やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

ゴッドタン「ジェッタシー問題」を考える

全ては空気が作り出している

「ゴッドタン」がまた「マジ歌」でコンサートをやり、それをDVD化しました。
DVDを売るためにテレビ放送版では切り刻みのダイジェストだったのですが、そこで気になったことがいくつかあり、今回のエントリとさせていただきます。


今回気になったのは「ダサいとか面白いとか決めるのはその場の空気であり、その空気を作るのはその場の実力者である。」ということ。


まず大前提として、この「マジ歌」は「いい歌」を聴かせる企画ではなく、あくまでバラエティとして「面白い歌」を聴かせる企画であるということ。そしてその大枠を作っているのは番組そのものだということ。
なので、どれだけ歌唱力があったり完成度が高い歌であっても、「聞き惚れる」なんてことは絶対になく、くだらなくて「面白い」というところに着地するのです。
ただし、あまりに下手だと歌そのものの面白さを「下手さ」が邪魔をして面白くなくしてしまうし、歌が上手い方が説得力があって、結果としてより面白くなるので、上手いことはプラスにはなっているんですけどね。


サービスブランドの曲なんて、いい曲だと思うけどなあ。ドリカムのアルバムにあってもおかしくないレベル。


そして、今回私が一番気になったのがフット後藤が歌った「ジェッタシー」。
今回後藤は会場にはおらず、VTR出演という形でPVを作ってきました。それが「ダサい」「ダサい」と失笑の連発。
いや、確かに20年前のカラオケビデオのような出来でお世辞にも「カッコイイ」とは言えませんが、この「ダサい」が、おぎやはぎの二人が「よくこれだけ最初から最後までダサくできるよね」なんて言うから、会場の皆もダサく感じているのではないか、と思ったのです。
個人的には曲自体はブランキーのようなロックンロールで、悪くないと思っています。だからこそ、おぎやはぎがダメ出して会場の空気も「ダサい」に支配されていることに違和感を感じたのです。


翌週、この「ジェッタシー」をスタジオで生演奏してダサいかどうか検証するという企画が放送されました。
しかしこれも「ダサい」ありきの企画なので、当然「ダサい」でオチが付きます。でも後藤が生演奏でギターを弾いているのを見て、「上手いじゃん」と思ったのは私だけでしょうか。一人でリフを弾きながら歌ってるんですよ。上手いじゃん。


「マジ歌」だから「ダサい」「くだらない」「面白い」のであって、一般の曲として聴けばそうではない曲がたくさんあるのに。逆に、一般の曲だから「アリ」として受け入れられているけど、もしこれが「マジ歌」だったら大爆笑、という曲もたくさんあるはず。


ヒルクライムの「春夏秋冬」なんて「1年中どこ行こうか言っている曲」だし、西野カナなんて「会いたくて震える」ですよ。ハロプロの歌(というかつんく♂の曲)なんてみんなそう。逆に50ATなんて「くだらないと思ったら結構いい曲」という体(てい)ですが、実際はそんないい曲でもないし。


全ては空気が作り出している。
その空気を作り出しているのは番組の司会者だったり街中で流れるUSENだったりタイアップのドラマだったり、そのタイアップを実現させたプロダクションだったり、それらを全て裏で取りまとめている電通・博報堂だったり。その曲自体の善し悪しではなく、その曲を「いい」と言える空気かどうかが大事。俳優や芸人が「好感が持てる」と思われるのが大事なのと同様な気がします。その芸自体よりも。


そろそろ「マジ歌」も上り詰めてきた感じがるするので、ここらへんで「マジ歌発なのにいい歌」を出して欲しいなあ。「マジ歌」という枠を突き破るような名曲を。いい曲すぎて笑えない、思わず感動しちゃった、というような。
日村か劇団ひとりに期待します。