やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「脳男」 首藤瓜於 感想

今回は「原作⇒映画」が正解でした


先日「脳男」の映画を見たのですが、原作未読だったため、読みました。
映画の方の感想はこちら→映画「脳男」 感想 - やりやすいことから少しずつ
首藤瓜於さんの作品を読むのも初めてです。
映画を見た直後に読んだので、映画との相違点を中心に感想を書きます。


映画は非常に駄作だと思ったのですが、原作を読んでこのマンガっぽい世界観に慣れてから映画を見ればもう少しいい印象だったかもしれません。
登場人物も映画のキャストを当てはめて読んでいたのですが、刑事役の茶屋は、別の方が「キャベジンのCMの常盤貴子の夫」という書き方をされていたので、そっちでイメージして読みました。実際本文中では「190cmの120kgの巨体」という表記になっていましたし。ちなみにその旦那はこちらです→誰!?CMで常盤貴子に「もう若くないんだぞ♪」と言われている旦那さん - NAVER まとめ


さて、原作と映画の比較ですが、「それぞれに良いところアリ」でした。
原作ではピアノ線みたいのが張り巡らされた空間を人間とは思えない身体操作でくぐり抜けていく場面があったのですが、映画ではそれはなし。ここ、画的にも映えると思うけどなあ。キャッツアイみたいになるから止めたのかな?鈴木一郎が主体的に動くことになるから止めたのかな?
犯人のキャラ変更は別に構いませんが、映画版では動機がよく分からない(単なるアナーキズムなのか?)ので、原作の「黙示録」の設定を活かせばよかったのに。そうすれば二階堂ふみの目的も明確になるし、「悪の創造主」みたいなイメージで「敵」が見えやすくなる。
原作ではクライマックスの病院で鈴木一郎のずば抜けた記憶能力が何度も発揮されますが、映画では一度だけ。もっと「こいつのスペック半端ねえ」を見せて欲しかったです。
同じくクライマックスで病院から逃げる鈴木一郎も、原作の方が納得できる描き方でした。映画の方は茶屋が「見逃す」のに対し、原作では「自分が犯人を取り押さえているので鈴木一郎には向かえない」という「逃げられる理由」がはっきりしているので。その後のヘリコプターのシーンも映像映えすると思うのですが。
映画の駐車場のシーンは「何でこんなことやってるの?」と思いながら見ていました。それぞれのキャラがどういう理由・目的でこの行動をしているのか分からないと、感情移入できません。
そしてそもそもの動機の部分。原作では自意識や自我を保ち続けるために悪人殺しをしているという設定。映画版はダークサイドに堕ちた祖父から悪を裁くように洗脳された機械。だから映画版はマンガみたいになるんだな。
ただ、原作のラストでの真梨子とのやりとりを映画でやるとダラダラトークになっちゃうから、別の説明の仕方が必要になりますが。


逆に映画版の方が良かった点。
冒頭の舌切りやバス爆破(そしてそのあとの子どもの描写)など、ショッキングなシーンでつかみはOKです。
原作では鈴木一郎は社会生活をしている、つまり社会適応者であることになっていますが、映画では過去の経歴は一切謎にしています。小説ではそれだとリアリティがなさ過ぎですが、映画ならこれくらい振り切れたキャラ造形の方が「ダークヒーロー」っぽくていいですね。
真梨子の家庭の事情や少年審理のエピソードもラストで活きてくるので、ここもよい。
えーっと、それくらい。
あとは生田斗真君がカッコよかったことか。


原作も、映像化を希望して書いているような気もしました。上に書いたピアノ線のシーンは文章だけ読んでいても伝わりにくいですが、映像化すると見栄えしますよね。
同様にやけど後の療養中の鈴木一郎の頭に鳥籠をかぶせて全身包帯なんかも映像で見た方がインパクトありますよね。


冒頭で「原作読んでから映画見ればもう少しいい印象だったかも」と書きましたが、それでも程度の差の問題で、映画がひどかったのは間違いありません。世界観は許せても、原作と違うシーが多かったので「なぜあの場面を出さない」と思っちゃうかも。
というわけで、映画を見に行こうかと迷っている人には「行かなくていいよ」と言います。それでも行きたい人には「原作読んでから」と言います。



Brain Man 脳男2013 Trailer

脳男 (講談社文庫)

脳男 (講談社文庫)

脳男 (講談社文庫)

脳男 (講談社文庫)

脳男

脳男