やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画『グレイテスト・ショーマン』 感想

ミュージカル映画だからこれでいいのか、ミュージカル映画だからってそれでいいのか


映画『グレイテスト・ショーマン』を見てきました。公式サイト↓
www.foxmovies-jp.com
私はミュージカル映画をほとんど見ないのでミュージカル映画としての良し悪しはよく分かりません。という前提で感想を書きます。


曲の力、ヒュー・ジャックマンの力で誤魔化されている。物語は凡庸。登場人物も見ている私たちも悩んでいる暇はなく物語はするすると進む。でも曲がいいから…。ミュージカル映画だからこれでいいのか?


編集がいいので物語はさくさく進む(特に前半)のですが、そのせいで(いや、脚本のせいで)何も掘り下げないまま物語は進みます。上っ面だけさらっと流して都合の悪い部分は見なかったことにして。
バーナムの少年時代の男の子がとてもよかった。後の奥さんを笑わせてその女の子の父親から殴られたときの「殴られてしまってびっくり・恥ずかしい・父に恥をかかせて申し訳ない」という気持ちがないまぜになったあの表情。いい。
その後仲を深めて結婚して子供を授かるところまで一直線。フリークスのショーを思いついてから実現するまであっという間。前者はテンポよく感じて、後者は「練習とかないのか!」と思ってしまいました。
そのくせ結婚を申し込むところから既にヒュー・ジャックマンはおっさんだし子供ができて彼の事業がどんどん拡大していっても子供は一切成長しないという物語中の時間経過のなさも気になりました。NHKの朝ドラかよ。


マイノリティが主要人物の映画はいくつもあります。特に近年は差別への意識の変化やポリコレの広まりにより、こういったテーマの作品は増え、その扱い方は慎重になっています。
この作品はそれがテーマではありません。描かれるのはヒュー・ジャックマン演じるP・T・バーナムの半生です。そして、舞台は19世紀なので差別や偏見というものに対して社会はまだ何も感じていない時代です。だってまだ奴隷制が存在している時代ですから。なので、劇中で彼らを見にくる人たちは「怖いもの見たさ」という差別意識をそういう意識もなく見に来ているわけです。フリークスたちを非難する人たちは「差別反対!」「彼らを見せ者にするな!」という人権団体ではなく「あんなキモい奴らはキモいから追い出せ!」という人たちです。繰り返しますが、19世紀だからそれでいいのです。
でも、マイノリティ(この作品ではフリークス)を見せ者としてショーに起用しているわけですから、そこに対する描き方というのは現代にこういう作品を作るにあたって必要だと思うのです。でも、何もない。それはバーナムが劇団員を単なる金づるだと思っていたからでしょう。もしくは「成金=偽物」から「上流=本物」にのし上がるための踏み台としか思っていないから。だから劇中でも彼らをかばう言動が出ない。それどころか「オペラ歌手の歌は本物だ」という発言まであります。それって今自分がしているフリークスのサーカスは偽物だ、と自ら認めていることですよね。
これは、本物のバーナムは多分もっとひどくて、映画にするにあたりマイルドにした結果ギリギリの折衷案なのでは。さすがに真逆の言動をさせられないから。でも、いろいろにじみ出ちゃう。


ヒュー・ジャックマンの魅力によりバーナムは家族思いの情熱家に見えますが、たぶん実際のバーナムは押しの強い剛腕な人だったんだろうなー、あのオペラ歌手と(そしてその他の女性とも)関係あったんだろうなーと勝手に推測しています。
このお話を「村西とおる物語」だと思うといろいろすっきりする。あの時代に誰もやっていないことを始める先見の明と実行力。周りの蔑みの目に負けないメンタル。全財産を失ってもめげない情熱。違うのは「成金でなく本物になりたい」と村西監督は思っていないところですね。


話が逸れた。お話は薄いし現代の感覚からすると応援しにくい主人公ですが、それでもやっぱり曲の力で感動させられちゃう。くそう。上にも書きましたが誤魔化されている。でも、曲はいい。悔しい。
エンドロールで『This is me』ともう1曲(忘れた)がもう一度流れるので、上に書いたようなモヤモヤは一旦忘れて「いい映画だった」と思ってしまうのです。くそう。怒っていてもおっぱい触れば忘れちゃう私のような奴はイチコロだ。そして賢者モードになったときに思い出してあれこれ考える。


というわけで、映画としてはイマイチですが、満足感はとてもあるという不思議な作品でした。


グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)