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好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

増井修「ロッキング・オン天国」 感想

ボンベイロール、シャークサンドウィッチ、パールネックレス


大学に入るまで洋楽はほとんど聴いてきませんでした。大学で音楽サークルに入り、ようやく自主的に洋楽を聴きだした遅咲き野郎です。
当時はハードロックブームの終わりころで、音楽雑誌といえば「BURRN!」が主流でした。私はハードロックは好きでしたが、「BURRN!」は好きではありませんでした。メタルの様式美が好きではなかったのと、雑誌として面白くなかったから。
※本エントリとは関係のない話ですが、私が「BURRN!」を見限ったのはパール・ジャムの「ヴァイタロジー」のレコ評を読んだときです。「VS」「Ten」とは全く違う彼らの変化についていけなかった私はプロの解釈を期待したのですが、「分からない」と書いてあったのです。音楽と言葉のプロが「分からない」とは何事だ!


話を戻す。
私のいた音楽サークルはもちろんハードロック以外を好む人もいて、その人たちは「BURRN!」ではなく「ロッキング・オン」を読んでいました。「クロスビート」「インロック」を読んでいた人はいたのかな。記憶にない。
で、「ロッキング・オン」ですが、雑誌として面白かった。編集者のキャラが立っていて、リード文を読むだけで誰の文章か分かるようになっていましたし、インタビュー以外のページも面白いので、表紙や巻頭特集が何であれ、毎号買うようになっていました。ファンになるというのはそういう内輪のノリも共有する(共有した気になる)ことなので、私はすっかり「ロッキング・オン」のファンになっていました。もちろん「渋松対談」も大きい。


その当時の編集長が増井修さん。遅咲き中二病の私には増井さんの熱のある文章にすっかり心酔していました。
また、90年代前半はブリット・ポップブームが盛り上がってきた時期でもあるので、その盛り上がりもあってよりロキノン信者になっていました。そして同時期に好きだったレッチリ、レニクラ、プリンス、スティービー・サラスなどは「BURRN!」では取り上げられなかった(もしくは取り上げ方が私の解釈と違っていた)ため、「BURRN!」はより縁遠くなっていきました。


増井さんから宮嵜さんに編集長は変わり、雑誌は変わっていきました。何だか真面目だし、プッシュする音楽が私の趣味と合わない。モリッシーは私の好みではない。
そして90年代半ばからは日本のロックが盛り上がってきて、私も「ロッキング・オン・ジャパン」に移籍してしまいました。


そうこうしていたら、増井さんがロッキング・オン社を退社。しかも解雇。さらに裁判沙汰。「ロッキング・オン」からしか情報がなかったので、詳細は分からぬまま、増井さんは音楽業界から姿を消しました。
その後他の雑誌のスーパーアドバイザー的な立場で名前をお見かけしたことはありますが、ほとんど表舞台で見かけることはなく、ネットでも現在の状況を知ることはできなくなっていました。


長い前フリですが、ようやく本題。そんな増井さんが、雑誌「ロッキング・オン」をテーマにした本を出版しました。これは楽しみ!近所の書店には置いていなかったので、取り寄せまでして購入。


しかし、イマイチでした。イメージは日経新聞の「私の履歴書」みたいな感じを読みたかったのですが、この本は増井さんが書いているのではなく、増井さんがしゃべったことを聞き書きしているようなので、話がとっちらかる。
また、内容も「あの頃のロッキング・オンという会社・雑誌」を読みたかったのですが、それと同じボリュームで「あの頃俺が担当したミュージシャン」の話があるので、焦点がぼける。ミュージシャンの話はまた別の本で書いてくれればいいので、この本では「あの頃のロッキング・オンという会社・雑誌」だけをもっと深掘りしてほしかったです。


とはいえ、この本で初めて知ることも多かったです。
増井さんが同人誌同然だった「ロッキング・オン」をきちんと商業誌として「儲かる雑誌」に育てたこと。
増井さんが入社した当時は記事や写真は海外から買い付けたもので、それ以外は読者からの投稿記事。一般人からの投稿記事にはギャラを払わず、掲載雑誌を送るだけ。それでも投稿者が喜んでいたのだから、増井さんの言うとおりある種「宗教雑誌」の要素もあったのだろうな。この本には書いてありませんが、かつては「架空対談(対談してほしいけどそんなコネもカネもないので想像で勝手に対談させる)」という、今では考えられない記事も掲載されていました(しかも好評だった!)。


また、増井さんはそこまで音楽のヘビーリスナーではなかったそうです。しかし、だからこそ音楽のみではなく、ミュージシャン本人の人柄も含めた解釈が読者に受けたのではないでしょうか。
「この音楽はいい」だけではなく、「こんな音楽を鳴らすこいつはこんな奴だ(決めつけも含む)」「こいつはこんな奴だからこんな音楽を鳴らす」という見立て。そういうミュージシャンのキャラ立ても、音楽にも雑誌にもいい「盛り上げ」に作用していました。


90年代半ばの「ロッキング・オン」がイケイケだった頃、どれだけ儲かっていたかという話は、そんなに興味ない。ただ、あの頃の「満漢全席号」「総決起死闘号」などの時代は私も神輿を担ぐ一人としてこの祭りに参加していましたので、その当時の熱は懐かしく思い出します。その当時は「どれだけ返本率があってどれだけ儲かっているのかな」なんて考えたこともないけど。


とはいえ、やはり私が読みたいのはロッキング・オン社の退社の話。ただ退職したわけではなく、クビになり、その撤回を求めて裁判を起こし、解雇撤回を勝ち取ったというなかなかにヘビーな話。下世話な興味ではありますが、気になるじゃない。
しかし、本書ではその内情については一切語られませんでした。裁判で「口外しないこと」という取り決めでもあったのかな。
また、増井さんがロッキング・オン社を退社した後、何をして過ごしていたのかも語られません。残念。この本を読む人はあの頃「ロッキング・オン」を読んできた人で、それはすなわち増井修を読んできた人なので、増井修本人のことも知りたいのです。今までそうやって雑誌を盛り上げてきた増井さんだからこそ、そこも逃げずに語ってほしかったです。
この本が出た以上、このことについてこれ以上語られることはもうないんだろうな。残念。


このエントリの小見出しにある「ボンベイロール、シャークサンドウィッチ、パールネックレス」は、イギリスにおけるパイズリの俗称です。それぞれオアシスのリアム、シャーラタンズ(ティムなのかな?)、スウェード(ブレッドか?)による呼び名。どれもなるほど。「パールネックレス」は事後の描写だけど。
こういうくだらなさが雑誌を面白くさせるし、それぞれのミュージシャンを人間として好きになるきっかけのひとつになるのです。そういう部分で、増井修さんは素晴らしい編集者でした。「でした」って過去形で書いていいのか。また何か始めてくださいよ。増井さん、待っていますよ!


ロッキング・オン天国

ロッキング・オン天国

渋松対談 青盤

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渋松対談 赤盤

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激刊!山崎

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