説明せずとも描いてあれば分かるのだ
映画『はちどり』を見てきました。公式サイト↓
animoproduce.co.jp
私が見たのは渋谷ユーロスペース(のユーロライブ)。
急に時間が空いたので予約もなしに行ったらなんと満席。新型コロナで客席半分しか入れられないとはいえ、この規模の作品で満席とはすごい。で、翌日にきちんと予約をして鑑賞してきました。
評判に違わぬ名作でした。
とはいえ、簡単に言葉にできる分かりやすい作品ではありません。見終わって、いろいろ反芻してようやく心の中に落ちていく感じ。「感情が腑に落ちる」というか。
※これは私の理解力が足りないためで、そうでない人は見ている最中からとても感動したと思います。
物語は、特に大きな推進力を感じることなく進んでいきます。主人公ウニの何てことない日常。しかし、徐々に私たちは気付いていきます。この子は、家庭で大事に扱われていないということを。
ネグレクトではありません。期待されている長男、遊ぶから注意されやすい長女、優先順位はその次。まだまだ子供だから一人前に扱われていないだけ。
思春期の入り口に立つウニとしては「自分ってなんだろ」と自分の存在意義に不安を覚えるのです。自分にとって大事なことなのに、大人は軽くいなすだけ。誰も真剣に取り合ってくれない。
オープニングの「家のチャイムを押しても家族が開けてくれない」は、私もすごく分かる。不安になるよねー。自分の居場所がなくなった!自分の居場所を否定された!という感覚。映画の中では「階を間違えた」というおっちょこちょいなオチでしたが。
また、街中で母親を見つけて声を掛けたのに無視される場面。これも自分の存在を無視される感覚があるよねー。ここは、母親が「母親」という役割から解放されているため子供の声が耳に入らなかったということらしいです。うむむ、それは読み取れなかった…。
note.com
(↑参考記事)
万引きで捕まり、店主が家に電話をして親に迎えに来いと言っても「警察に突き出せばいい」という父親。これは完全に自分の拒否だもんなー。さすがにひどいなと思いますが、当時の韓国としてはそんなにひどくないの?国と時代と文化が違うので特異性のレベルが分からない。
学校で教師は「タバコを吸う奴は不良だ」「勉強していい大学に行くぞ」という価値観を押しつけてきますが、それに乗れないウニ。
世界は、自分を必要としていない。
そんなとき、漢文の塾でヨンジ先生に出会います。初めて自分と会話をしてくれる人。自分の言葉にきちんと返答してくれる人。
世界は、意味があるのかもしれない。
その後も小さな出来事は起きます。自分に心を寄せていた下級生は新学期になればもう心変わりをしているし、親友とは仲違いと仲直り、彼氏とはくっついたり離れたり。
自分も、周りも変わっていく。
しかし、ヨンジ先生は突然塾を辞め、きちんとお別れも伝えることができません。そこで手土産を持ってヨンジ先生の家に訪ねていくと、聖水(ソンス)大橋の崩壊により、先生は亡くなっていました。
悲しみと喪失感に覆われるウニですが、ラストは事故現場を遠くから見てヨンジ先生を悼む場面でエンド。
こういう作品は終わりどころが難しい。「それでも前を向いて生きていく」とすれば分かりやすいですが、この作品にはそぐわない。ウニが「他者について考える」という成長を描いたところで終わったのは、分かりやすいカタルシスはありませんが、この作品として相応しい着地だったと思います。
物語として分かりやすいクライマックスやオチはありませんが、映画というのはそれだけで語るものではありません。
構図、照明、衣装、小道具、美術、カット割りなど、総合的な技術の塊が映画なのです。
そういう意味で、この作品は素晴らしい。
チャイムを押しても応答のない我が家。このときのウニは表情を映しません。呼びかけても答えてくれない母親も、斜め後ろからのカットで表情は見せません。塾の校長に抗議をしに行ったウニは後ろ姿で表情は分かりません。その向こうにいる校長はわざとピントを甘くしてぼんやりと映します。これは、子供に対してテキトーな対応をする大人の総体として、わざとピンボケにしているのかな?
他の人の感想にもあるように、1994年という舞台設定も絶妙なのでしょう。その年に起こった金日成の死去や聖水(ソンス)大橋の崩壊といった実際の大事件と、韓国がようやく先進国の仲間入りを目指す高度経済成長に向かっている時代、そして数年後経済危機が起きるという未来。
韓国の人や同年代の人はよりリアリティや共感性をもって見ることができたと思います。
家父長制に基づいた家族のあり方や男尊女卑という社会も、今だから違う視点・違う価値観で見ることができます。
こういう「子供が成長する物語(ジュブナイルもの)」って、ピュアな子供、もしくはイケてない子供が主役の場合が多いですが、この作品の主人公は違います。
中学生なのに彼氏はいるしクラブに行くしタバコは吸うし万引きもする。結構大人じゃん、ワルじゃん、ギャルじゃん。ここが新しいと思いました。これは多分、監督が若い女性だから。男性監督なら、自分の中学生時代を思い出しても何も考えていなかったから、それをピュアと見なして無垢な主人公像をつくるのでしょうが、女子は違う。女子は子供の頃から女性ですから。その差なのかなー。
あー、上手く言葉で表現することができない。この作品をきちんとつかみ取れていない。
シネコンで大ヒットする作品ではないし、誰もが「面白い」と分かりやすく思ってもらえる作品でもない。しかし、自ら理解しようと作品に敬意と信頼を寄せれば、幾重にも素晴らしさは伝わり、理解してもらえる作品だと思います。私はまだタマネギ一皮むいただけ。