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好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「誰がJ-POPを救えるか?」 麻生香太郎 感想

オジサンの愛ある叫びを聞いてくれ


麻生香太郎氏は、雑誌「日経エンタテイメント!」立ち上げに関わった人で、日本のエンタメ全般(音楽・芸能)に詳しいマスコミの人です。
そんな氏がこんな刺激的なタイトルの本を出す。これは彼なりの危機感を表明したものだと思っています。
本書は各章でJ-POPを殺した戦犯を挙げていきます。SONY、韓流、つんく、音楽著作権、歌番組、圧縮技術、スマホ、世界の不況、マスコミ。
もちろんこれらのみが犯人のわけはなく、複合的な理由で現在の音楽を取り巻く状況が出来ています。その辺はもちろん著者も分かっていて、あえて挑発的な見出しをつけています。


本書は2013年1月刊行なので、現在の状況と少し変わっている部分もありますが、日本の音楽シーンが芸能やエンタメの地位において相対的に下がっていることには変わりありません。なので、現在でも十分通用する内容になっています。


SONY、音楽著作権、圧縮技術、スマホの章では、「ビジネスor消費者」「儲けor楽しませる」の2択において常に前者を選んできたから今の状況があると著者は主張します。
エンタメ業界においては「お客さんを楽しませること」「お客さんの利益・利便性に適うこと」を是とし、利益はその結果としてついてくるものだと。
しかし大企業となった現代の音楽関係会社では、ビジネスや儲けを優先したために結果的にappleに負けサムスンに負けているのです。


著者は80年代のSONYが大好きで、ウォークマン・CD・プレイステーションの開発や発売にワクワクし、エピックソニーの先見性と打率の高さに感心し、その後大企業病に陥りi-Tunesへの参加を頑なに拒んだためSONYのみならず日本の音楽産業全体をダメにしたストリンガー体制を厳しく批判します。
これは私は体感としては分かりませんが、内側にいた著者としては本当に忸怩たる思いがあったのでしょう。冷静に書いてある文章からもその熱は伝わってきます。


個人的に「おおっ」と思ったのが韓流の章。
K-POPはジャニーズ・劇団四季・宝塚を徹底的に研究し、強固に組織化されたファンクラブシステムと独自の育成システムを学習します。
どういうことか。

・1アーティストあたり固定ファンは10万人でいい。ドームを満杯にできる数だけいればいい。
・そう割り切ると、マスコミへの積極的な露出はしなくてもいい。
・ライブや新曲などの告知・販売はスマホをメインとしたITで管理される。広告費などのコストもかからないし会員管理もこの方がしやすい。
・映像映えするダンスと音楽をYouTubeを使って流す。これもスマホ対応の利点。ある程度お金はかかっても一度MVを作れば後はファンが勝手に拡散してくれる。
・その後ライブやグッズなどで利益を確保する。

ちょっと前に流行語になった「フリーミアム」のやり方です。
これは、ものすごく膝を打ちました。私はK-POPに興味がないので、なぜあんなにファンがいるんだろう。どこでファンになるんだろう。私は名前くらいしか知らないK-POPアイドルがドーム公演をしている。どこで何が起こっているんだ。と思っていたのですが、全てスマホの中で完結しているのですね。


もうひとつパンチラインがあったので引用します。

ギターを爪弾きながら「このコードからこのコードへはプロとして行きたくないな」というような(昭和のフォーク時代のような)J-POPの音楽性へのこだわりは意味を成さなくなっているのだ。ここで確認しておきたい。
売れるのは音楽ではなく、「音楽映像を核としたサウンドの塊」なのだ。
ユーザーが買いたいのは音源(CD)ではなくて(音楽はフリーで提供されているネットで十分満足である)、グッズや直接会って見つめあったり握手をしたりすることだ。

そうなんですよね。私は古い人間なので認めたくないですが、これが現実だし現在です。音楽はそのアーティストの一部分でしかない。


圧縮技術の章でも現実を突きつけます。引用だと長くなるので抜粋で。

・着メロ・着うた・配信の発達により、シングル1曲のみを購入するスタイルが定着した。
・カップリングはいらない。アルバム曲もいらない。
・こうして「シングルで宣伝(投資)してアルバムで儲ける」という図式が崩壊した。
・言葉は悪いが、LP・アルバムという形態が登場して以降、レコード業界の儲けの仕組みは、この巧みな「抱き合わせ商法」にあった。

抱き合わせ商法!言葉は悪いですが、実際商売としての仕組みはその通りです。さらに

確かにB面が好き、だとかアルバムの何曲目が好き、というウンチク話はファンの間では大切な話題ではあった。だが、それはかなりコアなファンの間だけのものであって、一般大衆には何の関係もない。

とバッサリ!た、確かにその通りですが…。うう、やられた…。


著者がエンタテイメント愛において強調していること。それはエンタメは「感動の伝言ゲーム」であるということです。
なのに、マスコミは芸術には頭(こうべ)を垂れるが芸能には目線が厳しい。その結果、エンタメの最前線にいる若者たちはマスコミから離れていきました。
これを当のマスコミは「今の若者は新聞を読まない・テレビも見ない」と批判します。全く自分の姿が分かっていない。
著者の筆は厳しく批判します。新聞は60歳以上の媒体であり、彼らがいなくなるまでの寿命であろう。雑誌も初期読者が年齢を重ねるだけで新規読者がいない。民放はスポンサーにおんぶにだっこであり、公平な放送などないことがバレてしまった。
新たななり手がいなくなり、後継者不在のままマーケット自体が縮小再生産され、やがて消失していく。


では、誰がJ-POPを救うのか。最終章で著者は「平成10年代生まれがJ-POPを救う」と書きます。どういうことか。それは誰なのか。
しかし、読んでも何も書いてありません。

人口密度は低い方がいいし、洋服も靴も最小限でいい。地球や自然に対しては人類は謙虚な方がいい。
そういう世代が思春期を迎えたとき、あるいはオトナになったとき、新しい音楽が生まれてくるような気がする。
(中略)
高度経済成長とバブル期を知らない、いわゆる「ミュージックビデオの原点、マイケル・ジャクソンを知らない世代」が、音楽マーケットの作り手になったとき、何かが根本から変わる予感がする。

これだけです。何も解答していない。
しかし、だからといって本書を批判するべきではないと思うのです。著者は音楽を始めとしたエンタメ全般に大きな愛を持っています。しかし、その素晴らしきエンタメが次世代につながっていかないことに危機感を持って本書を書きました。その愛と危機感は十分に伝わってきました。
しかし、著者もオジサン世代(1952年生まれ)なので、その解決策は分からないのです。でも、新しい世代に期待はしているのです。
それはこの本を読んでいる私も同じ。


現在の音楽ビジネスはもっぱら「ライブ(現場)」です。アイドルの握手会や野外フェスの隆盛など。そこで音源に依存しない音楽ビジネスをしているのですが、その辺の言及はないのね。
また、個人的にはSNSなどを活用してメジャーレーベルに頼らない活動をしているミュージシャンなども紹介して欲しかったのですが、それもなし。
この辺が著者世代の現場感覚からの乖離なのかもしれません。


エンタメは素晴らしい。この「感動の伝言ゲーム」を今後も続けていくために、今の世代が頑張り、次の世代にこのタスキをつなげていきたい。
手段や手法は変わっても、感動の本質は変わらない。それをどうやって伝えていくのか。新しい世代と新しいオトナに期待します。


誰がJ-POPを救えるか?  マスコミが語れない業界盛衰記

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