やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

尾崎豊はいいタイミングで亡くなったのか

4月25日は尾崎豊の命日です。今年で没後25年。26歳で亡くなった彼の息子はもう27歳です。自分語りは寒いことは分かっていますが、書きます。


私が尾崎を知ったのは中学生の頃。今のようにネットですぐに相対化されたり「ダサい」などの揶揄などがない時代、無垢な童貞中学生は簡単にはまってしまいました。
その頃ギターを始めたので、もちろん尾崎も弾いていました。尾崎の曲って、コード簡単なんです。『Scrap Alley』のAメロなんてC→Am→F→Gという王道中の王道。曲を作り始めて最初に作るやつだ。それでも凡庸ではなく名曲を作るのだから、やはり彼は才能がある。
その他の曲も、ベタなコード進行やメジャー・マイナー・セブンスくらいしか使わないサウンド。これは単純に尾崎に音楽知識がなく、ギターしか弾けないためだと決めつけていますが、たぶん合っている。もし蔦谷好位置さんや亀田誠治さんがプロデュースしたらもっとおしゃれコードで曲を飾ってくれたと思いますが、それだと尾崎の曲にならなかった。結果、須藤晃プロデュースは正解でした。


ちょっと話は逸れますが、メロディを作る才能って、知識や技術もあった方がいいですがやはり圧倒的に「才能」なのです。知識や技術があると「こういうイメージの曲を作ろう」とイメージに向けた曲を作ることができますが、才能はそういう設計図やゴールイメージを超越した曲を作ることができます。ビートルズだって最初から名曲だし、Coccoやドリカム吉田さんはアカペラで歌ってそれを根岸さんや中村さんがコードを付けていくというやり方。才能はあらゆるものを超えていく。尾崎の曲がベタなコード進行でも名曲なのは、彼に才能があったからです。
3rdアルバム『壊れた扉から』の最終曲『誰かのクラクション』ではG→A→Am7→Gという永遠に続けられる循環コードでアルバムラストの雰囲気を出しています。才能が知識や技術を学習してきた!


その後私は大学に入り、春のバタバタが落ち着いた頃に「そういえば私は尾崎のファンだからファンクラブに入ろう」と突然思い立ち、封筒や便せんを用意して必要事項を書き、さて投函と思ったところで切手を忘れたことに気が付きました。しかたない、明日買ってこようと思い、布団に入る。
で、翌朝起きて新聞を開いたら「尾崎豊死亡」…!!!!
何だこのめぐりあわせ。そんないいタイミングあるかよ。死んだ日に私はファンクラブ入会の準備をしていたのか。
それでもこのままももったいないのでファンクラブ入会の申し込みは行い、しばらくは会員でした。


尾崎死去後に『放熱への証』が出たのですが、これが私は全然はまらず、当時は「いいタイミングで死んだな」とさえ思っていました。そして熱は冷め、つまらない大人になっていきました。


そしてさらに数年後、久々に尾崎を聴いたら「えー、こんな音だった?」ということにいちばんびっくりしました。スネアのリバーブ、ボーカルのエコー、ギターのシャリシャリ感。全体的にドンシャリとリバーブの音像、つまりは80年代の音でした。中高生だった当時の私は歌詞とメロディしか聴いていなかったんだなーということにびっくりしました。
でも、やはり彼の声はいい。強いのにきれい、荒々しいのに優しい、シャウトで吠えているのに泣きそうな声。やはりこの声は武器であり才能だ。


尾崎の死後、未発表曲やライブ音源や複数枚のベストアルバムが出ましたが、私はどれも聴いていません。遺産商売に乗ることはできませんでした。


そして25年。生きていれば彼は現在51歳です。10代のカリスマがどのような中年時代を過ごしただろう。以前の私はそれが嫌で「いいタイミングで死んだ」と思っていたのですが、同い年の岡村靖幸・吉川晃司が今でも現役で、出す音もかっこよく、さらに見た目もかっこいいのを見ると、尾崎も今の時代に音楽を続けていたら当時とは全然違う、しかし通奏低音は共通の音を生み出していたかもしれません。


あー、見たかった。あれだけの才能が26歳ですべてを出し尽くすなんてことはないのだ。「死ぬいいタイミング」なんてないのだ。
そして、今の時代だったら岡村ちゃんや吉川さんと共演することもあったかもしれない。未来はいつでも面白い。(©太田光


十七歳の地図

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回帰線

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壊れた扉から

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誕生

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