やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

サザン桑田のパフォーマンスは「不敬」「反日」なのか

誰が言ったのか、どう言ったのか


サザンオールスターズ桑田佳祐さんの大晦日のコンサートでのパフォーマンスが批判を浴びています。
私は紅白もコンサートも見ていないので実際の発言・パフォーマンスは見ていません。報道されていること、Twitterなどネットの情報のみしか知りません。そんな不完全な状態ですが、書きます。


まず、「ピースとハイライト」の曲が左翼的であったり反日であったり反安倍政権であったりという批判について。
あのー、この曲の発売は2013年8月です。紅白で歌ったときもCDと歌詞は変わっていません。何で今さら、何で今頃ケチつけるの?サザンオールスターズという本当の「国民的バンド」であっても、紅白出るまで曲を知られないんだな。そっちにびっくりしました。
そして、この曲のリリースはまだ集団的自衛権閣議決定される前です。つまり、この曲がリリースされた後の方がこの曲の意味は強まっているのです。そんな後出しじゃんけんのような状況に対して文句を言うのは、全くお門違いですよね。極端に言えばジョン・レノンの「イマジン」に対して文句を言うようなものですよ。
とこんなことを書く以前に、この曲のどこが左翼的だったり反日だったりするのでしょうか。
歌詞を読んでみましたか?「都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いをしかけて」という部分が槍玉にあがっていますが、その後の「20世紀で懲りたはずでしょう」まで読みました?その後は「色んな事情があるけどさ知ろうよ互いのイイところ!」となっているんですよ。もう、そういうことはやめようぜ、そろそろ仲良くしようよ、というメッセージじゃないですか。どこが左翼的で反日なのでしょうか。
隣国に擦り寄る感じが左翼的であり、反日?周りと仲良くしようという態度のどこが左翼的で反日なのでしょうか。そういうことを言っている人の方が排外的で寛容さのない人だと思います。


「前後の文脈を読む」「行間を読む」「全体を通して文意を汲む」といった基本的な国語能力がないからこんなことになるのでしょうか。シングルにするような曲で桑田佳祐がそんなあからさまな政治的発言するはずないでしょう。これ、ポップミュージックですよ。
そして、ポップミュージックはどんな受け取り方をするのかどんな解釈するのかもリスナーに委ねられているものなので、そういう解釈で受け取る人もいることも拒否できません。でも、この曲でそんな受け取りをする人は単純に国語能力が欠けているだけです。こんなに分かりやすい歌詞なのに、なんでそんな受け取り方するのかな。ストーカーも相手の言葉を全く違う理解で受け取る人ですが、同じようなものなのかな。


次に紫綬褒章のメダルを粗末に扱ったという件。
これ、例えばビートたけしさんが同じことをやったなら「たけしらしいパフォーマンス」「毒舌が冴える」なんて感じで好意的に扱われたと思うんです。何をやったかではなく、誰がやったか。
でも、そういうことならなおのこと桑田佳祐がこういうパフォーマンスをすることに「紫綬褒章をバカにした」なんて意図がないことは分かると思うのですが。
ヤフコメに書き込んでいる人は中学生がほとんどだと思っているので、桑田佳祐をよく知らないのかもしれませんが、桑田佳祐を知っている人であれば、桑田さんが本心から紫綬褒章をバカにするわけがないことは分かっているはずです。ああいうジョークです。
ただ、桑田さんはお笑いの能力があまり高くないので面白くなかっただけです。


これも上記の歌詞の問題と同じで、何でそこだけ切り取って判断するの?という思いです。
どういう文脈で、どういう言い方で、どういうパフォーマンスをしたか。前後も含めて、ニュアンスや意図も含めて何で判断しないんだろう。
そして、誰が言ったのか。その人は普段どういう発言をする人なのか。ジョークを言う人なのか。政治的発言をする人なのか。
知っていれば分かる。その人のことまで考えが及べば分かる。なぜ考えずに「その部分」だけですぐ判断するんだろう。
それも0か100、白か黒、正解か不正解のジャッジ。幅がなさすぎ。人間にしても物事にしても、そんな完全に割り切れることなんてほとんどないですよ。


ともあれ、桑田さんを批判する人は分かっていない人です。それでもポップミュージックはそういうとんちんかんな批判も受けなければならないカルチャーですので、批判するのも自由です。表現の自由というのは批評の自由と一体だから。
だから、桑田さんは「そういう受け取り方をする人もいるんだな」と思うだけでいいと思うのです。それで「こんなに分かりやすいのに伝わらないのか」と落胆してもいいんです。
でも、勘違いしないでほしいのは、そういう意見を言う人はほんの、ほんの一握りだということです。Twitterなどで個々の発言を可視化することができると、100の批判がとても大きな声に聞こえてしまうと思います。でも、10万枚売れたとして、100の批判なんて0.1%です。もちろん積極的に批判の声を上げずとも批判的な人もいるでしょうが、それ以上に賞賛の声を上げずとも評価してくれる人もたくさんいるのです。そして、批判的な意見の人は歌詞をきちんと読んでいない人なので、CDなんて買ってない人なのです。そんな人たちの声なんて、そよ風くらいに思えばいいのに。


だからこそ、今回この騒動に対して桑田さんが「反省」や「お詫び」なんてする必要はないのです。このタイミングでお詫び文なんて出したら、批判している人たちが正しかったことになります。いくら桑田さんが「感謝の表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み」という表現を使っても、相手はその文意を汲み取れない人たちです。「桑田はやっぱり反日で、俺たちが批判したから謝罪した」と取ってしまいます。
ポップミュージックは様々な受け取られ方をします。それがメジャーでやるということ。もう40年近くそのど真ん中で闘ってきた桑田さんがそのことを知らないはずはありません。何でこんな文章出しちゃったんだろうなあ。


今回のお詫び文について、ヤフーニュースでは「謝罪文」という表現を使っています。「謝罪」?何の罪に対する謝りなんでしょう。マスコミという言葉を生業にしている人が、何でこんなに安易で、強い、そして間違った言葉遣いをするのでしょうか。その方がインパクトがあるからでしょうか。その方がページビュー数が稼げるからでしょうか。言葉を武器にしている人が正確な文意よりも商売を優先させたらダメですよ。


ビートたけしさんの著書「ヒンシュクの達人」の中にこういう文章がありました。

みのさんは会見で「30過ぎて子どもがいる男に、親が責任をっていうのはいかがなものか」なんて話して叩かれていたけど、(中略)こういうとき、「正論」を言うことが必ずしも「正解」とは限らないってのが難しい。(中略)それはまさに「言わない約束」で、「それを自分で言っちゃおしまい」ってことがある。心の中ではいろいろと思うことがあっても、あえて頭を下げていれば、周りがいつか「それはおかしいんじゃないか」って言ってくれるわけでね。

正論が通らない場合がある。トータルで正論を通すために今は頭を下げる、というやり方も、時には必要。
今回の騒動について、桑田さんがお詫び文を出したのは本当に残念ですが、これもトータルで見たらプラスだったと思うようにしよう。



サザンオールスターズ - ピースとハイライト - YouTube

サザンオールスターズ「東京VICTORY」MUSIC VIDEO - YouTube
「東京VICTORY」が全然話題にならないのは、曲のパワーがないからです。それもポップミュージックの定め。


<追記>
音楽評論家の宇野維正さんが「あれは桑田さんのギャグがスベっただけ」「ずっと昔から彼は軽率」というツイートをしていて「なるほど」と頷きました。ギャグがスベったのか。納得。