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映画『天気の子』 感想

寄り切りで新海監督の勝ち


映画『天気の子』を見てきました。公式サイト↓
tenkinoko.com
私は、新海誠監督のファンではありません。前作『君の名は。』しか見たことがありません。そもそもアニメをまったく見ません。
前作『君の名は。』は「んなこたない」の連続に乗り切れず、あまりいい感想ではありませんでした。
ese.hatenablog.com


で、本作。


前作と同じくずーっと乗り切れなかったのですが、ラストで監督に寄り切られた。そりゃおかしなことはいくつもあるけど、「まあ、よしとしよう」と思ってしまいました。新海監督に寄り切られた。


でも、ラスト以外は文句の方が多いです。


主人公帆高は、バックボーンがまったく描かれないため、どんな人間なのかが分かりません。生い立ちや性格描写がないので、その言動が彼の性格と一致しているのか一貫しているのか、見ている私たちには分かりません。なので感情移入がしにくい。
新海監督は「トラウマで駆動させる物語にはしたくなかった」と語っていますが、背景ゼロでは想像もくみ取りも難しすぎ。帆高の顔の傷は学校でのイジメなのか親からの虐待なのか。親は両親ともいるのか片親なのか。東京に来てからも親からの電話は一切ありませんがどういう関係性なのか。
それが分かっていると分かっていないとでは、彼の見え方も違ってきます。両親がいないという陽菜の状況に対して彼が思うことも、彼の状況によって違ってくるでしょう。虐待をする両親ならいない方がマシなのか、あまり恵まれた家庭ではないけど自分には家族がいるだけマシだな、とか。その辺を一切描かないので、描かれている状況では彼の感情が分からないのです。
あ、そうだ、もうひとつ。オープニングの船のシーンで、帆高はあえて甲板で雨を浴びてはしゃいでいましたが、あれはどういうことですか?誰か教えてください。


私が中盤以降までずーっとイライラしたのは「んなこたない」と「世界狭すぎ」と「大人の不在」です。
順に書く。
<んなこたない>
マクドナルドでアルバイトの女の子にハンバーガー奢ってもらうなんてない。
●その子と再会するなんてない。
●からまれたスカウトの男に再会するなんてない。
●そのスカウトが少年のことを覚えているなんてない。
●そのスカウトがあのバイトの女の子を連れている偶然たるや。
●「よろしくね、少年」なんてない。
●簡単に女の子の家に行けるなんてない。
●ご飯を作ってくれるなんてない。
●高校1年生がイチからホームページ作れるのは普通?
●銃が捨ててあるのは百歩譲っていいとして、ブローバックした状態(引き金を引けばすぐ弾が出る)で捨ててあるなんてない。
●「晴れ女」ビジネス、すぐにマスコミが食いついてくるだろ。
●ラブホで隣で寝てムラムラ描写ゼロなんてあるのか。
●線路にいる作業員は帆高が走り抜けるまで存在に気づかないの?
●警察さすがに無能すぎだろ。
●中学生と18歳の違いは分かるだろ。


<世界狭すぎ>
上とダブりますが、
●再会しすぎ
●覚えていすぎ
●バスで見かけた子供が陽菜の弟
●「晴れ女」のお客が圭介


<大人の不在>
●何も語られない帆高の両親。息子が家出しても電話に連絡もない。存在が消えている。
●実際に両親のいない陽菜の両親。
●大人になりきれていない圭介。
●「大人・社会」の立場であるはずの警察の無能さ。機能していない。
●3年後の「あの世界」でも政府や社会としての動きは見えない。ただただ沈没しているだけ。


それでも、ラストで私の気持ちは新海監督に揺さぶられるのです。
ラストの帆高の決断に対し、あれを「間違っている」と批判する人もいますが、これはフィクションです。その決断・行動自体に「正しい/間違っている」という批判は意味を持ちません。このフィクションの中で彼はこういう決断をした、という事実だけです。その行動に筋が通っていれば、それでいいのです。


「晴れ女」ビジネスを始めたせいで陽菜は人柱としてその存在を失わなければならなくなった。その責任を感じ、また「好きな女」のために行動する。行動原理は「社会・世界のため」ではなく「この子のため」。
宇多丸さんは『ムービーウォッチメン』で彼のことを「ミスター一人相撲」と批判していましたが、彼は彼女を「晴れ女」ビジネスに誘ってしまった負い目があるし、結果として逮捕・保護観察処分になるという代償も払っていると思うのですが。
そうであれば刑事にも銃を向けるし世界も沈没させる。今の自分にとって大切なのは世界や社会や正義や倫理ではなく、目の前の君だ。
そして世界が沈没したあとでも君がいれば「大丈夫だ」と思うのです。まだ18歳だから。


「世界なんてもともと狂っている」「お前のせいじゃない」「昔に戻っただけ」は帆高を許す優しい言葉でありつつ、「セカイ系」の否定でもあります。しかしそれを「いや、俺は自分の意思で世界を変えたんだ」と明確に宣言する帆高。
それでいい。世界なんて知ったことか!


このラストは、前作の大ヒットがあったからできる余裕でもあるし、反動でもあります。


私はこのラストを支持するのですが、「今どきの若者」はどう思うのかしら。
「何かを犠牲にして勝利を得る」「正義のために少しの犠牲は仕方ない」は少年漫画の王道パターンだし基本の精神性だと思うのです。「ここは俺が食い止める。お前たちは先に行け」みたいなやつ。『エンドゲーム』のソウルストーンもこれですね。
また、今どきの若者は「ものすごく正しい」「倫理的に潔癖」なイメージがあるので、警察署から脱走したり刑事に銃を向けたりするのはどう見えたのでしょうか。


逆に、今どきの若者は生まれたときから低成長の時代を生きており、「社会が良くなる」をイメージしにくいのかな、とも思うのです。
また、「ナンバーワンよりオンリーワン」「社畜より自分のやりたいこと」「自分らしく」という価値観で育ってきたので、自己犠牲という概念も支持しにくいのかな。
そして、自己責任論という価値観も根強いので、「他者より自分」「自分さえよければ他は知らん」と思っている人も多いはず。


ここまで完全に私の想像の「今どきの若者」像ですが、帆高の劇中の行動とラストの決断はどちらの要素もあって、どのように捉えているか気になるのです。


今回は新海監督の腕力に寄り切られてしまいましたが、基本はたぶん合わない。それでも、「あそこどういうこと?」「あれはこのメタファー?」とかを語りたくなる映画には、力がある。
しかし私にはそんなことを語り合える友達がいないので、ここに書きつけるだけだ。


小説 天気の子 (角川文庫)

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天気の子

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