やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画『ジョーカー』 感想

ヤバすぎてヤバい。素晴らしくてよくない。傑作すぎてマズい。


映画『ジョーカー』を見てきました。公式サイト↓
wwws.warnerbros.co.jp
いやー、この作品はヤバい。大傑作だけど声高にそう叫ぶのも、他人にお勧めするのも憚られる強さと怖さ。これはフィクションだぞ、と自分に言い聞かせておかないと引っ張られてしまう危うさ。





あらすじはWikipediaに載っているしそもそも前宣伝の「彼がジョーカーになる物語」そのままで、どんでん返しも衝撃の真実もない。それでも震えるほどの衝撃を受けたし、ラストの「車の上でダンス」は「こんな最高な最悪のラストあるかよ!!」と賞賛と恐怖がない交ぜになった感情を抱きながら劇場のイスに座っていました。


それでも、この作品は「社会的弱者が社会的支援を外されたからこその結果」という「あり得る末路=誰でもジョーカーになり得る」とは描いていません。
アーサーは職場の同僚と飲みに行ったり友達付き合いしている様子はありません。小人症の人をバカにしないけど他の人からバカにされたときは守ることもしない。ソーシャルワーカーには自分のことばかり話して対話をしようとしない。
自分から社会的つながりを絶っている人なのです。そのくせ自分で「自分は孤独だ」「救いが欲しい」「(自分を受け入れてくれる)他人とのつながりが欲しい」と思っているのです。で、何もしない。思っているだけ。何もしないでモテたい童貞高校生と同じメンタルなのです。求めよ、さらば与えられん。
また、最初の殺人である地下鉄での3人との諍い。これも最初の発砲は正当防衛の範疇ですが、3人目は逃げようとしている相手を完全に自分の意思で殺している。「事故」や「仕方ない」「誰でも」ではないのです。


途中、アーサーが同じアパートの住人と仲良くなり、お笑いライブに呼んで楽しんでもらい、入院した母の見舞いにも付き合ってもらう場面。そんなことある?こんな人と付き合う?こんな人のお笑い、笑える?と違和感ありまくりだったのが、全部アーサーの妄想だったと分かるところで私たちはびっくりと納得をするわけです。
そして本当のラストシーン。病棟での描写を見て私たちは混乱するのです。
つーことは、どこまで本当?どこから妄想?すべてがあやふやになる。
考えられるのはどれか。
①全部本当で、逮捕後に精神病院に入れられた。その後カウンセラーを殺して逃亡しようとしている。
②ラストの「冗談を思いついた」の冗談がこの映画の本編。全部アーサーの妄想。
③ラストシーンは過去の場面。この後本編の時間軸になる。
どれなんだろ。他にもあるかな。監督は確証を持って撮っているけど、まだそれを明かす気はないそうです。いつの日か種明かしをお願いします!


あと、ブルース・ウェイン(のちのバットマン)との年齢差問題。アーサーは既に中年で、ブルースはまだ子供。
これは、アーサーは「ジョーカーという概念の誕生」であり、この後『バットマン』の映画でヴィランとして活躍するジョーカーとは同一人物ではないのでしょう。後にジョーカーとなるその人にとって、アーサーはキリストやアラー、もしくはヒトラーチェ・ゲバラのような存在だったのでは。
ただし、この作品自体が「DC原作」ではなく「DCのキャラクターに基づく」なので、あまり厳密な整合性は不要なのかもしれません。


ホアキン・フェニックスの演技についてはもう何も言わん。皆さんが絶賛しているとおり、本当に素晴らしい。可哀想な境遇なのは分かるけど、見ている私たちはずーっと「でも、気持ちわりーな」と薄っすら思ってしまう見た目と表情と笑い方。このバランスの素晴らしさよ。
見ている間、ずーっと「エガちゃんみたいだな」と思いながら見ていました。


映画でも漫画でも「感情移入」ってありますけど、あれは「主人公の気持ち、分かるわー。自分と同じ!」ということだけではなく、「このキャラの行動には賛同しないが、このキャラがこういう言動をするのは理解できる」ということも含んでいると思っています。その世界の中でそのキャラが生きていれば、その言動が(そのキャラにとって)自然であれば、感情移入します。
そういう意味で、本作のアーサーの行動は「私はそこでそんなことしないけどアーサーがそうなっちゃうのは理解できる」のです。


もうひとつ。感情移入するにしても、どのキャラクターに軸足を置いて見るか、という問題もあります。
現在の日本(そして世界)の状況は少しは知っているつもりですので、アーサーの境遇をある程度のリアリティを持って共感することはできます。しかし、実際の私は普通に仕事をしている一般庶民で、アーサーのような苦しい環境ではありません(「独り者」は一緒だけど)。ですので、ウェイン側の視点も持っているのです。会社の従業員が殺されたら悲しいし、その犯人は許せない。その犯人を擁護する人たちも認めるわけにはいかない。そりゃそうだ。
どの視点・軸足で見るかによって正義の軸はぶれていく。


最後に、冒頭に書いた全体感想に戻る。
この作品はフィクションであり、世界をゴッサムシティにするためのプロパガンダではない。万が一この作品に影響を受けて何か悪いことをする人が出ても、それはこの作品のせいではない。フィクションというリテラシーを持っていないその個人の問題です。
しかし、そんな当たり前のことすら危惧してしまうほどこの作品は「強い」。途中に書いたようにアーサーの行動は共感・同情できるものではありません。それでも、この作品の「強さ」によってディテールが見えなくなり、「簡単で素直で間違った影響」を受ける人が出るのではないかと心配してしまいます。
だってこの作品、どのショットも美しくてどの場面もポスターにできちゃうレベル。ホアキンの演技だけでなく美術も照明も素晴らしくて、「(悲しいのに)美しい」に見えちゃうのです。素晴らしくて、よくないぞ。


この作品が大ヒットしているのはいいことなのか。「ブレイクとはバカに見つかること」(©有吉弘行)なので、変な人が変なことをしてこの作品に泥を塗ることのないように願います。


あと、皆さんが書いている通り『タクシードライバー』と『キングオブコメディ』は見ておいた方がいい。トラヴィスゴッサムシティで『キングオブコメディ』の世界にいたらジョーカーになっちゃうという話だから。そしてデ・ニーロの起用もその意図が分かる。


映画ポスター ジョーカー 2019 Joker DC US版 hi2

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