際はどうでしょうか。

行政は執行する以上に、物事を決めている。
たとえば新しい保険制度が作りたい。それを考えるのは官僚である。官僚がそれを議員のところにもっていく。議会で「はい、これでいいです」とお墨付きをもらうだけである。
あるいは、新しい道路を作りたい。「ここに道路を作ったらどうか?」「そこに作るのはおかしいでしょう?」などと議会で話し合ったりはしない。全ては役所が決めるのである。議会はその予算案を承認するだけだ。
実際に統治に関わる実に多くのこと、あるいはほとんどのことを、行政が決めている。

確かにそうですよね。「国は官僚が動かしている」という言い回しはよく見かけますが、実際そうですもんね。

それではとても「民主主義」とは言えないように思われる。民衆が実際の決定過程に関われないのだから。しかし、それでもこの政治体制は「民主主義」と呼ばれている。なぜか?
立法府こそが統治に関わる全てに決定を下している機関であり、行政はそこで決められたことを粛々と実行する執行機関に過ぎないという前提があるからだ。
この前提、主権を立法権と見なす前提があるために、実際に物事を決めている行政の決定過程に民衆が全く関われなくても「民主主義」を標榜できるようになってしまっている。

そうなんです。私たちは立法権ですら選挙という形でごくまれに・部分的に関わるだけしかできないのに、実際の決定機関は行政であり、そこに関しては全く関わることができないのです。
これって、とてもおかしな話ですよね。そして、「国は官僚が動かしている」を知っているのに、このことについてはほとんど誰も問題視してないですよね。私も「言われてみればそうだ!」くらいの気づきでした。


そこでどうするか。著者は

根本から変えるなどというのは実に難しい。だから「根本から変えなければダメだ」という主張は多くの場合、あきらめか、あるいは革命への待望に至る。どちらも要するに何もしないということである。
では、どうすればよいだろうか。
(略)政治機構の全体を新しく作り直すのではなくて、そこに強化パーツを足していくという発想である。

と書きます。どういうことか。
哲学者でもある著者は、過去の哲学者の言葉を引用し、「法と制度」を取り上げます。

所有制度が作られたから盗みが起こることになり、それを禁止する法が必要になる。結婚制度が作られたから、重婚が禁止される。
ここから見えてくるのは、法という否定的・消極的なものによってではなく、制度という肯定的・積極的なものによって社会を定義する新しい社会観である。
(略)法は行為の制限であるから、法が多ければ多いほど国家は専制的になる。それに対し、制度は行為のモデルであるから、制度が多ければ多いほど、国家は自由になる。制度があって初めて可能になる行為の数がどんどん増えるからである。言い換えれば、何か満足を求めたり、目標達成を目指す際の、手段が増えるということだ。

そこから、こう結論を導き出します。

主権者である民衆が政治に関わるための制度も多元的にすればいい。つまり、議会という制度は一つの制度として認めた上で、さらに制度を追加していけばいい。

根本的な変革というのは現実的ではないので、手段を増やそうということです。
具体的には
住民投票の尊重
■審議会のメンバーの選び方
■ワークショップの実施
パブリック・コメントの有効活用
を挙げています。もちろんこれで全てでも十分でもありません。必要に応じて新しい制度を導入し、それぞれの争点に合った制度を適用していくべきです。


最終章では哲学者らしく「民主的でない」と「民主主義がない」の違いについて論じられているのですが、割愛します。


どうでしょうか。確かに代議制民主主義は間接民主主義とも呼ばれ、私たちの民意を直接反映するものではありません。それでもこの権利は重要ですので、民意を反映させる場である選挙には行かなければなりません。
しかし、実際に物事を決めているのは議会ではなく行政で、行政に対しては私たちが直接意見を反映させる手段がない。この、知ってはいたけど気にしていなかった重大な事実。


実際のところは日々の自分の生活で精いっぱいであり、政治について考えたり行動したりするのは面倒なものです。それでも、自分に不利益な立案が決定されれば、その案は現実のものとして私たちの生活に関係してきます。なので、どうしても譲れないことについては声をあげなければなりません。しかし、ただ「嫌だ」と言っても行政は動いてくれません。そこで制度を活用し、ルールに則って意見を届けるのです。


できるかな。面倒だな。でも、考え方は理解した。行動するかどうかは自分次第。