やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

自分の感想は自分のものだ。『ラ・ラ・ランド』批評について。

恋しちゃったんだ、たぶん


映画『ラ・ラ・ランド』は、とても面白かったです。映画は物語(=脚本)だけでなく総合芸術なんだなーということを再認識した作品でした。
ese.hatenablog.com
これだけの大ヒット作品なので、否定的な意見が出るのも当然です。その中でもいちばん過激な物言いだったのが菊地成孔さんの批評です。
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そしてアカデミー賞発表後にも追加の原稿が書かれました。
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一貫して「これは程度の低い作品で、こんなのに喜んでいる観客もバカだ」という内容です。
同じリアルサウンドのコラムでシンガーのBOMIさんも「絶賛の嵐でそれ以外の感想を言いにくい」という空気の中、素直な感想を書いてくれました。
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ライムスター宇多丸さんはラジオの批評コーナーで「ラストで感動したが、途中はイマイチの部分もあった」という内容で語っていました。


私はこの作品は「面白い」「素晴らしい」と感じましたが、これらの批判・批評にも「その通りだな」と思いました。
確かに、冷静に物語を見れば陳腐なお話だし、物語の中にはセブとミアの二人しか存在していない。出会いや喧嘩などの二人の心の綾が十分描けていない(恋愛は理屈ではないけれど、それでも)。
宇多丸さんの批評は、口調は柔らかくとも的確に本作の問題点を指摘しています。


菊池さんは遠慮などお構いなしに筆を走らせます。

本作は、恋に飢えた女どもを中心にした全人類どもを『セッション』の1000倍の力でヒーヒー言わせるが、ワンカット撮影がすごいとか、ダンスがやばいとか、絶賛の嵐である「また朝が来れば新しい日」の映像は、肝心要の楽曲が素晴らしいので持って行くが、4分の映像としては、これは気の利いたTVCMの仕事である.

画でも台詞でも芝居でも物語でも、ストーリーが転がせない。かましだけは強烈だが、イマイチ考証が雑な、最初に喰らわされるワンパンチでうっとりしてしまい、後はボケーっと見ていると、エンディングに乱暴などんでん返しがあり、結果として「すごいもん見た」と思わせるのである。ハッタリの天才。というより、ある種の現代的な解離感覚が体質化しており、現代人にフィットするのだろう。葛藤がなく、ということは解決もなく、ただ刺激があるだけである。

筆者は「こんなもんに胸をキュンキュンさせている奴は、よっぽどの恋愛飢餓で(後略)」と書いたが、これは勿論、恋愛未経験者(処女/童貞性)を指しているのではない。
 生まれてから一度も飯を食ったことがなく、飯というものの存在すら知らぬ者には、おそらく飢餓感はない(そのかわりに気がつく前に死亡するが)。
 あらゆる飢餓感は、喪失の結果だ。恋愛飢餓は、過去に恋愛を貪り、現在は貪れなくなっている者こそが重症化するのである。古いネット的な言い方をすれば、ガチンコの飢えは、かつてリア充だった者の特権であり、最初から獲得していない非リア充の半端な飢えとは比べようもない。
 この、図ったのか図らなかったのか判然としないまま、マーケティングで大勝利を収めた本作の構造(後略)

と、徹底して容赦ない。そして、棘のある粘着質な文章は嫌いですが、書いてある内容には頷かざるを得ない。


確かに、オープニングのシーンで度肝を抜かれ、後は「あの刺激をもう一度くれ」というジャンキー的な目線で本作を見ていたかもしれません。もう一度見たらこれらの指摘部分が気になって無邪気に「面白かった」と言えないかもしれません。


でも、私が最初に見たときの感動はウソではないし、それはこれらの批評を読み聞きしたあとでも変わりません。「そういう見立てもあるのか」という知見の幅を広めることに役立っても、最初の感動が「間違っていた」とは思いたくありません。
でも、そうか、そうなのか…。


と思っていたので、2回目を見てきました。あの陶酔はチャゼル監督の魔法だったのか、麻薬の甘美に騙されているのか。第一印象の魔法が解けるのは怖いですが、この批評の内容に納得した私は上辺以外見えていなかったのではないか。
その真相を確かめるため、特派員はジャングルの奥地へと向かった。


解けませんでした。
前回はだいぶ前の客席で見ていてオープニングのミュージカルシーンでKOされてしまい、その後は陶酔のままエンディングを迎えたのですが、今回はあらすじも分かっているし後ろ側の席で映像に圧倒されないよう準備万端で臨み、鑑賞しました。その結果、いい作品でした。
私はミュージカル映画を全く見ないのでミュージカルとしての良し悪しは分からないし恋愛映画を全く見ないので恋愛映画としての良し悪しも分かりません。さらに言えば実際の恋愛も経験豊富とは言えませんので、その点でも恋愛部分についてあまり言えることはありません。それでも、「いい作品」だと思いました。


ミアはカフェの仕事に不真面目だしセブは無駄なこだわりを持っている。ミアのオーディションが上手くいかないのは彼女の演技力の無さなのか審査側の見る目の無さなのか分からないし最終的にオーディションに合格したのも何かが変わったからではない。一人芝居に失敗して落ち込むのも、無名の女優が勝手に一人芝居して満員になるわけないのだから当たり前。セブはジャズ以外の音楽を認めないのであればそれ以外の仕事は断るべきだし、生活のために引き受けるのであればプロとして全うすべき。
二人の成功は何か気づきやきっかけがあったわけではないのでカタルシスがない。第三者の叱咤激励があるわけではなく、物語は完全にこの二人の中だけで完結している。


分かります。全部その通りです。そしてこのドラマの陳腐さと理屈のなさをミュージカルシーンで帳消しにしているだけ、というのも分かります。成功の理由がないのでカタルシスがないと書きながら実際映画を見ている間はずっとワクワクしているのは、ミュージカルシーンの素晴らしさ(曲の良さと映像の良さと撮影の良さ)で下駄を履かされているということも分かります。
理解はしているのですが、実際ワクワクしたんだから仕方ない。魔法と言われたって麻薬と言われたって、そう思った私の感想は私のものだ。


初見のときと考えが変わったのはラストの「あったかもしれない未来」の部分。あれはセブの妄想であって、ミアはあんなこと考えていないですよね。男は過去を引きずり女は今を生きる。
宇多丸さんのラジオでも「もしかしたらミアはあの過去は『黒歴史』として自分の記憶から消している可能性がある」と言っていましたが、私も賛成です。それが本当かどうかは分かりませんが、それくらいセブとミアの「あの頃」の思い出の価値は違うんだろうな、と。
ラストの二人の微笑みも、ミアは「あなたの夢が叶っておめでとう。私も何とかやっているわ」というエールの意味で、セブは「何とか夢は叶えたけど君がいないのは寂しいよ」という強がりの意味に思えました。


結局、私はチャゼル監督の魔法にまんまとしてやられたわけで、それは批判的な意見を目にした後でも変わらないということはやはり魔法なわけで。魔法の8割は監督の手腕、残り2割はエマ・ストーンの表情なんだけど。


世間が絶賛しているから批判しにくいという空気はよろしくない。感想は素直に言うべき。それに対する批判も自由に行うべき。それはその人の感想なのだから、正解も間違いもない。あなたはそう感じましたか、私はこうでした、でいいいのです。
素晴らしい批評は自分の意見と違っていても納得するものです。ただし、それは自分の理解の幅を広げるもので、自分の感想を訂正するものではありません。自分の意見も他人の意見も尊重してこそ作品の隅々まで味わうことができるのです。


Ost: La La Land

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ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

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Ost: La La Land

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ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック(スコア)

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