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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

テレビで映画を放送する意味はあるのか

考えがころころ変わる(©真心ブラザーズ『愛』)


先日、「日曜洋画劇場」が終了するというニュースがありました。
headlines.yahoo.co.jp
とても残念。それは、映画との偶然の出会いの機会が減るからです。
で、これに関していくつかの意見を目にしました。







ジェット・リョーさんの「出会いのきっかけは減るけど、そこから掘り下げていくことは今の時代の方が楽だから、最終的に残る映画ファンの数は変わらないのでは」という意見。
えすでぃーけーさんの「テレビの前に2時間釘付け、ということ自体が難しい時代なのでは」という意見。どれも納得です。


私はジェット・リョーさんの意見に対しては「深く掘り下げるような映画マニアではなく、年に2~3回程度映画館に足を運ぶライトな映画ファンを生み出すためにはテレビのような『外部の力(自分の意思でないもの)』が必要なのでは」という立場です。
しかしそもそも「視聴率が悪い」という事実が「テレビでの映画放送の困難さ」を物語っているわけで、ながら視聴を想定しているバラエティ番組と違って2時間集中させる映画というコンテンツは今のテレビに向いていないのかもしれない。こんなことを書いている私だってテレビ放送で映画見ていませんからね。


私が子供の頃はジャッキー・チェンの作品はテレビで何度も放送していたので、映画館に行ったことがなくても映画は見ていました。
でも、今はレンタルビデオが当たり前にあるし、動画配信だってあるし、テレビに頼らなくても映画を見る手段はいくつもあります。
そう考えると、今の方が映画に触れる機会は多いですよね。


じゃあ、やはりテレビで映画を流す意味はないのか。私は「ある」と思っています。
偶然の出会い、セレンディピティ。自分で選んだ作品ではなく、勝手に放送されている映画を見て「面白い」と思うことは、とてもいい出会いだと思うのです。特に子供の頃は。
映画好きの親がいれば子供の頃から名作に触れる機会もあるでしょうが、そうでない場合は、映画そのものに触れることなく大人になっていく人が増えるような気がします。


と書きながら、手が止まる。映画に触れないまま大人になる人と、テレビで偶然名作に出会って映画好きになる人。どっちが多いのでしょうか?どっちも多くないような気がしてきた。
映画ファンでなくても子供にはディズニーやジブリの作品をレンタルしてきて見せる親は多いでしょうし、そもそも昔は「レンタルビデオ」という手段がなかったから映画館とテレビ放送しか映画を見る機会がなかったわけで、映画に触れる機会は今の方が圧倒的に多いです。であれば、番組の消滅もやむなしなのかなー。


そして、「偶然の出会い」とはいい言葉ですが、そんな上手く出会うものかな?昔と違って、今「映画の名作」は、歴史の積み重ねもあり、とても多いです。偶然の出会いに頼る以前に見るべき名作だけでもいくつもあるのが現状です。
名作だらけの中で偶然の出会いという「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式は時間の無駄では?必要なのは偶然の出会いよりもキュレーターやコンシェルジュですよね。


でもでも。まだ食い下がる。
そうかもしれない。テレビで映画を放送するのは映画ファンを生み出すのに何の効果も生み出していないかもしれない。それが視聴率の悪さという事実に表れている。
それでも、続編公開の前にテレビ放送すれば週末に映画館に足を運ぶ人は増えます。興行収入が上がれば次の作品を作ることができます。「映画館に行く」という経験をすれば次も映画館で映画を見てくれるかもしれない。
そういう意味でのきっかけづくりとしては、やはりまだテレビで映画を放送する意味はあるのではないでしょうか。


ただし、視聴率が悪ければ番組は続かないわけで、そこで、映画会社がテレビ放送の枠を買って映画を放送し続けてほしいです。上記のように続編公開前の放送は短期的な興行収入UPという効果があります。そして映画館に行くという経験は「映画は映画館で見る」というファン(ライトであってもマニアであっても)を育てるので、長期的な意味でも効果があります。


というわけで、書きながら意見がぐるぐるしましたが(本当にぐるぐるした。最初は「テレビで映画やるべし」という内容を書くつもりだったのに、書き出したらいろいろ考えが及んでなかなか着地しなかった)、「映画会社がテレビ放送の枠を買って低視聴率であっても映画を放送し続けることは映画ファンを育てることになるのでは?」というのが私の結論です。映画会社の皆様、ご検討ください。