日本でできない理由はなんだろ
映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』を見まして、ものすごく衝撃を受けたのですが、私はマーベル作品をきちんと見ていないので存分に語れない。
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愛も知識も熱量も足りない。そして、ネットを徘徊していると皆さんの愛と知識と熱量にやられちゃう。
私、もう書くことねえわ。
映画は素晴らしかったです。目的はサノスを殺すことではなく、世界を戻すこと。これを冒頭で提示して、「敵を殺しても何も解決しない」を分からせる作り。
タイムトラベルを使って過去作品とタンデムしながら伏線回収しまくり、これまでの過去に決着つけまくり。
クライマックスのラグビーのような「ガントレット運びレース」でクロスオーバー作品の本領発揮。
そしてラストのアイアンマン指パッチン!!アベンジャーズの主役は誰だ?アイアンマンだ!!
もう一人のメインキャスト、キャプテン・アメリカの人生の決着も素晴らしい。何より、このサーガから降りるキャラクターに対する敬意が素晴らしい。最高の見せ場と納得の引き際。これでもう絶対に出てこないことは確定しちゃうけど、誰も文句言わない満点のラスト。
過去作の引用と伏線回収のひとつひとつがファンの胸を熱くさせ、涙腺を刺激する。「あれがあったから今回入れた」という後付けもあったでしょうし、「これのためにあれを入れておいた」という狙っての伏線もあったでしょう。どれも見事にはまっていました。
もっと深いことは大勢の人がたくさん書いているので、そちらを読んでください。私ができるのはそれらを読んで「すげー」「その通りだなー」「よく気づいたなー」「素晴らしい深読みだなー」と頷くことだけです。
文句なし。満点。
ただし、これはこれまでの積み重ねの満点(というか5,000点)なので、単体で評価できない作品ですね。3部作とかともまた別の種類。これは「クロスオーバー」という新しいジャンルなので。
あ、文句あった。東京の描写。『ブレードランナー』でしか日本知らないのかな?
もうひとつ。キャプテン・マーベルが強すぎるのでバランスがおかしい。宇宙も自由に飛ぶことができて、巨大宇宙船も自由に貫通できる。強すぎる。サノスだって簡単に貫けちゃうんじゃない?
ちょびっとだけ気になったことを書いておきます。
今回の解決の鍵はタイムトラベルで、それはアントマンによってもたらされます。そのアントマンが量子世界から戻って来れたのは、ネズミが量子マシンのボタンに触れたから。ということは、あのネズミがいなかったらアントマンの復活もなくこの世界の復活もなかったのか!あのネズミに国民栄誉賞を与えよう。ネズミ憐れみの令を発布しよう。
アイアンマンの指パッチンで戻ってきた世界の人々とヒーローたち。そこにナターシャはいません。ソウルストーンを得るために「大事な人を失う」という決断をしてしまったから。これでナターシャはこの世界から「除外」されてしまったため、復活することはできないのです。
それは分かる。あの決断はそれほど大きなものだから。『ドラゴンボール』のお気楽神龍とは切実さのレベルが違う。
それでも、ガモーラは戻ってきましたね。過去から連れてくれば、もう一人は死んでもその人は死なない。ラストでも「生きているだろうけど行方不明」という状態でしたよね?
じゃあ、同じことやってナターシャを連れてくることはできないのでしょうか。どなたか教えてください。
今後ナターシャの単独作品が予定されておりまして、とりあえず今回は過去の話だそうですが、そんな安易な「エピソード0」を今のマーベルが作るかな?今回は過去編だけど、その先では現在・そして未来のナターシャの話にするのでは?だからトニー・スタークのお葬式はしてもナターシャのお葬式はしなかった(描かなかった)のでは?
妄想は自由なので勝手にやるのだ。
マーベル作品がすごいのは、これだけのアクション超大作なのに血が出ない。残酷描写がない。レーティングに引っかからないよう十分気をつけて作られている。サノスを首ちょんぱしても残酷感なし。でも、何をしたかは分かる。
私は「映画なんだから表現に枷をつけるな」と思っているのですが、そんなことしなくても十分映画としての表現はできる、ということを目の当たりにしました。残酷描写は必然性があれば遠慮する必要はありませんが、「過激な表現」のために描かれるのなら意味がない。手段と目的をはき違えちゃダメ。
私は特撮ものをまったく見ないので何も知らないのですが、戦隊ヒーローものや仮面ライダーものでも「全員集合!」みたいな作品ありますよね。ああいう作品はMCUものとは全然違うのでしょうか?こういうキャラクターたちでクロスオーバーを作ることはしないのですか?されているのかな?
作り手は「うちもこういうの作ろう」とは思わないのかな?
こういうの、マンガだったらできそうなのにな。手塚治虫や水島新司はやってきたじゃないか。『ドラゴンボール』でペンギン村に行ったじゃないか。できないのかな。大変すぎるのかな。
繰り返しになりますが、素晴らしい映画、素晴らしいサーガでした。お金がたくさんあればすごいCGは作れますが、お金がたくさんあれば素晴らしい映画を作れるわけではない。愛と技術と情熱と交通整理できる頭の良さと様々な問題を解決していく政治力とこの超大作をまとめるリーダーシップ。どれかひとつでも、どれかが少しでも欠けたらこの作品はできない。結局最後は人間力。
あー、きりがない。誰かと語りたい。でも、自分の周りでは誰も見ていないし、そもそも『エンドゲーム』って何?の人ばかりです。サノスよりコナンの方が強い。
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