やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』とその他の話

映画と原作と『ラブアクチュアリー


映画『アイネクライネナハトムジーク』がとても素晴らしく、これは原作も読みたいと思い、昨日買ってきて今日読み終えて今ブログ書いている。普段ものぐさなくせにこういうときだけ行動が早い。
映画の感想はこちら。
ese.hatenablog.com
小説の方は連作形式で、それぞれの話は少しずつリンクしてあるけど全部を絡めた構成ってほど密接ではないという関係性。
私は先に映画を見ているので、どうしても映画でも登場したセリフや映画と違う部分に目がいきがち。そのため素直な評価はできないし、見る・読むの順番のせいもあるけど、映画のまとめ方の上手さに感心しました。


そもそも、映画版の主役の一人である多部未華子さんが演じる紗季ちゃんなんか、ほぼ登場しません。出会うところまで。名前すら出ません。映画のクライマックスである「10年間付き合った彼女と結婚するのか」というエピソードはありません。
そうかー。
私は映画の感想の中で「何も起きないのに奇跡しか起きない」と書きましたが、こうやって原作と比べると、映画の方が明確に山(クライマックス)を用意しているのですね。まあ、1本の物語(それも恋愛映画)を作るならこういう工夫は必要ですよね。


原作(小説でもマンガでも)を映画に起こす場合、そのまま映像化したのでは2時間では全然足りないのでエピソードの取捨選択が必要になります。これが下手だと「あのエピソード削ったらあの行動の意味が分からなくなるだろ」「知らないキャラ出して物語り世界のテイスト変えるなよ」等になりますが、この辺もこの映画は上手かった。
連作のエピソードをいくつか捨ててメインの話のみにする。登場人物も絞って関係性を際立たす&分かりやすくする。時系列の整理で見ている側に余計なストレスを与えない。おいしいエピソードは違うキャラに当てて上手く利用する。


「この子がどなたの娘かご存じですか作戦」の改変は、前後のつながりも含めて素晴らしかったです。
●和人は「あんな平凡な父親みたいにはなりたくない」と思う平凡な高校生
●そんな父親にこの作戦で救われる
●暴力でない、スマートなやり方に感心する和人(顔には出さないが)
●その頃から物語上では美緒はバイトを始めたと言う
●後日偶然クレームオヤジに絡まれているアルバイト中の美緒に遭遇する和人
●ここでこの作戦を流用
●さらについでに告白
上手い!


あと、原作ではラウンドボーイがボードをへし折ることでウィンストン小野に激励をしていましたが、これは映画の木の枝の方が直接的に分かってよい。あの大観衆の中で見つけられるのかという問題もありますが、映画なんだからそこはカメラを向ければいいだけなので不自然さはない。
木の枝折る→「大丈夫」の手話。これだけで全部伝わるし、号泣メーン(©D.O)になっちゃう。


映画を見終わったときは「この感動は原作の面白さのせいで、映画の力ではないのではないか」と思いました。確かに、映像・動き・照明・アングル・美術といった「映画的快楽」は少ない作品です。それでも、原作を読んでみると取捨選択と改変の上手さが分かり、映画の力でこの感動が起きているんだということを再認識できました。


ついでに、『ラブアクチュアリー』の話。
『ラブアクチュアリー』は面白いよ、といろんな人から言われてきたのですが、恋愛映画に興味がなく(「愛している」とか見ていて恥ずかしい)、ずーっと見ないまま今に至っていました。
しかし同じような群像劇のラブストーリーである『アイネクライネナハトムジーク』を見た後で、この勢いのままレンタルして見たところ、面白かった!


登場人物多すぎ、エピソード多すぎ(アメリカに行くあいつの話いらないだろ)、登場人物関係しすぎ(そのくせ物語上意味のある関連はほぼない)、等少々の不満はありますが、こちらも善人だらけでハッピーなベクトルなので、見ていて楽しい。
私の心が汚れているから余計そう思うのかな。
また、全体的には明るくハッピーなトーンですが、失恋もあるし不倫疑惑もあるバランス感覚もいい。
ヒュー・グラントは優柔不断な英国首相が合ってるなー。ちょっと古い二枚目な感じもいい。
アラン・リックマンエマ・トンプソンの大人の夫婦関係!
キーラ・ナイトレイは輝きまくってる。アゴで何か切れそう。
ビル・ナイのあけすけやけっぱちなオヤジ!
コリン・ファースのもったいないほどのもっさりした感じ。
●キレなそうなリーアム・ニーソン


今なら恋愛映画も見れる気がする。でもやっぱりそれは一人じゃない方がいい。うーむ、難しい問題だ。