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森博嗣「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」 感想

大喜利的思考法


森博嗣さんの「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」を読みました。タイトル長いな。
森博嗣さんといえば「すべてはFになる」などで有名な作家ですが、私、森さんの著書を読んだことがありません。


本作は「物事を抽象的に考えましょう」というのがテーマです。
「抽象的」とは。

抽象的
1 いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を―にとらえる」
2 頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま。「―で、わかりにくい文章」

デジタル大辞泉より)
そう、「一般化」「本質をつかむ」ということです。「抽象的」の反対語が「具体的」なので、私は専ら2の意味でしかこの言葉を考えたことがありませんでした。具体的じゃないから、「ぼんやりしていること」だと思っていました。間違っていました。


物事を抽象的に捉えるのは難しい。
具体的な事例から具体的な事象を取り除き、本質のみを残す。それはぼやけた印象になるかもしれませんが、様々な物事に当てはめられるようにもなります。


私は、こういう考え方が苦手です。いつだって具体的な事象・言葉にこだわり、引っかかり、そこからしか自分の考えを展開することができません。
しかし、この「抽象的なものの考え方」を知ると、それは何て限定されたものの考え方なんだ、と思ってしまいます。
具体的だから、広がらない。抽象的であれば様々な思考にジャンプすることができるのに。


こういう考え方をできる人は、羨ましいです。こういう人が「柔軟な思考の持ち主」であり、「アイデアマン」になれるのでしょう。お笑いの「ボケ」の人です。「ボケ」は発想だから。ゼロから生み出すものだから。
松本人志とかバカリズムはこういう考え方ができているのでしょう。大喜利が得意な人は抽象的思考ができているんだろうな。
本書の中で抽象的な思考をするために

いろんなものに「なぜ」と思う、突飛な「もしも」を考える、そこから「連想」する

などが挙げられていましたが、これって「ガキ使」のフリートークだし、バカリズムの「都道府県の持ち方」だな、と思いながら読んでいました。
バカリズムNHKトップランナー」で同じような「発想の仕方」を話していたなあ、なんてことも思い出しました。


今の知識偏重の詰め込み教育は「覚えること」「忘れないこと」「正確にそれを思い出せること」が大事であって、「思いつける」ことは重要視されません。「知識」が重要で「発想」はそうではない。
確かにテストで点数化するとなると「発想」は評価が難しいです。でも、学校で評価軸がないと「成績」という「成果」が出せないので、それも難しいのかな。(という考えが、もう固定観念に囚われている?)


では、こういった抽象的思考はどうやったらできるようになるのか。
著者は「頭の中に自分の庭を作る」ことだと書きます。頭の中に考える「場」を作るのですが、それはドーム球場や高層ビルでもいいのに、なぜ「庭」なのか。
それは、頭の中は人工物ではなく自然なものであるから。発想は自然の中から生まれるものだから。そして、

自分の中にあるプライベートなもので、比較的自分の勝手にはなるものの、それでも間違いなく「自然」なもの。そこが、つまり「庭」なのである。

と書きます。
庭なので自分で自由に手を入れることができるが、一朝一夕に理想的な庭になるわけではない。時間をかけて、手間をかけて抽象的な思考を続けなければ新しい発想、優れたアイデアが生まれる土壌は育たない。


なるほど。
固定観念や常識に囚われず物事を見ること、具体的な事象を外して客観的に本質を見極めること。確かに一朝一夕にはできないですね。毎日思考の訓練をして、ようやくたどり着ける境地に思えます。
一朝一夕にできないということは、時間をかければできるかもしれないということ。しばらくはこのことを意識して物事を考えてみよう。「りんご」ではなく「りんごのようなもの」。「日本と中国」ではなく「国と国」。本質は俯瞰して見極めよう。

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

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都道府県の持ちかた (ポプラ文庫)

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