やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

私の思う「メインストリーム」なんてものは

前回のエントリがちょいとバズりまして、コメントやはてブやその他ブログなどでいくつか言及をいただいております。
ese.hatenablog.com
その中で、このブログに取り上げていただきました。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
ほうほうなるほどと思いつつ、そこは自分はこう思っています、と思うこともあるので、その感想として今回のエントリを書きます。あくまで感想であってディスやビーフではありません。 

メインストリームとは

これは前回のエントリにも書きましたが、ニュアンスとしては「一般的」「メジャー」くらいの意味です。ロックやポップスと同じレベルでヒップホップが世間に存在するといいな、くらいのレベルのことです。日本語HIPHOPが日本の音楽の中心・頂点になるといいな、ほどの大それたことは考えていません。

ラップブームかラップ(MC)バトルブームなのか

「今はラップブームであってHIPHOPブームではない」と思っていますが、バトルブームかどうかまでの細かい定義は考えたことがありませんでした。『フリースタイルダンジョン』のヒットによりMCバトルが注目され、その結果ラップが再注目された、くらいしか考えていません。あまりそこまで分ける必要も感じていません。

HIPHOP

私のエントリで「純HIPHOP」という言葉を使いましたが、これはゴリゴリのハーコーアンダーグラウンドHIPHOP曲という意味ではありません。ラップが曲の一要素ではなくメインで使われている曲、程度の意味です。ケツメイシの「さくら」でいいんです。私のこだわりなんてそんな程度です。
個人的に、ケツメイシ「さくら」は日本ポップス市場における日本語HIPHOP曲の最高到達地点だと思っています。サビはポップスのメロディで、ヴァースはラップ。ラップ部分も「歌メロをラップっぽく」ではなく「ラップを歌メロっぽく」だし、韻とフロウはラップとしてスキルあるし、聞き取りやすい日本語なので一般層にも届く。
※だからといって二番煎じ求む!ということではありません。別の方法論でヒットが出ればなーと思っています。

メジャー・マイナー

今でもメジャー・マイナーの対立ってあるのでしょうか?売れる人に向かってセルアウトと言う人はまだいるのでしょうか。私はアンダーグラウンドの現状や感覚を知らないので何ともいえないのですが、個人的には「そんなの単なるひがみだろ」と思っています。無視無視。

売れ筋、ヒットになりそうなラップ自体を否定し、メジャーになることをダサい、魂を売ったと感じ「メジャーさやポップさに魂を売りたくない」と忌避してきたのに、今さら「このタイミングでラップがメジャーになってラッパーが国民的歌手に」なんてファンが望んでもそれをやってる本人らはどーなんだろうか。
果たして、その気持ちがあるのか否か。

HIPHOP村にいる人たちはどうなんですかね。分からないです。でも、ファンのひとりである私は望んでいるし、村から出たくない人には望んでいません。

日本語の壁

これはありますね。仕方ない。いくら私たちが「韻が」「フロウが」と力説してもダサいと感じる人はいます。私だってラッパーによっては「ダサい」「恥ずかしい」と思う人はいます。
あー、そういう人たち(そういうラッパー、そういうリスナー)が一定数いるということは、やはり日本語HIPHOPが一般的になるのは難しいのかな。

社会構造

これは、あまり関係ないのではないかと思っています。日本にはゲットーがないからHIPHOPをやる必然性や説得力がない、のか?私は日本語HIPHOPは早くこういう論点から外れてほしいのです。単なる音楽ジャンルとしてHIPHOPが一般的になってくれるのを望んでいます。
日本はメイクマネーというテーマにシンパシーを得られないという指摘は同感です。日本はお金を稼ぐことにいいイメージを持たれていない。でも、テーマなんて何でもいいと思うのです。「稼ぐぜビッグマネー」でなくてもいいのです。「洗濯物干すのもHIPHOP」でもいいのです。この自由さこそがHIPHOPですから。
www.youtube.com

注目の日本語ラップ

ぼくのりりっくのぼうよみは、新しい。そのうちラップなんていう枠からはみ出そう。
KOHHは、個人的にはなぜここまで盛り上がっているのか理解できていません。でも、それでいいと思うのです。新しい勢力は、私のような古い時代の人間の常識の外から出てくるものだと思っているので、私が理解できなくても盛り上がっているということは、正しい新しい波なんだろうな、と思っています。
DAOKOはメジャーになったらラップ部分減ってきましたね。これもレコード会社からの要請なのかしら。COMA-CHIも途中から歌ものになったしHOMEMADE家族やTAROSOULなど歌えるラッパーも歌部分が増えていきました。やっぱり要請?
やはり「売れるために」なのかなー。「売れてから自分のやりたいことをやる」って難しいと思うのです。自分のやりたくないことで売れても、ファンはその「やりたくないこと」でファンになったのだから、その後やりたいことをやったとしてもファンは離れていくだけだと思うのです。「やりたいことで売れる」しか、やりたいことを続ける方法はないのでは。
話が逸れた。
水曜日のカンパネラは、もはやHIPHOPではないですね。水曜日のカンパネラというアートの一要素に音楽があって、ラップ・HIPHOPはそのさらに一要素に過ぎない感じ。

ヒットの構造

ドラマや映画などのヒットによって曲もヒットするという構造は、昔と変わっていません。タイアップという手法は昔に比べて力は落ちましたが、国民的ヒット(認知)になるためには曲そのものの力だけでは足りず、やはり何かしら他のメディアとの連動が必要です。もしくは、その人そのもののブレイク。ピコ太郎みたいな形で。
そう、ピコ太郎がヒットしたのは、あのサウンドや見た目もあると思いますが、やはり「ペンパイナッポーアッポーペン」という「口に出して気持ちいい言葉」だったからだと思うのです。まさにパンチライン
そう思えば、CMでキャッチコピーを上手くラップで表現するとかまだ可能性はある気がする。と書きながらあまりない気がする。

曲のヒットかシーンの底上げか

一発屋の花火を望むくらいなら、ラップシーン全体の底上げがされることの方がまず優先事項だと思うんだが違うのか。

シーンの底上げをするには、まず花火が必要だと考えます。何となくじわじわ底上げがされるなんてことはあり得ないと思っています。世間に見つかって、世間に知られる人たちが数人(数組)出て、ようやくシーンが出来上がるのだと思っています。数年前の男性R&Bブームの頃の平井堅ゴスペラーズ・ケミストリーたちのように、「シーンの椅子」に座る存在が現れないと世間に居場所を作ることはできません。底上げのためにまず花火、というのが順序だと思います。


ミッシー・エリオットの「アートが足りない」という発言は、確かにその通りだと思います。私は何度も書いているようにHIPHOPは「カルチャー」ではなく「音楽ジャンル」になってほしいと思っているので、アートの部分は気にしていないのですが、でもたぶんそういうことなんだろうな。単なる音楽のいちジャンルになるためには、カルチャーの部分がもっと充実しないとその位置まで上がらない。土台がしっかりしてから、ようやく自由な表現が受け入れられる。

まだ今回のムーブメントは始まったばかり。
一段ロケットを切り離し、次のロケットが何になるのか。これからが面白くなるんじゃないだろうか。

そうなのか。私は悲観的過ぎるかな。次のロケットもあるのかな。
諦めたといいながら未練タラタラの私からは以上です。


Noah's Ark

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YELLOW T△PE 3

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