やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

安保法案可決で思うこといくつか

天邪鬼だからいろいろ考える


安全保障関連法案が衆議院を通過しました。
これについてはこれまでもいろいろな人が様々な立場・視点から賛成・反対の意見を述べてきました。なので、今回は法案の具体的な中身についてはあまり触れません。思ったことを徒然に書こう。


■そもそも、この法案は必要だったのか
理想論を言えば、私は不要だと考えます。
憲法9条の「戦争をしない」というのは、戦争を「したくてもできない」という縛りを憲法が持っているということです。世の政治家が暴走しても枷をはめる憲法が存在している素晴らしさ。これは世界に広まるべき考え方のはずなのに、実際は逆行している。何でだ。
太古の昔から、人間は戦争をしてきました。でも、もうそろそろ「武力」という外交手段は手放すべきなんじゃないでしょうか。人間は過去から何を学んできたのでしょうか。武力・暴力や報復が何をもたらしてきたでしょうか。人間は過去から学び、未来を作り上げることができる素晴らしい能力を持っています。なのに、なぜまだ暴力や報復を繰り返すのでしょうか。
暴力や報復がさらなる恨みを生み、新たな暴力や報復を生むことは分かっているでしょう。つい最近の9.11でも分かったはずでしょう。暴力はその場の「状態」は抑えられても、原因となる「感情」は抑えられません。


日本が世界から信用されているのは、「戦争をしない」という信用があるからです。戦後70年に渡り、武力の行使を行ったことがないという実績があるからです。
今回の法案は、明日からすぐ戦地に赴くという内容ではありません。安倍首相も「戦争をさせないための法案」「不測の事態に備えるための法案」と言っています。その発言の信用の有無はともかく、建前はそうなっています。
しかし、世界の人々はこの可決をどう見るのでしょう。戦争をする・しないとは別で、戦争を「できる」法案。人は感情で生きる生きもの。「不安」「危ない」と思う人が出ても不思議じゃない。日本がいくら「するなんて一言も言ってないよ」と説明しても「そうは言っても今後武力の行使もするかもしれないんでしょ」と思われてしまえば、日本は途端に世界から「危険な国」と認識されるかもしれない。政治は「自分がどう言ったか」ではなく「相手がどう受け取ったか」です。結果責任


繰り返しますが、日本がこれまで世界から親日とされてきたのは「絶対に武力の行使をしない」という信用です。その担保がなくなったら、この「日本を守る法案」は逆の効果をもたらすのではないでしょうか。


■日本だけ「何もしない」でいいのか
これが私の悩む点です。泥棒がいるから、警察も必要です。泥棒に「ダメだよ」という注意で反省してくれれば警察も楽ですが、実際はそういうわけにはいきません。警察の「強制力」が必要な場合があります。
これが国単位になったものが「軍隊」です。世界中で悪さをした人(国)に対して強制力(武力)で悪さをやめさせる。
日本はこれができないんですよ。周りの国にお任せなんですよ。そのせいで各国は何人も命を落としているのに、日本だけが何もしなくていいのか。
これに対して有効な反論を私は持たない。誰か教えていただきたい。


でも、個人の犯罪と国の武力行使の大きな違いは、「話し合いができる」ということです。個人だったら聞く耳持たない場合がほとんどで説得が有効な場合はほとんどありませんが、相手が国だったら「外交」という手段があります。
「武力」も外交手段のひとつですが、「話し合い」という外交手段もあります。経済封鎖のような手段もあります。
相手が武力を行使しても、こちらは絶対にその手段は用いないと決めること、宣言すること。これが憲法9条なわけですが、これはやはり理想や空想でしかないのでしょうか。これだけ歴史を重ね、経験を積んできた人類でも、まだこの理想は絵空事なのでしょうか。ジョン・レノンの「イマジン」は想像でしかないのでしょうか。


■明日から何も変わらない
今回の可決を受けて、私のTwitterのTL上では「今小学生の息子を戦地に送るなんて嫌だ」「徴兵制も現実味を帯びてきたね」なんて意見がありました。
いや、そんなに急に変わりませんから。その「息子」は今小学生なんでしょ?自衛隊員じゃないんでしょ?じゃあ戦地行きませんよ。徴兵制だってこれとは別に法案を作らなければならないんですよ。この法案可決で一市民が戦地に行くなんてことありませんから。
みんな、感情だけが先走りしている。


みんな今日明日だけ大騒ぎして、1週間後には何もなかったかのように「昨日も暑かった」「ここのスイーツが」になりますから。マスコミも私たちの生活も。
それは、忘れやすい国民性のせいでもありますが、そもそもこの法案が可決してすぐに何かが変わるものではないからです。「集団的自衛権」に抵触する事態が起きない限りは。


■何も変わらなくていいの?
今回の法案可決で、何も変わりません。それは、世界が(ある程度の)平和を維持しているから。日本がすぐに出動しなければならない状態ではないから。
いいことだ。しかし、この法案を作った人はそれで嬉しいでしょうか。こんなに苦労して成立させたこの法案、意味あるものにしたくなるのが人間ですよね。
意味あるもの。つまりこの法案が発動することです。集団的自衛権に抵触する事態が起きるということです。
そんなことが可能なのでしょうか。
緊張関係にある国に対して強硬な態度を取る、同盟国に敵対する国に対し同盟国の肩を持つ。国内に対しては「自立する国」や「意見をはっきり言う国」というアピールになり、国際的には緊張感を高める。その結果、この法案が発動する機会があるかもしれません。
これらは全て私の妄想です。上に書いた「感情だけが先走りしている」状態です。妄想でありますように。


■「単純化」はマイナス
今回の法案を「戦争法案」なんて呼ぶ声があります。「子どもを戦地に送ることになる」と危惧する声があります。
しかし、上にも書きましたが、そんな簡単に世の中は変わりません。極端に振り切った単純化した言葉で不安を煽ろうとしているのでしょうが、冷静な人から見ると失笑もので、同じベクトルの考えを持っていても素直に賛同できなくなります。本質を捉えるための「抽象化」は必要ですが、極端な「単純化」は味方を遠ざける場合があります。


強行採決なのか
本日の採決は強行採決と言われていますが、そうなのでしょうか。
採決自体はルール・やり方に則り、適正に行われました。全く「強行」ではありません。
野党やマスコミは「国民の理解が深まっていない」ことを強行の理由にしていますが、じゃあ、いつになったら国民の理解は深まるのでしょうか。多分何百時間国会で審議を繰り返しても同じことを言うでしょう。
国民の方が理解しようとしていないのではないか。


法案の全文を読めとは言いません。でも、テレビや新聞が伝えることを見聞きして、メリットとデメリット、それぞれの可能性(「戦争」や「徴兵制」につながる可能性)、などを考えたのでしょうか。
理解しようとしてない人にいくら説明をしても理解してもらえるわけがありません。いくら審議時間を伸ばしても変わりません。


しかし、理解できないのです。
憲法に違反している法律を通す」というそもそもが間違っているので理解できるわけがありません。
そんな憲法違反の法律を無理やり通そうとするのは、確かに「強行採決」ですね。


■民意はどうでもいい
現在の安倍政権単独過半数という強力なフリーハンドを持っています。やろうと思えば何でもできる。だから、野党やマスコミが何と言おうと、その場しのぎで乗り切って採決まで持ち込めば可決できる。そんな驕りがあるのはまちがいないでしょう。だから国会答弁であんな緊張感のない発言の数々が出てくるのです。
国民やマスコミにはぼんやりとした説明しかせず、国民はきちんと理解しない方がよく、マスコミからは鋭い質問をさせない。政権運営としては満点です。


■理想と現実
理想を掲げるのはアーティストで、現実に対応するのが政治家なのか。私が書いたことは理想に過ぎないのでしょうか。一足飛びに理想の世界は実現できなくても、向かう先は理想の方向を向いていてほしい。そうなっているでしょうか。この法案は理想に近づくものでしょうか。私はそうは思えません。ベクトルは逆に向いているように感じます。


では、どうすればよいのか。
選挙に行くしかないでしょう。私たちが直接の意思を表明できるのは選挙しかありません。投票して、民意を示しましょう。
しかし、受け皿がないんだよなあ!野党の皆さん、今は最大のチャンスですよ。


↓ここに載せた本は私は読んでいないので、私の意見とは関係ありません。↓

亡国の集団的自衛権 (集英社新書)

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すぐにわかる 戦争法=安保法制ってなに?

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