やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画『花束みたいな恋をした』感想

サブカルクソ野郎を殺す映画


私は恋愛映画が苦手です。好きとか告白とかキスとか、恥ずかしい。なので恋愛映画はまったく見ません。
私はテレビドラマをまったく見ません。なので坂元裕二のことも知りません。名前は知っていますが作品は見ていません。
『花束みたいな恋をした』の世間の盛り上がりは感じていましたが、恋愛映画だし坂元裕二だし、私が見る作品ではないなと思い、劇場ではスルーしていました。
しかし、どうもこの作品は「サブカル」という要素があるらしい。むむむ、それなら私でも見れるかな。見てみようかな。ストリーミングに来たら見てみよう。


来ない。
NetflixにもAmazonプライムにも来ない。待てど暮らせどずーっとU-NEXT独占。むむむ。
しびれを切らして、10月にU-NEXTに入りました。しかし仕事が忙しくて全然見ることができず、このままサブスク料金だけ払うのは悔しいと思い、ようやく30日に見ました。


刺さりすぎた。


死んだ。



これは童貞を殺すセーターですが、この作品はサブカルクソ野郎を殺す映画じゃないか!まんまと死にました。


オープニングのイヤフォンのくだりで既に死亡。このうんちく、私言いそう!その後も固有名詞の数々が出るたび共感性羞恥で死んでいきます。恥ずかしい。お前は俺か!
付き合いだすまでの30分で108回くらい死に、あとは作品世界に入っていきました。


この物語が素晴らしいのは、男女のすれ違いが「どちらも悪くない・間違ってない」ところにあります。双方の言っていることはどちらももっともなのにすれ違っていく。嫌いじゃないのに、相手のことを思っているのに、すれ違っていく。男女問題はいつも面倒だ(©ミスチル)。
また、子供(学生)が大人(社会人)になりすれ違っていくのは、男性はいつまでも子供のままで女性は社会に順応していくからそこですれ違いが起きるというのはよくあるパターンですが、本作は男性が社会(働くこと・お金を稼ぐこと・成功すること)に目覚めたためすれ違いが起きるのです。こうして「どちらも間違ってないのにすれ違う」二人になっていくのです。


麦は当初イラストで食べていくことを夢見ますが、現実は甘くない。安い単価をさらに叩かれ、夢だけでは食べていけない。
現実に目覚めて就職する麦。当初5時までに帰れるなんて言っていたのに実際は遅くまで仕事だし、土日も電話が鳴る。見たかった映画も読みたかったマンガもやりたかったゲームもできない。しかしそれも、いつしかその欲求さえなくなってくる。自分に今必要なのは娯楽でなく成長と成功だ。
ここで、麦ができるのはパズドラだけという描写が(ある意味)リアル!即物的で瞬間的な楽しみのみ。


クライマックスで別れを決めたのに「結婚しようよ」と迫る麦。別れを決めたのに迷う絹。そこに現れる若いカップル未満の男女。
私たちもああだったよな。今は違っちゃったな。あの頃は輝いていたな。今は大人になっちゃったな。もうあの頃には戻れないな。それが現実だよな。
イヤフォンのくだりは「二人は同じ音楽を聴いているようで違うものを聴いていた」ということで、それが二人の生活を表しているように思えます。同じだと思っていたのに、違っていた。結果、そのすれ違いは埋められない距離になってしまった。


これ、恋愛映画だし菅田将暉有村架純主演だからカップルで見に行った人たち多いよね。見終わった後、どうなっちゃったかな、心配。私は奥さんと見たのですが、結婚したあとでよかった…。


恋愛映画として素晴らしいのはもちろんですが、私が語るべきはやはりサブカル関係。
一般人のマニア映画『ショーシャンクの空に』。一般人の見る映画は実写版『魔女の宅急便』。もちろん押井守なんて知らない。
絹が呼ばれて行く西麻布のカラオケ屋でIT成金たちが歌うのはGreeeen、大学生麦の同級生達が歌うのはセカオワ、麦と絹が二人で歌うのはきのこ帝国。
麦の部屋にある『AKIRA』『ドラゴンヘッド』『シガテラ』『鉄コン筋クリート』などのマンガ類。CDも見たかったけど2015年の若者はもうCDあまり買わない世代か。
そしてファーストデートはミイラ展。
ese.hatenablog.com
私も行ってるよ!
そしてラストの若者カップル(未満)をつなぐのは羊文学。20年代だなー!


この物語はセリフも演技もとてもリアルで、だから私にぶっ刺さったわけですが、少し気になったことがあります。
麦はサブカル好きの若者ですが、映画・音楽・マンガよりも小説を多く読んでいる印象があります。そうであれば、ファスト教養的な目先の成長なんかよりももっと大事なものを知っていると思うのですが。
そして、そもそもサブカル好きなら、忙しくてもサブカルは好きなままじゃない?私は今仕事が忙しくて全然カルチャーを摂取できていませんが、それでも「好き」は変わりません。そこまで人って変わる?私は「人はティーンの時期に出会ったカルチャーを一生引きずる」と思っているので、麦がそんなに変わることが信じられません。しかも小説って他のカルチャーより能動的な文化です。自分で読まない限り話は進まない。映画・音楽・マンガとは違う。そうであれば、うーむ。


あー、刺さった。
早速職場でこの作品のことを話したところ、誰も見ていませんでした…。これが現実。これが世間。


<追記>
冒頭のシーンで、麦はカルチャーについてのうんちくを垂れています。あれ?麦はカルチャーから距離を置いてファスト教養の人間になったのでは?
そういえば、劇中で麦は先輩社員から「5年頑張ったら楽になるから」と言われていました。そのときから5年は経っていませんが、仕事に慣れて余裕ができてきたのでしょう。だから新しい彼女とも出会えた。そしてカルチャーとの距離も近くなった。


そうなんですよね。私もビジネス書をたくさん読む時期がありました。仕事が忙しくてカルチャーどころではない時期がありました。結婚したらライフサイクルが変わってライブに行くことも激減しました(コロナもあるけど)。
それでも、落ち着いてくれば映画通いはするし小説も読む。熱量や網羅する範囲は変わりますが、カルチャーが好きであることは変わりません。


映画の話に戻る。
つーことは、直前の荒波を何とか乗り越えていたら、絹ともまた仲良くできていたのかも。まあ、それが無理だったから別れたわけだし、そういうたらればはここで言っても意味がない。途中で結婚しちゃえば乗り切れていたのかも、というのもたられば。
あと、職場の先輩の人、『桐島、部活やめるってよ』の野球部の先輩の人ですよね?あの人、ドラフトで指名されず、この会社に入ったのか。