やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「話が通じない」は「コンテクストが違うから」。コミュニケーションの話。

話が通じないのか、話を伝えてないのか


Twitter上では「最近の若者は」「老害が」「うちの旦那は」「嫁が」「部下が」「上司が」というやり取りが毎日繰り広げられています。もちろんそれはTwitter上だけでなく、世界中のあらゆる場面で「あいつは分からない」「なぜ分からないんだ」「こっちが正しいのに」は起きていて、極論すればそれが戦争の原因ですらあります。
で、先日研修会に参加して、そこでコミュニケーションについて少し学びました。そこで感じたことをいくつか書きます。


「コミュニケーションが得意」というと「プレゼンが上手い」「初対面でも気軽に話しかけられる」「相手を理解できる、もしくは理解させる」ということだと思われますが(私もそう思っていた)、そもそもコミュニケーションとは「影響を与え合うこと(相互作用)」なので、上記についてそれが苦手でも、それすら相手と「私は初対面の人と話すのが苦手だ」というコミュニケーションを行っていることになるのです。
なので、「コミュニケーションが得意」というのはとても限定された意味でしかないのです。


また、円滑なコミュニケーションができるのは、前提として多くの「当たり前」が共有されているから円滑に進んでいるように見えるのです。それは文化的・社会的な常識であったり地域や会社や業界内部での常識であったり法律や決まり事といった規範であったり。
そして、それらの多くはマジョリティが「当たり前」を作っています。中国人や韓国人とは常識が違うからコミュニケーションできない?それは私たちと「当たり前」が違っているだけです。それを前提に、コミュニケーションとりましょう。


コミュニケーションの「相互作用」「相互理解」は、会話や表情やしぐさや言い方などあらゆるチャネルを用いて相手とやり取りを行います。そのとき、会話の言葉自体は大きな意味を持ちません。メラビアンの法則では話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であると言われています。言葉以外の要素の方が大きいのです。
ここで重要なのが「コンテクスト」です。日本語では文脈・状況・背景という意味です。同じ言葉でもコンテクストが違えば意味は変わってきます。
明日晴れるかな」だって、遠足に行きたい子供は「晴れてほしい」という意味で使うし、体育祭に出たくない子供は「晴れてほしくない」という意味で使います。コンテクストで意味が決まるのです。


コンテクスト度が高い(ハイコンテクスト)コミュニケーションは、言外に多くの意味を含んでおり、それは表現の絶妙な塩梅や相手に対する忖度や京都人の嫌みなどとして現れます。
逆にコンテクスト度が低い(ローコンテクスト)コミュニケーションは、公園の注意書きや法律など、誰が見ても同義に解釈する書き方とその理解です。


コミュニケーションは言語だけではなくコンテクストが重要で、そこにも様々な幅があるのです。
講師が言っていた例を書きます。
レストランのメニューに「サーモンの△△風□□焼き」とあったので若い女性店員に「これ、どういう料理なの?」と訊いたところ、「私、よく分かんないです」と答えられました。回答になっていませんね。でも、彼女は「訊かれた→自分では分からない→分からないと正直に答えた」つもりなのかもしれません。訊いた側は「分からないなら先輩などに訊いて教えてくれよ」と思っているのに。
そこで「厨房に行って訊いてきてよ」と伝えると、彼女は戻ってきて「サーモンと野菜を焼いたやつらしいです」と答えました。全然答えになっていない。質問者が何を訊きたかったのか、何を知りたかったのかを理解していません。


別の例。日本料理屋で出されたお味噌汁がしょっぱかった。そこで若い男性店員に「これ、いつもよりしょっぱくない?君、厨房に行って飲んでみてくれ」と伝えたところ、「いや、勤務中なんで」と言われたそうです。
「飲んでみてくれ」は「味を確認してくれ」という意味なのですが、彼にとっては「勤務中につまみ食いするなんてできない。だって僕は働いている最中だから」という意味で捉えました。


この例は「最近の若いもんは」というくくりになりそうですが、そうではないです。これは年齢も立場も違う全くの他人に対しハイコンテクストなものの言い方をしたこちら側が悪いのです。そういう状況で、しかも相手が文脈まで察してくれそうにない(そもそも文脈は相手と一定の相互理解があって、かつ前後の流れも分かっていて初めて理解が可能なものだ)のなら、こちらが相手に分かる言い方で伝えないとコミュニケーションは円滑に進まないのです。「伝わるだろう」「何で伝わらないんだ」という一方側だけの「当たり前」では伝わらないのです。伝わる言い方でようやく伝わるのです。


そうなのだ。コミュニケーションの齟齬のほとんどは「コンテクストの違い」なのだ
ほとんどの人はハイコンテクストで発信し、ローコンテクストで受信します。だから伝わらないし、間違って受け取ってしまいます。「相手に伝わらないかもしれない」「相手に伝えたい」のならローコンテクストを意識して発信しなければならず、「相手の言いたいことを汲み取ろう」「分かりたい」と思うならハイコンテクストを意識して受信しなければなりません。
みんな、それができていないから勘違い、誤解、諍いが起きるのです。


そもそもTwitterなんてそれぞれの「つぶやき」なわけで、他人からすると文脈を意識するのは難しいです。また、直接の知り合いでなくてもFF同士であればその人がどんな人なのか何となく分かってきます。そこには文脈が発生しますのでコンテクストを汲み取った受け取りができますが、FF外の人にとってはそれは難しいので、トンチンカンなリプが飛んでくるのでしょう。
これはTwitterでは仕組み上仕方ないことなので、今日もクソリプは生産されていくのです。


それでも、相手に伝えることを考えれば、コンテクストの違いを意識して会話するはずで、それができない上司はやはりダメです。


「弁当買ってきて→お茶も一緒に買ってくるのが当然だよな」はダメなのです。目の前の部下は連想ゲームをしているわけでも超能力を持っているわけでもありません。相手に理解できる言い方をするのが会話の作法です。「お茶も一緒に~」はコンテクストを共有できる仲になってから要求しましょう。
子供が母親に向かって言う「ママおんぶ」は「我は長時間歩いて足が疲れ、母親にも甘えたくなってきたし、うっすら眠たいのでおんぶしてほしい」という意味ですが、このハイコンテクストな一言を母親は理解して「でもママは荷物を持っているしもうすぐおうちだからもうちょっと頑張って歩こう」と言うのです。本心では「重たいから嫌だ」ですが、それをローコンテクストに変換してこのように言うのです。相手の言いたいことを理解し、相手に理解してもらうためにどう言うか。それがコミュニケーションです。


ローコンテクストを意識して書きましたが、伝わったでしょうか。もし伝わらないのであれば、それはあなたのコンテクストが低いわけではなく、単に私の文章能力が低いからだと思います。


コンテキスト思考―論理を超える問題解決の技術

コンテキスト思考―論理を超える問題解決の技術

ことばの意味とは何か―字義主義からコンテクスト主義へ

ことばの意味とは何か―字義主義からコンテクスト主義へ