やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

あいみょんの良さが分からない

言葉にできない


日本の1億人が思っている通り、あいみょん『瞬間的シックスセンス』は素晴らしいアルバムでした。
そこで、このアルバムの素晴らしさを、あいみょんのすごさを書きたいのですが、言葉が出てこない。素晴らしいのは分かるけど、どこがどう素晴らしいのか、きちんと言語化できないのです。
彼女のインタビューを読んでも分からない。特別すごい人生を送ってきたわけでもない。使命感や野望があるわけでもない。曲を通じて訴えたいメッセージがあるわけでもない。アルバムに込めたコンセプトがあるわけでもない。インタビューでも見出しに使いたくなるような強いパンチラインは出てこない。


分からない。こんなに素晴らしいシンガーソングライターなのに、語る言葉が出てこない。
それでも、何か書こう。彼女の素晴らしさの一部でも、私の文章で言語化できたらそれで十分です。


あいみょんは歌詞も曲も声も歌唱力もビジュアルもキャラも言動もそれらを打ち出すアートワークもどれも素晴らしいわけですが、なんといっても「曲・メロディ」ですよね。
なぜ彼女の作り出すメロディは素晴らしいのだろう。使っているコードは簡単だしコード進行も王道そのもの。名曲『マリーゴールド』で使われているコードはたったの5つ。それも「C・G・Am・Em7・F」(カポ2で)という、ギター初めて1週間で弾けるコードばかりです。こんな誰もが思いつく、誰もが弾ける、誰もが使い古しだと思っているコード進行で、誰も思いつかないのにみんながいいと思うメロディを生み出しているのです。
※この辺の秘密には『カセットテープ・ミュージック』でスージー鈴木さんやマキタスポーツさんがよく言っている「ソ#」「ミファミレド」などがあるのかなあ。この番組は80年代縛りだけど、いつかあいみょんの秘密を紐解いていただきたいです。


人間の歌えるメロディ展開には限りがあるし気持ちいいと思うコード進行も限られている。そしていいメロディは過去からどんどん発見されていき、もう「新しいメロディ」なんてない。
だから最近はリズムを強化したり転調を多用したりコード進行に工夫を凝らしたりして「新しいメロディ(っぽいもの)」を生み出そうとしています。
その結果EDMやボカロや最近のアニメ・アイドル楽曲等が生み出されたりブームになってきたわけですが、結局あいみょんのような天才の前にはそんな小細工は簡単に吹っ飛んでしまうのです。


身も蓋もない言い方ですが、天才の前には凡人の工夫なんて足下にも及ばないのです。


『関ジャム』や『亀田音楽専門学校』などで紹介されてきたプロデューサーの技の数々は、凡人の60点を70点に、70点を75点にするだけの技で、あいみょんは最初から95点100点120点の才能なのです。勝てない。
そもそも、『瞬間的シックスセンス』というアルバムやここに収められている曲は、アレンジの洗練と豪華さや歌詞の変化(年齢が変わるので書く内容も変わるのは当然)はあるものの、曲そのものの良さはインディーズ1枚目から変わってなくないですか?天才は最初から天才だ。


あいみょんはよく「90年代っぽい」と言われていますが、私はそうは思いません。「普遍の才能」だと思っています。彼女の登場が90年代だったとしても2010年だったとしても2025年だったとしても、いつの時代でも世間のど真ん中に届き、売れたと思っています。それはリズムやアレンジに関係なく、メロディそのものがよいから。
だから、今の若者にもおっさんにも受けたのだと思っています。


もうひとつ、あいみょんがヒットしたのは「日本らしさ」があるからではないかということ。70年代歌謡曲から浜田省吾などの80年代日本のロック、そしてスピッツandymoriなどの90年代以降の音楽に連なる「洋楽を咀嚼した日本のメロディ」の継承者であると思うのです。
同じように現在ブレイクしている星野源や米津玄師は最新の洋楽にもアンテナを張って、それを自分の音楽に還元していますが、あいみょんから洋楽の話を聞いたことがない。まったく聴いていないとは思いませんが、彼女のアウトプットに直接影響を及ぼしているほど割合は大きくないようです。
だからこそ時代・年代を問わず日本でヒットしているのではないかと。


しかし、こんな簡単なコードやコード進行ばかりだと、そのうちネタ切れしてしまうのではないか?と思いましたが、そんな心配は不要です。草野マサムネ甲本ヒロト真島昌利長渕剛中島みゆき等々、天才は簡単なコードで何十年にも渡り名曲を生み出してきました。そんな凡人の心配はご無用です。


こんなに書いてきて、何も書いてない。なぜ彼女の作るメロディは世間のど真ん中に届くのか、何も分からない。どなたか、解明して。


続いて、歌詞の話。
あいみょんの歌詞が素晴らしいのは「具体的に書きすぎないところ」です。最近のJ-POPは「青空は青い」「りんごは赤い」みたいな、「そのまま」の歌詞が多い。解釈のしようがない。行間を読むことをさせてくれない。これだと想像の余地がないしその状況や主人公以外の人は共感もしにくい。
もうひとつは「翼広げて」「扉開いて」「歩きだそう」「そのままのキミでいて」みたいな、「何か言っているようで何も言ってない歌詞」も多いです。こういう手癖と手垢にまみれた歌詞で誰が感動するのか。あいみょんにはそういう歌詞がない。
※と思っていたのに、今作『あした世界が終わるとしても』では「翼広げて」が登場してた!悔しい!


「歌詞表現」とはりんごを「りんご」と書かずにそう理解させることだと思っていて、俳句なんてまさにその極み。17音しかないので余計な言葉は削ぎ落とし、語らずとも理解させる・感じさせるのが良い俳句。ポップソングの歌詞だってメロディに対して割り当てられた言葉数はあまりにも少ない。そうしたら「書くべき言葉」だけで書かなければ、描ける世界や内容はとても狭くなってしまう。
※そういう意味で、ポップソングの歌詞とラップのリリックは別物であることが分かる。
そこで比喩表現や抽象化が必要なのですが、あいみょんはそれがとても上手い。こういうのは本をたくさん読んできたからなんだろうなー。そのものズバリを書かずとも分からせる比喩表現や抽象化することにより誰にも当てはまる(自分の歌だ!と思わせる)曲に仕立てる。
※「抽象化」は「具体化」の反対語なので「ぼんやりする」と思っている人がいますが、違います。「本質化する」という意味で、「具体化」だとその1例にしか当てはまらないが、「抽象化」することにより幅広い物事に当てはめることが出来るようになるのです。
そういう抽象化をしつつ、キラーフレーズを入れるコピーライターの才能もある。すごい。


あと、彼女の歌詞は「あいみょんの思うあれこれ」「あいみょんの主張」でないことも大きい。ストーリーテラーとして歌詞の物語を紡いでいるので、歌詞の主人公には聴いているあなたがなることができる。もちろん長渕剛の「オレの生き様」だって尾崎豊の「俺の苦悩」も素晴らしい表現で、だからこそ彼らはカリスマになったわけですが、あいみょんはそうではない。これは現代に合っている歌詞のあり方であり、ミュージシャンの立ち位置ですね。


ビジュアルについては大きなお世話ですが、「美人過ぎない」のがいい。美人・可愛いが過ぎるとアイドルっぽいファンの付き方にもなるので、こういう才能のあるミュージシャンにとってその評価は邪魔です。しかしこれもまた失礼な言い方ですが、ブス過ぎてもダメなわけで、そういう意味で「ちょうどいい」。ああ、何だかとっても失礼な感じがする。ごめんなさい。
※個人名は出しませんが、あいつイケメンなだけだろとかあの人もっとイケメンならもっと売れたのに、と思う人(男女問わず)はたくさんいます。仕方ないけど、歌の世界でも外見は大事な要素なんだなー。
そして、基本ロングストレート(細かい変化はある)であり常にパンツスタイルという一貫したビジュアルコンセプトなのもいい。オシャレさをキープしつつ、認知もされやすい。


というわけで3,500字以上書いてきましたが、何も解明できませんでした。圧倒的な才能の前には凡人の考えなんて及ばないんだ。あいみょん、あなたはすごい。


あいみょん過去エントリと関連エントリ(右のカテゴリからも見てください)
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