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映画『グリーンブック』 感想

切り口、側面はいろいろ


映画『グリーンブック』を見てきました。公式サイト↓
gaga.ne.jp
さすがアカデミー賞作品賞受賞作品。派手なテーマや有名な俳優陣ではありませんが、私の田舎でもなかなかの客の入りでした。肩書きって大事。


人種差別問題という面では近年では『ドリーム』、価値観や境遇の違う二人の融和の物語としては『最強のふたり』などが思い出されるこの作品。アカデミー賞受賞という面も含めてもっと近いのは『ドライビングミスデイジー』でしょうが、私この作品は見ていません…。


人種も立場も違う二人が旅をしていくうちにいろいろ気づいたり認め合ったり自身を改めたりするのは映画としてはベタな設定で、その先にあるものも着地点も何となく見えています。そういう安心安定のフォーマットで、実際いい着地をするのですが、それでも気をつけなくてはならないのが「人種差別問題」というテーマ。ひとつ間違えれば厳しい批判の的になる問題です。実際賛否両論なのですが、それについては後述。


口が達者で腕っ節は強いが教養はないイタリア系白人のトニー・リップと、ドイツ留学でピアノを学んだお坊ちゃん育ちの黒人エリートのドン・シャーリー。マンガのように正反対の二人ですが、これは実話です。
白人と黒人のコンビで人種差別問題を扱う映画だと、これまでは「進歩的な白人が黒人を擁護・教育する」という構図が多かったですが、本作は反対。粗雑な白人と上品な黒人というコンビ。
また、こういう作品は静謐で上品なタッチで描かれることが多いですが、本作のテイストはコメディ。なので間口は広く楽しく見ることができます。


実話を元にしてありますが、キャラ設定はだいぶ誇張している感じがしました。トニーの粗雑で大食漢ぶりとかドンの初登場時の「ジャングルの王者」みたいな超然とした格好とか。
※その後のドンを見るとオフでも基本フォーマルな格好をしているので、家にいるときにあんな格好しているとは思えないけどなー。
その「二人の距離」がそのまま旅のエピソードとして機能するのだから、これは作劇としてはアリです。


人種差別問題を描く作品だと、「黒人に対し人種差別をする白人→反撃する黒人・たしなめる白人→何かしらの改善」というのが旧来のフォーマットでしたが、『ズートピア』『ドリーム』など最近の作品では「俺は白人だけど黒人差別なんてしてないよ→あなたがそう思っているのは理解した(実際は人種差別の枠組みの中にいる)」という「意識していない差別」を描くのが主流で、本作もこれです。
「私は差別なんてしていません。この地方のしきたりなのです」「昔からこうなのです」「決まりだから」結果、差別してるじゃん。宿はもちろんレストランもトイレも別、控え室は物置。黒人ピアニストを呼んで演奏会をする会場ですらこれです。一般の黒人の扱いがどれほどひどかったか。
「自分たちは黒人の音楽も認める進歩的な人間だ」と自認しつつ、何も意識せず差別を続行する白人たち。それがこの時代の当たり前の社会だったのでしょう。
トニーだって「自分はストリート育ちで自分の方が黒い(自分の方がひどい境遇だ)」と言いますが、それでも食事・トイレ・宿まで隔離されることはありません。その後トニーはドンの受ける仕打ちを目の当たりにして自身の考えを改めるわけですが。


黒人だけどピアノのエリート教育を受けてきて、他の黒人とは違うドン。ホワイトハウスでも演奏したことのある、ある種白人よりも上の立場のドン。しかし一般人として街を歩けば「黒人」として差別されるドン。南部の農場で鍬を振るう黒人を見たとき、彼はどう思ったのでしょう。ピアノの才能がなければ自分もこうだったのか。才能があってもこの環境だったらその才能を発揮する機会すらなかったのか。結果教育を受けることができてこうしてコンサートツアーをしているが、自分は恵まれているのか。自分は黒人でも白人でもない。そして男性ですらない。自分はどこにも属していない。
それでも、暴力に訴えないという自分のプライドは曲げずに戦うドン。それに対し、ときには暴力、ときには買収、ときには口八丁手八丁でその場を切り抜けるトニー。この対比もいい。理想と現実、どちらかだけが正解ではない。


ラスト、車を止めて休もうと言うトニーに代わって車の運転をするドン。クリスマスだから家族に会わせようと頑張ったんですよね。優しい。
そして家に寄れよと誘うトニーをやんわりと断りつつ、やっぱり寂しくてシャンパンを手土産にトニー家を訪れるドン。このワンクッションもいい。そしてドンとハグをしつつ「手紙ありがとう」と耳打ちする妻ドロレスでラストカット。上手い!女性は何でもお見通し。



よかったです。上に書いたように物語としては鉄板のフォーマットですが、描くべきことはきちんと入っていて十分名作だと思います。
ただ、アカデミー賞作品賞受賞!というほど超絶名作かと言われるとそこまで自信はない。それでも、今年のアカデミー賞がこの作品を選んだのは時代的・政治的には十分理解できます。アカデミー賞は作品そのものだけでなく、時代と社会によっても選ばれるのだから。


そして、この作品がアカデミー賞作品賞にふさわしくないのではないかという批判。それは「黒人差別の描写がぬるい」「差別している側の白人が黒人差別を批判する演説をかます構図が我慢ならん」という批判。なるほど、気持ちは分かります。私は日本生まれの日本人なので、実際の黒人差別は肌感覚としてはまったく分かりません。それでも、この作品を見た範囲での私の考えを書きます。


まず、前者の「黒人差別の描写がぬるい」という批判。確かにそうかもしれません。あの当時のアメリカ南部なんてもっとひどい黒人差別が日常だったはずです。
でも、本作のドンは一般の黒人とは違う立場なので、この程度でいいのでは。それでも様々な場面で様々な差別を受けています。あと、身も蓋もない言い方をすると、「お話」なので映画に合った表現にするのは当然です。コメディタッチの作品にドキュメンタリーテイストは合わない。それだけの話。


「白人が説教するな問題」は、確かにその通り。黒人差別という、当事者にとってはものすごく重大な問題を軽々しく「差別はいけない」ときれい事で語るなと。確かにその通り。
でもさ、そういうシリアスな作品は別にあって、それを求める人はそれを見ればいいし、そこまで人種差別に対して問題意識を持っていない人でも「入り口」としてこの作品は機能すると思うのです。
「分かりやすい」は批判の対象ではなく、間口の広さとハードルの低さはプラスの効果だと思うのです。

『グリーンブック』は、「加害者」側の人間(トニー)を憎めない主人公にして描くことで、幅広い観客が共感を覚え、自らの差別意識に気づくきっかけを与えている。
『グリーンブック』はわかりやすくて感動的な映画だからこそ、あらゆる人々が差別問題について考える入り口になりえた。それを「幻想」と切り捨てるのは、的外れだと思う。

theriver.jp

分かりやすく「差別はいけない」ということを語っている『グリーンブック』は、それがある程度の保守性を持っているがゆえに、そのメッセージは差別者にすら届き得る可能性が大きいともいえる。

realsound.jp
どっちが正解という話ではない。「北風と太陽」のように手法の問題。


最後に。この作品の製作(プロデューサー)と脚本にはニック・バレロンガが関わっています。本作の主人公トニーの息子です。というわけで、事実を元にした作品ではありますが、いろいろ脚色はされているわけで、それはトニー側にプラスにしている部分が多いはず。ドンの遺族からは「二人は映画のような友情関係ではなかった」という批判もあったそうです。
だから、トニーは粗野に見えても憎めないキャラクターに描かれているのかもしれません。
しかし、だからこそこの間口とハードルができて、結果「誰が見ても面白い」という分かりやすい作品になったのだと思っています。『ボヘミアン・ラプソディ』にも改変があって、それが厳しいロックファンからは批判を受けつつ、そのおかげでロックファン以外にも広まって大ヒットしたように。


私は、人種差別問題映画がどれもシビアでシリアス一辺倒である必要はないと考えます。そういう意味で、本作はあくまでエンタテイメントとして楽しめる「軽さ」を持ちつつ大事なテーマもきちんと描けている名作だと思います。


グリーンブック~オリジナル・サウンドトラック

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