やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

そして夏フェスは祭りになった

例年は1回くらいしか行かないのに、今年は欲張って夏フェスたくさん行きました。フジロックロックインジャパン、ワールドハピネス、スイートラブシャワー。
各フェスの感想は過去のエントリを読んでいただくとして、特に印象に残っているのがロックインジャパン。運営についての飽くなき改善は頭が下がるレベルです。それと同時に感じたのは「音楽を聴きに来ている」よりは「盛り上がる・はしゃぐために来ている」ような印象でした。
そして柴那典さんのブログを読んだら、これらについてズバリと書かれていて頷きまくりでした。

Tシャツと集合写真 〜2010年代の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」論 その1 - 日々の音色とことば:
「閉じた文化圏」の先へ 〜2010年代の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」論 その2 - 日々の音色とことば:

ディズニーランドを目指しているんじゃないかというホスピタリティへの言及は納得でしたし、参加者たちの集合写真にはびっくりというより「怖い」の方が近いかもしれない感情を抱いたり。
そして一番びっくりしつつ納得したのが

「フェスはお祭りなんだから、ハッピ着てハチマキ巻くのが当たり前でしょ? それがTシャツとタオルなんだから、そういう場所でスカした格好しようとするお姉ちゃんのほうが大バカ者だ!」

という部分。
そう、夏フェスはもうお祭りなのです。「フェスティバル」なんだから祝祭で全く間違っていないのですが、既に音楽の部分は最優先事項ではなくなってきているのです。
もちろん、音楽以外の楽しみ方があるのも夏フェスの醍醐味ではあるのですが、どうも最近の夏フェスから感じられるのは、音楽が鳴っている場でも音楽に熱狂しているのではなくてみんなで盛り上がることが目的で、音楽はその触媒に過ぎないのでは、ということです。
柴さんのブログで続く「盛り上がるBPM論」もそのことを指摘しています。


ロッキンは楽しかったのですが、何かしらもやもやを感じていた私はこの柴さんのブログに頷きまくりでした。
そしてそういう意識を持ってラブシャへ行くと、まさにそんな状況でした。
サンボマスターはやはり夏フェス映えする熱いMCとBPM。盛り上がるしモッシュも起きる。現在の勢いはサンボマスターよりずっと「来ている感」のあるクリープハイプではモッシュは起きない(「身も蓋もない水槽」などではようやく「待っていました!」という感じで少しモッシュ起きていましたが)。


ロックインジャパンではここ数年、ずっとソールドアウトが続いています。あんなに広い会場で3日間にも渡るフェスなのに、売り切れ。ワンマンのライブは動員厳しいアーチストの方が多いのに、はるかに価格の高いフェスは売り切れ。1アーチストあたりの単価では安いかもしれませんが、でも高い。ここでもコスパ感覚が働いているのかしら。
いずれにしても、いわゆるコアな音楽ファン以外がフェスのチケットを買っているからソールドアウトになるわけです。それは誰か?


「ブレイクするとはバカに見つかること」とは有吉弘行さんの名言ですが、夏フェスでも同じことが起きているのではないでしょうか。
「バカ」というのは文字通りのバカではなく、もともとそれが好きだったり興味があったりしたわけではないのに、「世間で流行っているから」「これがイケてるらしいので」手を出す層です。ダイノジ大谷さんの言葉を借りれば「ヤンキー層」に届いたから、ここまで一般化したのです。


一般化したからチケットがソールドアウトするようになったのですが、その一般層は音楽にそれほど興味も愛着もない。もちろん普段から音楽は聞いているのでしょうが、その聞き方は「BGM」だったり「ランキング上位だから」だったり「カラオケのため」だったりするのでしょう。ライナーノーツを読んだり楽器の演奏に耳を傾けたりする層とは明らかに違います。
そんな彼らは各アーチストにそれほど愛着がない。でも、せっかく買ったチケットは無駄にしたくない(コスパ重視だから)ので、何とか盛り上がりたい。そうなると、「盛り上がりやすい曲で盛り上がる」ようになります。
その結果が「ハッピとハチマキ」「BPM論」になるのではないでしょうか。


しかし、私はこれが悪いとは思っていません。音楽フェスだから音楽のみに集中せよ、とは思いません。
フジロックで「モテキ」ごっこで川で遊ぶのもいいし、大道芸人を見たりドラゴンドラに乗るのもいい。ラブシャでセグウェイ乗ったりカヌー乗ったりするのもいい。テントやシートで寝ながら音楽を聴くのもいい。音楽を聴かずに会場の雰囲気を味わうのだっていい。
音楽が「盛り上がるためのツール」になるのはちょっと寂しいですが、そんな「一般層」がこういう場で新しい音楽に出会ってこの先で音楽にのめり込むことだってあり得ないことではありません。いや、目の前で爆音でパフォーマンスしているのを見ると、CDの5割増しでいい曲に聞こえるものです。なので、普段街の中のゆうせんで聞くよりはきっかけになる確率は高いはずです。
であれば、現在の状況は過渡期なのかもしれません。この先、また音楽が力を持つようになるかもしれません。
※ただ、ビジネスとして大きくなるのはあり得ないと思っています。でも、ライブに行ったり個人の日常生活において音楽のシェアが上がることは十分あり得ると思っています。


そしてアーチストの皆さんはこれをチャンスと捉えて、一般層に刺さる曲やパフォーマンスをして欲しいです。
同じくYouTubeやニコ動がメインの現在も、チャンスがほぼ無料で転がっていると思えるかどうかで現代を生き抜けるかどうかが決まってくると思います。
コップに残っているのは「もう半分しかない」のか「まだ半分ある」のか。