やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

まだ私はプリンスのことを何も知らない

ぼくとプリンス


プリンスが亡くなってしまいました。57歳。若い、若すぎる。
プリンスがいかに偉大な音楽家だったのか、いかに特別で異端で王道で全世界のミュージシャンに影響を与えてきたのか、その辺のことは多くの音楽評論家が書いてくれるでしょうから、私は個人的な思いと思い出を書きます。


私が最初にプリンスを知ったのは大学生のとき。それまでも「パープルレイン」や「バットマン」くらいは何となく知っていましたが、アルバム単位で聴いたことはありませんでした。
友達に何かを勧められた(ベスト盤だったかな?)のですが、最初は受け付けませんでした。何だか音がスカスカしている気がしたのです。
今思えば西寺豪太さんの「プリンス論」の「ビートに抱かれて」の解説にある

実はこの曲、イントロとアウトロだけにしかギターが登場しないのだ。(略)この究極にシンプルな音構築は、ただシンプルなだけでは、ない。(略)なんとこの曲には、全編を通じて「ベース」が存在しない。

ということだったのだと思うのですが、その時には気が付きませんでした。


スカスカのサウンド、気持ち悪い裏声(当時は「ファルセット」という歌唱法も知らなかった)。何がいいのか分かりませんでした。
でもまあ世間では天才と言われているらしいし、友達もわざわざ勧めてくれたのだから我慢してもう少し聴いてみようかな、メロディはポップだし。


しばらくして(数週間だったか数か月だったか)、なぜか急に体の中に入ってきました。スカスカに見えた音の中にはグルーヴがあったのです。そうなると、どの曲も名曲なのが分かってくるのです。
そして、その当時「The Most Beautiful Girl In The World」がリリースされました。これが名曲!こちらはグルーヴではなくメロディとしての名曲。
(動画を貼ろうと思いましたが、プリンスは管理が厳しいらしく、いいものがありませんね)

Prince - The Most Beautiful Girl in the World
続いてこの曲も収録したアルバム「ゴールド・エクスペリエンス」が発売。このアルバムにはK-1グランプリのテーマ曲として使われていた「エンドルフィンマシーン」も入っています。

Endorphine Machine / Prince
このアルバムで、完全にはまりました。1曲目からラストの「ゴールド」まで、全ての曲が配置されるべき場所に配置され、1曲目らしい曲、ラストらしい曲としてその場所にいます。これがアルバムだ!
※ちなみにこのアルバムに収録されている「The Most Beautiful Girl In The World」はアレンジが違っていて、私はシングルバージョンの方が好きです。ここに貼った音源はシングルバージョンです。


ここから過去作を漁るようになります。私は「ゴールド・エクスペリエンス」ではまったので、やはりこの頃のアルバムが好き。「サイン・オブ・ザ・タイムズ」「ダイアモンズ・アンド・パールズ」「ラブ・シンボル」など。初期の作品はやはりスカスカ感があり、そんなにはまりませんでした。


しかし、せっかく大好きになったプリンスですが、レコード会社との揉め事でこの頃の活動は順調ではありませんでした。他のミュージシャンと比べれば多作といえるリリースでしたが、レコード会社との契約消化のためのリリースという形で、渾身の1枚!というわけではありませんでした。「ブラックアルバム」は良かったけどファンク企画盤みたいだったし、「カオス・アンド・ディスオーダー」は怒りに満ち溢れたアルバムでした。ジャケットの意味についてはWikipedia参照のこと。
この頃は名前もプリンスから「あのシンボルマーク」になり、呼びようがないので「the Artist Formerly Known As Prince」なんて言われたり。
プリンスがレコード会社と揉めたのは原盤権を含めた権利(リリースはいつにするか、収録曲はどれにするかなども)を全て自分で掌握したかったためで、なので名前を変えて「プリンスはもういない。自分は新しいアーティストだ。だから権利を全てよこせ」という主張だったのですが、そんな子供みたいな我儘が通るはずもなく裁判では負けてしまいました。当たり前だ。
そもそも、プリンスは1stアルバムの頃(19歳!)からセルフプロデュースを認められた破格の待遇を受けており、それ以上の要求はさすがにレコード会社としても認めるわけにいかないですよね。
なので、この頃からプリンスは基本インディーズで変なアルバムを変則的にリリースするか、たまにワンショット契約(アルバム1枚だけの契約)でメジャーからアルバムを出すという活動形態でした。


この頃はちょいちょいとアルバムは聴いていましたが、さすがにアメリカの新聞に付属したアルバムなんて聴けるはずもなく、ちょっと遠のいておりました。
「レインボウ・チルドレン」は1曲目がいい!長いけどいい!アルバム全体もジャズっぽい。ジャケットのイラストもいい。「ミュージコロジー」「3121」「プラネットアース」は全然はまらなかった。


2014年、久々にメジャーからアルバム「アート・オフィシャル・エイジ」が出ました。あー、これだわ、これがプリンスだわ。鳴っていてほしい音がそこにありました。
ese.hatenablog.com
このアルバムについては過去書いたことがあります。
そしてまた今年もアルバムが出るところだったのに、この訃報。


残念すぎる。人が亡くなるのはもちろん悲しいことですが、ミュージシャンの場合「とはいえ最近アルバムもライブもないしな…」と思ってしまう人もいます。20年前は聴いていたけど、とか。
しかしプリンスは57歳にして現役バリバリ。創作意欲もその出来も、ライブツアーもそのパフォーマンスも、どちらも現役真っ盛りなのです。そして、彼は歳を取ることはなさそう(見た目も若々しい!)でありながら、60歳70歳になったときの音源も聴いてみたいと思わせる人だったので、余計に悲しい。まだ何もやり遂げていない。まだ終わるなんて早すぎる。
「まだ若いのに」という哀しみの表現はよくありますが、プリンスに対してはそれは文字通り「まだ若いのに!」という気持ちになります。困るんだよ、まだ聴きたいのに。困るんだよ。悲しい。


プリンスは白人でも黒人でもない。それは血も音楽も。
黒人音楽でありダンスミュージックであったファンクをポップスに昇華させた男。セクシャルも人種も全てを超越した存在。天才であり唯一無二であり唯我独尊である彼は、徹底した自己プロデュースで自身の価値を保ってきました。
「負け戦をしない」。背が低い(157センチと言われています)というコンプレックスを抱いていた彼は、大勢の中には決して入ろうとしませんでした。あの「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加の予定でしたが、直前にドタキャンしました。これも西寺豪太さんの著書に詳しいのでそちらを読んでください。
また、インタビューは決して受けない。受けても音楽の話はしない。徹底的に自身の神秘的なイメージを保持するのです。だからこそ私は今でも彼のことをもっと知りたいし、その答えはCDの中にしかないのだからまた音楽を聴くのですが。


プリンスは日本に来てくれない。最後の来日は2002年です。毎年フジロックサマソニで名前が挙がるのではと期待をしていましたが、結局実現は不可能となってしまいました。
もしフェスでもワンマンでも来てくれたら、いくらチケットが高かったとしても行こうと思っていました。
なぜプリンスは日本には来てくれなかったのでしょうか。他の国へは結構行っているのに。単なるギャラの問題?日本嫌い?あー、もう、残念。


結局、生のパフォーマンスを見ることは叶いませんでした。音源は録音済みのものが腐るほどあるらしいのでしばらくは楽しめそうですが、ライブ見たかったなあ。
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音源は結構持っているのに、私はまだ彼のことを何も知りません。彼の才能の大きさや個人的な思いなど、今後さらにアルバムを聴いてもたぶんほんの数%しか私には理解できないんだろうな。
ひたすら残念で、悲しい。R.I.P.Prince


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