やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

テレビの笑いは更新していく

笑えることは、いくらでもある。


年末の『笑ってはいけない』の中で浜ちゃんのエディー・マーフィーのものまねを「黒人差別だ」と言う人たちがいて、話題になっています。
私はあれは「エディー・マーフィーのものまね」であって「黒人差別」ではないと思っています。「傷ついた人がいた」という意見には「そう思った人もいるかもしれませんが、勘違いですよ」という意見です。「傷ついた」は何でも許される魔法の言葉ではない。文脈をきちんと理解して、発言してほしいです。


もちろん、黒人に限らず人種や属性の違いを差別することは許されません。ただし、やったことが差別に当たるかはきちんと見極めなければなりません。
数年前、バカリズムが出ていた航空会社のCMで白人の扮装で付け鼻をしていて問題になり、すぐお蔵入りになりました。あれは、白人の魔女鼻をイジる笑いだったのでアウトです。昔の欧米の映画で日本人を一重メガネ出っ歯に描いていたのも、日本人の身体特徴をイジる表現なのでアウトです。先日の保毛尾田保毛男はゲイをイジる笑いだったのでアウトなのです。
人種や属性の違いをイジる笑いは現代では認められないのです。
で、今回の浜ちゃんの扮装は上に書いたように「ものまね」なので、黒人差別には当たらないというのが私の考えです。


といろいろ書きましたが、今回の本題は差別問題ではなくテレビのお笑いについて。
shiba710.hateblo.jp
この記事にほぼ同意なのでもう私が書くことはあまりないのですが、書く。


上の記事についてはほぼ同意ですが、

いい大人がケツを叩かれたり蹴られたりしているのを見て「あれ? なんでこの絵を見て笑えてたんだろう?」と思ってしまった

については反論。あの番組で笑うところはケツを叩かれるところではなく、その前のネタの数々の部分です。ケツを叩かれるのは次のネタに行くための空気の作り直し。アンガールズの「ジャンガジャンガ」のような、ショートコントのブリッジの効果です。
笑えなくなったのは、単に慣れと飽きだと思いますが、いかが。


私は2013年に
ese.hatenablog.com
というエントリを書きました。この頃からもう悪口での笑いは嫌だなーと思っています。
この中で『ロンハー』『アメトーーク』は違う、と書いてありますが、ここは今と考えが違いますね。
今は『ロンハー』は見ていないのでどんな内容なのか分かりませんが、『アメトーーク』の「マセキ三兄弟」は、好きではありません。人の「できない」を笑うのは笑えない。
でも、「運動神経悪い芸人」は笑うんだよなー。これも人の「できない」を笑う笑いですが、笑ってしまう。
何が違うんだろ。


もうひとつ、こういうエントリを書いたことがあります。
ese.hatenablog.com
これは今からちょうど一年前です。ここでは、「不謹慎な笑いはよくないが、それでも笑ってしまうことはある」ということを書いています。
そうか、だから「運動神経悪い芸人」は笑っちゃうんだな。で、「マセキ三兄弟」は九九のくだりとか何回も同じことをやらせるから笑えないんだな。


アンタッチャブルザキヤマはとても面白いですが、イジりがしつこすぎて笑えないことがよくあります。あんなことやられたら私もキレるわー。『おじゃマップ』とかだと違うのかな?最近『アメトーーク』に出ていないので最近のザキヤマのボケをよく知りませんが。


話を最初の柴さんの記事に戻す。

マイノリティーを見た目や行動で「いじる」という芸は、どんどん笑えなくなってきている。騒がれて問題になるからとか、最近は表現規制が厳しいからとか、そういうことではなくて。デブもハゲもそうで、とにかく「変わっている」ということを指摘して笑いにつなげるような作法の有効性が減ってきている。

同意です。もう「イジる」とか「違っている」ことを指摘する笑いは、笑いにくい。規制のせいではなく、私たちの感性が昔と違ってきているので、昔と同じ笑いでは笑いにくくなっているのです。
それでも上記のように笑ってしまうことはあるし、番組側もそれを使いたい。そういうときには非常に慎重な配慮が必要となります。
その辺を、今一番攻めている番組『水曜日のダウンタウン』は上手いなあと思うのです。
VTRのひどいナレーションを松本さんがツッコむという構図もそうだし、たまに「いい話」を入れてくるのも上手い、憎い。


この番組の藤井健太郎さんは『クイックジャパン』のインタビューで保毛尾田保毛男の件について

「ふざけんな」の声があっても「面白い」が同じくらいあれば、そんなに気にならなかったのかもしれない。面白さに対しての不快さが勝りすぎちゃったのかなっていうのはありますよね。

と語っています。そう、面白いは武器なのだ。『水曜日のダウンタウン』はひどいことをいろいろやっても、それを上回る面白さがあるからあまり大ごとになっていないのだと思います。
藤井さんエントリ↓
ese.hatenablog.com
水曜日のダウンタウン』エントリ↓
ese.hatenablog.com
前回の2時間スペシャルもめちゃめちゃやってくれてまさに「笑えないほど面白い」だったのですが、それでも「フューチャークロちゃん」はちょっと「面白さ」と「不快」のバランスが拮抗した感じがしました。


クロちゃんに対して酷いことをするのは確かによくないことですが、これまでのクロちゃんのウソつきの数々や何も反省しない「モンスター」っぷりと、これまでの番組の在り方に調教されてきた私たちファンとの共犯関係により、この企画は成立しています。
それでも、落とし穴があることが分かっているのに落ちにいくクロちゃんは哀しい。その後のさえちゃんのくだりでも取り戻しきれませんでしたよ。
そして、大オチの「吊り上げクロちゃん」ですが、ここに「理由」がないので少し笑いにくいのです。一応の理由は「10分ごとにウソツイートをしなければひどい目に遭う」ですが、こんなの絶対に続けられるわけないので、理由になっていません。
吊り上げ自体もスタジオをびっくりさせるだけが目的で、吊り上げる意味はない。いや、面白ければ意味なんてなくていいのですが、クロちゃんにひどいことをするのだから、それに対する「大義名分」は必要です。それが「ウソツイートしないと~」では弱い。クロちゃんはクズだから、も理由にならない。
それでも番組を見たときはびっくり&恐怖&大爆笑で、こんなことを思ったのは見終わってしばらくしてからです。まさに「面白さが不快を上回ったからセーフ」です。


それでも、こんな綱渡りはとてもリスキーだし(でもこの番組はこの姿勢で作り続けてほしい!)、誰でもできることではありません。
明文化された規制ではなく、私たちの意識の変化による笑いのツボの変化は、もう不可逆なものです。芸人のネタも番組の作りも、それに沿ったものでないと受け入れられないようになります。
これは、笑いの選択肢が減ってきているのではなく、新しい選択肢を開拓する時代、ということです。
これについて私は何も心配していません。番組の制作は作っている人がおっさんだったり視聴者が年配だったりするので時間はかかるでしょうが、芸人については何も心配していません。
だって、芸人は「ウケることなら何でもする人」だからです。
テレビで政治ネタがないのは、ウケないからです。ウケるならみんながやっています。なので、これは芸人のせいでなく見ている私たちのせいです。
そして、「イジり」や「違うこと」を指摘する笑いがウケなくなれば、芸人は違うことをやります。笑いは正直なので、自然な浄化作用が働きます。
でも、原始的な笑いとして「人の失敗は面白い」があるので、その「見せ方」については番組側の工夫が必要になります。


何も心配はいらない。未来はいつも面白い。


<追記>
翌日、続きを書いた。
ese.hatenablog.com


文明の子 (新潮文庫)

文明の子 (新潮文庫)