やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

何でも「他人のせい」にする人は自分がこの世界の構成要因であることを知らない

コンビニATMを有料化=12月20日から―三菱東京UFJ銀 (時事通信) - Yahoo!ニュース

こういう記事のお決まりのコメントは「自分の金下ろすのに何で金取るの?」というものですが、なぜ全国どこからでも引き出せることの凄さは考えないのでしょうか。
これを実現させているシステムにいくらかかったか考えたことはあるのでしょうか。このシステムの維持やメンテナンスはどうでしょうか。この素晴らしいシステムを使うための使用料だとは思わないのでしょうか。
多分思わないのでしょう。思わなくてもいいのですが、ちょっと脊髄反射過ぎませんか、と思うのです。


世の中のあらゆることにはコストがかかっています。それは材料費などの物理的なコストから、それを設置・維持していくための人件費から、そのシステムを作り上げるまでにかかった費用もコストの一部です。もちろん「サービス」にもコストはかかっています。
なのに、もともと安いファストフードや衣料品について「まずい」「高い」「サービスが悪い」と不平不満をこぼす人たちがたくさんいます。もっと高いお金払えば美味しくて素晴らしいサービスを受けることができますよ。この値段ですからこの味とこのサービスなんですけど、何か?
そしてこういう企業に対して「ブラック」呼ばわりする人たちも多いのですが、ではなぜその企業は潰れないのでしょうか。その価格・そのサービスで「よし」としている人たちがたくさんいるからです。そしてその企業が儲かるのであれば、他の企業もそれに追随するかもっと進んだ価格・サービスを提供するしかありません。それが資本主義社会だから。その結果は、より従業員にしわ寄せがいく価格・サービスの提供です。一番カットしやすいのは人件費ですから。


同じように、「書いてない」「聞いてない」でごねる人たちも多いです。常識で考えれば分かることでも「書いてない」から自分の非は認めない。そうですか、書いてなければ何やってもOKですか。
自分で注文したコーヒーをこぼして火傷したから店を訴える、濡れた飼い猫を電子レンジでチンして死んでしまったのでメーカーを訴える。どちらもアメリカで実際にあった裁判で、どちらも消費者側が勝訴しています。「書いてないから」。
自分で考える・ジャッジする、ということをしないのかな。
天気予報で紫外線情報や洗濯指数が出ていますが、あれいりますか?自分の部屋の窓の外見たら紫外線も洗濯日和も分かるでしょ。天気予報が外れて気象庁に文句言う人もいるそうで。気象庁には超能力者か予言者でないと勤務不可でしょうか。
大きな車の所有者が駐車場でバックで停めたら、自分の車の背後に付いている補助タイヤが壁に設置してある配電盤の蓋に触ったというクレーム。そんなでかい車を買ったのは誰の意思でしょうか。駐車場中に配電盤があるのはここだけです。他にも空いているのにそこに停めようとしたのは誰ですか。距離感を測ることができなかったのは誰ですか。そして、もしその配電盤のところに子どもがいたらどうなっていたでしょうか。


過度に安さを求めればそれに応じた品質とサービスになるし、労働者はより過酷になる。もちろん給料や時給なんて上がらない。適性の価格でよしとすれば、適性のサービスと給料になります。
デフレとか給料が上がらないと嘆いている人は、自分がその一端を担っていることも意識してほしいです。
「書いてない」「聞いてない」でクレームをつける人は、自分の意思は一切なく、全ての責任を他人に委ねているのかな。こういう意見が多いために現場の窓口は余計煩雑になり、一般のお客には面倒になる。そしてまた「何でこんな面倒なことするの?」と聞いてくる。お前が無意味な文句つけてくるからだよ!


原因と結果。因果というものはあります。
みんなが無茶なクレームを言わなければ、無駄なルールは減ります。みんなが価格だけを追い求めればそれに付随する部分(品質・サービスなど)も下がります。選挙に行かないのに社会を批判する資格はありません。原発反対しているのに電気料金値上げに反対するのは無責任です(これは東電の姿勢もあるのであまりはっきり言えないけど)。介護職が足りないのは仕事内容に見合わない給料の安さだからですが、でも介護料金が上がると文句言うんでしょ。
あれも欲しい、これも欲しい、のいいとこ取りは無理です。それなりのサービスが受けたかったらそれなりの対価を支払いましょう。
私たちはこの社会の一員なので、私たちの意見や行動がその先の社会を作っていくのです。リスクも責任も含めて、より良い価値を作り出していきましょう。