やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

物語は「脚本」と「キャラクター」の両輪で回る

映画『オールド・ボーイ』(韓国版)を見まして、世間では絶賛ですが私はどうも乗り切れない感想でした。
「理由も分からず拉致監禁され、15年後に突然解放。その謎を探る」というあらすじ、面白そうじゃないですか!そして途中横スクロールゲームのようなアクションシーンがあったりクライマックスではびっくりの秘密が明かされたりとオモシロ要素がたくさんある作品だったのですが、映画全体としてはイマイチだったなーというのが私の感想です。


で、なぜ乗り切れなかったのかというと、キャラクターの行動理由が分からないから、が大きいです。脚本はいいけどキャラクターがよくない。
いや、キャラクター自体はいいし俳優の演技も素晴らしいけど、「そいつはそんな行動するかな?」と思ってしまったのです。
15年間監禁された後に解放されて、若い女性が好意を持ったらすぐヤルでしょ。女性も「この曲歌ったらやろう」なんて言うかな。男側は「そんな生殺し!殺生な!」と思うでしょう。
そもそもの原因も、犯人の男は何年も準備してさらに15年監禁してその後ネタばらしって、気長で粘着で壮大すぎるだろ、と思うのです。動機は理解しますが、トータル30年近く頑張れるものか(あの覗き見のとき、主人公と犯人は何歳という設定だったのかな?)。すぐに殴りに行ったりはしないのか。催眠術の万能ぶりは目をつぶる。


映画でも漫画でも、お話そのものはウソなわけじゃないですか。で、そこにリアリティを持たせるのが設定や時代考証や物理的な可能性なわけですが、それ以上にリアリティを持たせるのは登場人物の考えや行動に一貫性があるかどうかだと思うのです。
そこで登場人物が生きていると、どんな変な行動をとっても気にならないのです。それが、脚本の都合で動かされると「何でこんなことするかな・言うかな」と思ってしまうのです。


もちろん脚本がないと物語は進まないので、そのバランスが大事。
井上雄彦さんは「この人、こんなこと言うかな?」と常に考えながら物語を作っていて、「キャラクターが生きていれば話はどうでもいい」と発言しています(こんな強い言い方ではなかったけど)。これには賛成なのですが、『バガボンド』も『リアル』も、そのせいで話進まなすぎだぞ!
逆に、『ワンピース』は話を進めるためにキャラクターが動かされている感じがするし、『君の名は。』の「会いに行かない主人公たち」「日記アプリが消えてしまう」「災害のことを知らない」設定は都合いいなーと思ってしまうのです。
バランスが大事。


同じことを書いているエントリ↓
ese.hatenablog.com
こっちの方が深く書いているな。


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