やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

解決すればするほど不満が出てくる人間の業

基本的な衣食住が足りた現在、需要は「作る」ものになりました。
付加価値をつける、ニッチな需要を見つける、かわいい・カッコいい、一緒に参加することで楽しい、などがありますが、「不満の解消」も需要創出にはよくあるキーワードです。
様々な「これ、面倒だな」「痛い」「怖い」「嫌だ」「寒い・暑い」「冷たい・熱い」などの不満を解消するために新しい商品やサービスが生み出され、需要は満たされていきました。
これらの不満は目につくものから解消されていきますので、今では「そんなに気にならなかったけど、言われてみれば確かに不便」というレベルでのカイゼンが行われています。
その結果、現代はとても住みやすい、快適な生活を送れるようになりました。
めでたしめでたし。


しかし、人の欲望や欲求は果てしない。
一度叶えられた「不満の解消」はいつしかそのレベルが当たり前になり、今度はそれが叶えられないことが大きな不満となる。
今までは何とも思わなかった・気づかなかったレベルの不満が解消され、「快適が当たり前」になってしまったために、叶えられないと不満となる。
気づいてしまったゆえの不満。
そして、「不満は解消するものだ」がデフォルトになってしまっているので、「不満は相手に伝えて解消してもらうものだ」も当たり前になっている。
しかも企業は「クレームはお客様の要望を叶えるありがたいお言葉」という立場(少なくとも対外的には)なので、クレームは言いやすい。
相手に文句や要望を一方的に言って感謝されるという、とても気持ちのよい状況が生まれるのです。神様ですから。
その結果、


という状況が生まれる。


これって、望ましい社会なのでしょうか。
不満を解消することはもちろんいいことだけど、先回りまでして解消された不満は、今まで何とも思わなかった商品やサービスに対しても不満を抱いてしまう。その欠点や不足に気付かされてしまったから。
とはいえ、そう思ってしまうことはどうしようもないし、責めることもできません。そんな贅沢な不満を持つなと言われても、そう思っちゃうんだからしょうがない。


不満が解消された結果、常に次なる不満を感じてしまう世の中になっているのか?繰り返しますが、これって望ましい社会なのでしょうか。