やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

価値観は人それぞれ。本当にそうだね。

「価値観は人それぞれ」とはよく言いますが、最近本当にそうだなあと思うようになりました。
私は物欲はないので、もう「物」はほぼ何もいりません。本やCDは買いますが、それはその中にある情報や音楽が欲しいのであって、その物自体をグッズとして欲しいわけではありません。
映画も見たいので映画館には行きますが、レンタルになれば新作期間で借りる気になりません。高くて1泊や2泊で返却しなければならないなんてあほらしい。1週間レンタルや旧作になってからだってその作品の価値は何も減じません。そうまでして見たい作品であれば映画館に見に行っています。
その代わりライブに行ったり舞台を見たり博物館に行ったり遊園地に行ったりすることは大好きです。その「体験」に対しては気前よくお金を払います。
なので、パチンコでいくら負けたという武勇伝や、フィギュアなどにお金をかける人の気がしれないと思っていたのですが、最近ちょっと気持ちが変わってきました。


パチンコは勝つ可能性もあるでしょうし、最近の台は勝ち負けに関わらずプレイ内容そのものが面白いのでしょう、多分(もうパチンコはやめたので最近の事情は疎いです)。だから負けてもそれは「プレイ代」なので、納得できるものなのかもしれません。あくまでその人にとっては。
フィギュアなどにお金を使う人も、私のように舞台を「見た」と言ってもその時限りの体験であり、時間とともに忘れてしまう記憶であれば、ちゃんと「残る」フィギュアをコレクションしたほうが良いという価値観も理解はできます。
服装に金をかけるのも、自己満足の部分のあるでしょうが、「モテる」という大きな付加価値があります。私は先日「このシャツいいじゃん」と値段も見ずレジに持っていって「11,500円です」という地雷を踏んだばかりなので、理解はできますが実践はできません。家に帰ってハンガーに掛けると、隣の4,980円のシャツとの差を見つけられず、服の値段ってどうやってつけているのか謎は深まるばかりでした。


お金が増えるかもしれない可能性、ゲームそのものの面白さ、物として残る価値、それに伴う付加価値。そしてその場でしか体験できない経験。どれに価値を見出すのか、それは本当に人それぞれ。私が理解できないといってそれが意味のないものではありません。その人にとっては私の価値よりも大きな価値を見出しているのでしょう。
なので、理解はできなくても非難はしないようにしましょう。
それでもパチンコをしていて「金がない」と言う人とは友達にはならないでしょうが。


ちなみに、先日「物欲がない」でエントリを書きましたが、それについてちょっと動きがあります。詳しくは後日書きます。
「物欲がない」のエントリはこちら↓。
「物欲がない」のではなく「ものぐさ」なだけ - やりやすいことから少しずつ