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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

柴那典「ヒットの崩壊」 感想(その1)

そして私の思うこと


柴那典さんの「ヒットの崩壊」を読みまして、とても面白かったので感想を書きます。しかし、この本が取り上げるテーマは普段私が考えていることでもあり、1回では収まらないので何回かに分けて書きます。今回は「第一章:ヒットなき時代の音楽の行方」「第二章:ヒットチャートに何が起こったか」について。
感想というより、この本に書かれているテーマについて自分が考えていることを本書の内容と併せて書いていく、というイメージです。同意であったり反論であったりツッコミであったり。


ヒット曲がない。それは「世代を問わず世間のみんなが知っている曲がない」ということで、しばしばそれはCD不況と重ね合わせて語られることが多いが、それは間違っている。ヒット曲がないのはその通りだが、「ヒットがない」のは音楽に限った話ではない。
SNSの普及により、個人個人の好みに合った小さなヒットがいくつもある、というのが実状だ。テレビ番組でも俳優でも芸人でも、突出した存在は生まれにくくなっている。それには「目立つ杭はすぐ打ち砕く」という世間の流れも加担しているわけだが。


1998年の音楽ソフト生産金額6074億円に対して2015年は2544億円。半分以下。これを以って「CDが売れない=音楽不況」という言説にはイエスとは言わない。そもそも、90年代がバブルであり異常だったのだ。今は不況ではなく、元に戻っただけ。
しかし、レコード会社も音楽事務所もバブルの頃に太ってしまったため、ミュージシャンも社員も食わせていかなければならない。そして現在はライブ市場が活況だ。
これでいいのか。CDは売れなくなったがライブは活況なので会社としては成り立っている。しかしそれはビジネスの話で、音楽の話ではない。
いきものがかり水野良樹さんは、本書の取材にこう語っている。

ヒット曲が少ないことが意味するのは、つまり、音楽という存在が社会に対して与える影響が弱くなったということ。(略)社会全体から見たら、音楽はいくつかあるコンテンツのうちのひとつでしかなくなってしまう。極端に言えば、どうでもいいものになってしまうんじゃないかという危惧がある。

そうなんだよな。売れる・売れないではなく、音楽が社会や人々の生活に必要でなくなっていくことが本当に恐れるべきことなんだよな。


第二章ではヒットチャートについて書いてあるが、確かに今のオリコンチャートは全く今の時代を反映していない。2011年~2015年までの5年間の年間ベスト5、合計25曲のうち、EXILESKE48が1曲ずつで他はすべて(つまり23曲!)AKB48で占められている。さて、あなたはどれだけ知っているだろう。私は「フライングゲット」「恋するフォーチュンクッキー」のみでした。
こうした状況に対して「AKB商法」と揶揄する人もいるが、特典付きで売る人たちはAKBグループ以外にもたくさんいる(というか、それがほとんど)わけで、それは批判に値しない。しかし、その結果オリコンチャートは「販売枚数」の数字を示しているだけで現在の世の中のヒット曲を世間に知らせることができなくなった。


ヒットチャートに説得力を取り戻すために、CD販売数の他にダウンロードやラジオオンエア回数、Twitterでのツイート回数、パソコンによるCD読み込み回数、YouTube再生回数なども盛り込んだ「ビルボードジャパンHot100」という指標が作られている。現在の実状に合った結果を出すためにはいい指標だと思うが、どの割合で指標を作るのかによりランキングは変わるので、私としてはそこまで全面賛成とはいえない。また、時代によって指標の割合や採りあげるデータも変わるので、同じ尺度でヒットを測るのも難しい。


もうひとつ、カラオケという指標がある。これは面白い。
本書によるとオリコンチャートを独占しているAKB48でもカラオケチャートに入っているのは「会いたかった」「ヘビーローテーション」「恋するフォーチュンクッキー」のみ。そして嵐はどの年でもトップ20に入っていない。
カラオケは「好きな曲」ではなく「歌いやすい曲」「みんなが知っている曲」が選ばれる傾向が強いのでヒットそのものとはいえないが、これもリアルなヒットの一側面である。


カラオケで定番曲がいつまでも強い理由はいろいろあるだろうが、

選曲用の電子端末が定着したことで曲名・歌手名を思い浮かべないと検索ができなくなり、(略)そこで皆さん、履歴を見るんです。

というJOYSOUND高木氏の指摘はとても納得する。
私としてはもうひとつ、カラオケが「歌いたい曲を歌う場所」から「みんなが盛り上がる場所」に変わったことも理由のひとつだと思っている。カラオケや歌が「目的」ではなく「手段」になったため、盛り上がりやすい曲・みんなが知っている曲が選ばれるようになったのではないか。


ヒット曲の消失は「お茶の間」の消失であり、世代・クラスタのセグメントの分断による共通項の消失である。これ自体は「寂しいな」とは思うが、いいことでも悪いことでもなく、現代の生活様式を考えれば当然の結果である。


今回はここまで。まだ途中なので結論はありません。
SNSの普及が現在の状況を後押ししているのは間違いありませんが、それがなくてもこれだけ様々な音楽がリリースされている現代に、ほんの数曲に国民全体が盛り上がるなんてことはあり得ません。個人的にもオリコン上位でない音楽に自分好みの音楽は多いし、「世間のヒット=自分の好み」ではないので、上に書いたように「寂しいな」とは思いますが「そりゃそうだろ」とも思うのです。


私のような音楽好きにとっては、現在は自分好みの音楽にアクセスしやすいとてもいい時代です。しかし、それ以外の一般の人たちは、わざわざ自分から音楽を聴きに行ったりCD買ったり新譜がいつ出るかチェックしたりしません。そういう人たちにも届くのが「ヒット曲」なのでしょうが、それは難しくなっている。
それは、音楽の力が弱くなったわけではなく、他のエンタメの種類が増えて相対的に音楽というエンタテイメントが埋没してきているからです。そして、かつて音楽に興味がない人にまで届けていたテレビの弱体化とも比例します。
この辺のことは、次章以降に書いてあります。


ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)