やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

日本語HIPHOPがメインストリームになるのはもう諦めました

この世界の片隅で生きていこう。でも、でも。


昨年『フリースタイルダンジョン』のヒットで「ラップ」や「MCバトル」がブームになりました。その余波でほかの番組でもフリースタイルの特集が組まれたりラップを取り入れたCMがいくつも作られたりと、2016年は確実に「ラップブームの年」でした。90年代から日本語HIPHOPを聴いてきた私としてはうれしい限り。
あとは音源でヒットが出るだけだ!という状況だったわけですが、結局世間に届くヒット曲は生まれませんでした。


もう日本語HIPHOPがメインストリームになるのは無理なのか。最近の私は諦めがちです。


本論に入る前に、語句の説明をします。
●ラップ:リズムに乗って歌うメロディの少ない歌唱法のこと
●ヒップホップ:ラップで歌われる曲やジャンルのこと
ものすごい大掴みな説明ですが、こういうことです。「ヒップホップ」は「ロック」「パンク」のような音楽ジャンルのことで、ラップはその歌い方のこと。
●韻:同じ響きで言葉を重ねること。これによりリズムが強化され、聴いていて気持ちがいい。音の響きを合わせただけなのはダジャレです。意味が掛かっているから韻になりパンチラインになる。
●フロウ:ラップの歌いまわしのこと。普通の曲の「メロディ」です。つまり、ラッパーもシンガーソングライターなのです。
パンチライン:リリック(歌詞)の決めどころ、名台詞。「俺は東京生まれHIPHOP育ち 悪そうな奴はだいたい友達」などがパンチラインです。
あと、ここでは「メインストリーム」と大きな言葉を使っていますが、ニュアンスとしては「一般的」「メジャー」くらいの意味です。ロックやポップスと同じレベルでヒップホップが世間に存在するといいな、くらいのレベル。


2016年はラップブームだったわけですが、それまで日本の世間にはHIPHOPは存在しなかったのでしょうか。そうは思いません。90年代から日本語HIPHOPはずっとあって、今の音楽はどれもHIPHOP以降の音楽であり、HIPHOPやラップは自然と世間に浸透していると思っています。
曲の作り方も「伴奏」ではなく「トラック」であり、リズム・コード・メロディの3要素では昔よりリズムのバランスが大きい。昔に比べて細かくなった譜割りは確実にHIPHOPの影響だし、ラップとメロディの境があいまいな歌い方をする人も多くいます。


つまり、今の若い人でHIPHOPを知らない人、嫌悪感を持っている人はほとんどいないのではないかと思うのです。もうごく自然に現代の音楽の要素の一部になっているのだから。


なのに、日本語HIPHOPはヒット曲がでない。なぜか。


理由の一つは「メロディの少ないラップだけで1曲聴くのはツラい」からではないか。
メロディがないよりはあった方がいい。であれば、ラップだけよりもメロディ優先の曲の方がいい。
曲の一部がラップになっているのは格好いいけど、1曲まるまるはちょっと…。カラオケも歌えないし…。と思っている人が多いからではないか。


また、HIPHOPは言葉の音楽なので、歌詞が重要。しかし普通の人はコンビニやラジオで曲が流れてきても歌詞なんて重要視しません。メロディしか聞きません。なので、いい言葉を詰め込んであってもHIPHOPはつかみが弱い。メロディが少ないから。
好きになれば歌詞の意味まで深読みしますが、ほとんどの人はその手前で「よく分からん」で終わります。ここでもメロディに敗北です。
もちろん「俺は東京生まれHIPHOP育ち 悪そうなヤツはだいたい友達」のような素晴らしいキャッチーな歌詞があればいいのですが、そんなパンチラインはなかなか生まれません。


かくして、「ラップは嫌いではないけど純HIPHOPは好きではない」という一般層の壁を越えられていない、というのが現状なのではないかと思うのです。
昨日今日ではなくしばらく前からラップが一般的になっているのにヒット曲が出ないというのは、世間の「認知」の問題ではなく「好み」の問題なのでは。

「コメは旨い!」は間違いないけど、それを炒飯やおにぎりなどに調理したらもっと広く食べてもらえるし、おかすがあった方が食べやすい。「コメそのものの味を!」と主張されても「分かるけど、ふりかけがあった方が美味しい」のも正直な意見。そんなHIPHOPと歌謡曲の関係。

以前、私はこんなツイートをしました。
HIPHOPは素晴らしい音楽ですが、それだけで食べるのは苦手な人もいて、そこには調理や加工があるとより食べやすくなる。白米だけをずっと食べるのは多くの人ができることではありません。


メインストリームになるのは無理だ。J-POPの片隅で生きていこう。諦めました。


と、白旗モードの私ですが、二つだけ可能性をあげます。
ひとつ目は、音楽番組への出演です。最近、長時間の音楽番組がたくさん放送されています。ここにラッパーを呼んでもらえないでしょうか。
長時間の音楽番組はコラボが目玉のひとつです。そこでどんな曲(トラック)でも乗りこなせるラッパーは使い勝手がいいし、それをDJプレイでつなげていくのもテレビ的に面白いと思うのです。ラッパーはこういう番組においていい「ハブ」になると思うので、ぜひ使ってやってください。


もうひとつは、やはりスターの登場です。
KREVA以降、世間レベルで認知されるHIPHOPミュージシャンはいません。曲自体も大切ですが、タレント性やカリスマ性も持ち合わせたスターの登場を望んでいます。
そこで、現時点で可能性のあるHIPHOPミュージシャンとして私が挙げるのはSKY-HIとCreepy Nutsの二組。
SKY-HIは紅白にも出場するAAAのメンバーで、イケメンでもあるし世間の認知もある程度はあります。ラップも上手いし歌も歌える。インタビューを読むと先のことまできちんと考えている意識高い系。素晴らしい。
blog.livedoor.jp
Creepy NutsのラッパーであるR-指定はMCバトル3連覇、『フリースタイルダンジョン』のモンスターとして活躍、など現在のフリースタイルブームのど真ん中にいる存在です。でありながらオードリー若林と南海キャンディーズ山里のテレビ番組『たりないふたり』を自身のミニアルバムのタイトルにするような「イケてない」二人組です。DJ松永なんて26歳にして童貞ですから!
この、圧倒的なスキルと親しみやすさの両立は今の時代に合ったスター像になると思います。


諦めたと書きましたが、やはり諦めきれない。日本語HIPHOP、広まれ。


<追記>
「スターの待望」という部分でPUNPEEはどうかという意見をいただいたのですが、個人的には難しいと思っています。彼自身があまり人前に出てスターになってやる!という意思がなさそうだし、ラッパーよりもトラックメイカーの方を志向しているように思うからです。なので、tofubeatsクラスにはなれるかもしれませんが、世間が知っているスターにはなるつもりがないのでは。もし売れるならtofubeats中田ヤスタカも超えてパフ・ダディクラスまで上り詰めてほしい!
あと、「パンチライン」の説明も加えました。これで正しいのか分からんけど。


<1/27追記>
はてなブックマークのコメントに対するお返事はどうやって書けばいいのか分からないのでこちらに書きます。
①DOTAMAは、今までのラッパーのイメージ(ヤンキー・不良)と違うのでヒット曲が出れば世間に認知してもらえるかもしれませんね。でも、個人的には彼の裏声になるフロウが苦手なので、あまり支持しません…。ごめんなさい。
DragonAshは、確実に日本語HIPHOPをメジャーにした第一人者で、その千載一遇のチャンスをZeebraが潰したと思っています。この辺は別エントリに書いてありますので「HIPHOP」カテゴリから探して読んでください。確かに、DragonAsh(Steady&Co.でも可)がHIPHOPを続けていたら現在の日本語HIPHOPは違う未来になっていたんだろうなーと思っています。
m-floもLOVESというフィーチャリングシステムと「イケてる感」で大成功しました。しかし、VERBALはラップが上手すぎるので世間が歌えないというジレンマ。そしてLOVESのシステムはライブなどがしにくいので長く活動するには不向き。LISAでも別の人でもいいので固定ヴォーカルがいた方がいいですね。それ以前に現在の二人が「日本語HIPHOP広めるぞ」「再びチャート上位を目指すぞ」という意欲があるか疑問です。
「ルーツミュージック」に基づく誤解・偏見はまだありますね。黒人の音楽だ、日本にゲットーなんてないのに、とか。いつまでそんなこと言っているんだ。今ロックに対して「不良の音楽」「革ジャン」なんて言っている人いないのに。早く単なる音楽ジャンルにならないかなー。
③「ヒット曲は聴くものではなく歌えるもの」、同感です。特に今の時代は「歌ってみた」「踊ってみた」のようにSNSでシェアすることもヒットの条件なので、そうなるとハードルは下げなければならない。聴いて気持ちいい高性能ラップは、真似もコピーもできないので広がらないというジレンマ。


OLIVE(DVD付)(Music Video盤)

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助演男優賞

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映画「ザ・コンサルタント」 感想

設定多すぎじゃね?


(ネタバレあります)


ベン・アフレック主演の『ザ・コンサルタント』を見てきました。公式サイト↓
wwws.warnerbros.co.jp
監督はギャヴィン・オコナー。全然知らないな、と思っていたのですが、『ウォーリアー』の監督だったのか!
ese.hatenablog.com
有名でない作品ですが、とても面白いのでぜひ見てください。


自閉症で数学の天才で会計士で格闘術も射撃の腕前もすごい殺し屋。中学生の考えた少年ジャンプのマンガじゃないんだから!と言いたくなる設定てんこ盛りの主人公。
正直、少し盛りすぎでストーリーがすっきりしないなーと思いました。数学の天才がその頭脳を使って悪を暴く、もしくは地味な会計士の裏の顔は殺し屋、のどちらかでよかったのでは。


ベン・アフレックは上手かった。彼は基本アホ顔ですが、アホに見えなかった(何て失礼な言い方)。天才顔にも見えなかったけど。
相棒というか守る対象になる女性はアナ・ケンドリック。『ピッチ・パーフェクト』などに出演している女優さんですが、私は初見でした。駐日大使だったケネディさんとANRI(坂口杏里の現在形)を足して割った顔だなーなんて思いながら見ていました。鼻の感じとか。アメリカの女優さんだけど小さくてかわいい。
ベンアフの裏の顔を探る財務省の上司はJ・K・シモンズ。今回は『セッション』ではないのでキレたりしません。
シモンズの部下にはシンシア・アダイ=ロビンソン。こちらもお初です。後藤久美子クリスタル・ケイを足して割った感じと思いました。


このてんこ盛りの設定を説明するために回想シーンは必要になるし、もちろん本筋の物語も必要になるので、思った以上にドラマ部分が多い。もっとアクション多めだと思っていたのに。正直、途中ちょっと中だるみ感はありました。家でDVDで見ていたら眠くなったかも。
アクションシーンは、銃声の音がでかい。そして、自閉症のこだわりから相手を撃った後でももう一発頭に撃つ。こんなときでもきっちりしなければ気が済まない。


そしてクライマックスでまさかの『ウォーリアー』展開!確かに、回想シーンで登場していた弟は今何やっているんだろうなーと思っていたらまさかここに!危うく兄さん殺すところだったじゃないか!
そしてラストでは殺し屋業界のお姉さんの声が判明!伏線と回収が上手い。


このラストの着地が上手いので見た後の満足感はあります。ラストって大事。でも、車でどこかに走っていくベンアフのラストカットはちょっとぼんやりフェードアウトっぽい感じはしましたが。
あと、財務省のシモンズ・シンシアコンビとベンアフの絡みが一切ないのはいいのか。さすがにもう詰め込めないか。


自閉症ならではのコミュ障演出はよかったです。
アナ・ケンドリックが寝ているところを起こすためにわざとドアの開け閉めの音を出す、咳払いをする、イスを揺らす。直接声かけたり肩叩いていいんだぜ。
ホテルでいい雰囲気になっても近くに座れないし近づいてきたら逃げちゃう。え、ということはベンアフ童貞?
農場の夫婦を助ける際も説明一切なし。夫婦はいきなり襲われて「??」だし助けられた後も「????」だったでしょう。


面白かったけど、大満足!というほどではない。
続編可能な作り方ですな。ヒット次第でしょうが。続編あったら見に行くでしょう。今後は最初の設定説明省けるので本編に集中できる。
続編あるならシモンズとの絡みもよろしく!


<追記>
設定が多すぎるので、兄弟二人にしたらどうかと考えました。以下、私の妄想です。
●兄:格闘の達人
●弟:数学の天才で射撃の達人
自閉症の弟を守るために格闘を学んだ兄、自閉症というハンデを才能に転化した弟。二人で会計事務所を経営しつつ、裏では殺し屋稼業も営む。
顧客担当は兄、社交性のない弟は実務担当。
役割分担と関係性で「萌え」の要素も入れられる(わざわざ入れなくていい。腐女子は勝手に萌え要素を見出す)。
と勝手に考えました。いががでしょうか。



映画『ザ・コンサルタント』予告編


ウォーリアー [Blu-ray]

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「平易な言葉」と「そのままの言葉」の違い

表現とは


1月15日放送の『関ジャム』は「売れっ子プロデューサーが独自の目線で選ぶ2016年名曲ベスト10」の後半戦で、いしわたり淳治蔦谷好位置tofubeatsのベスト3が発表になりました。
それぞれのランキングはこちら。
いしわたり淳治
1.Have a nice day/西野カナ
2.みんながみんな英雄/AI
3.前前前世/RADWIMPS
4.STAY TUNE/Suchmos
5.蝶々結び/Aimer
6.ラヴ・イズ・オーヴァー/JUJU
7.PERFECT HUMAN/RADIO FISH
8.金の愛、銀の愛/SKE48
9.魔法って言っていいかな?/平井堅
10.My Boo/清水翔太


蔦谷好位置
1.なんでもないや/RADWIMPS
2.Die Young/KOHH
3.鯨の唄/Mrs.GREEN APPLE
4.リッケンバッカー/リーガルリリ
5.majority blues/チャットモンチー
6.No Problem/Chance the Rapper
7.In My Face/SALU
8.C'est la vie feat.七尾旅人/Kan Sano
9.LOSER/米津玄師
10.はきだめの愛/T字路s


tofubeats
1.PPAP/ピコ太郎
2.24K Magic/Bruno Mars
3.道/宇多田ヒカル
4.真夏の通り雨/宇多田ヒカル
5.Shut Up&Groove feat.DEAN/HEIZE
6.Cry&Fight/三浦大知
7.Don't Touch My Hair feat.Sampha/ソランジュ
8.恋/星野源
9.Luv U Tokio/METAFIVE
10.サイレントマジョリティー/欅坂46



この第1位で蔦谷さんは「ヒット曲の手法をいくつも取り入れている」「特にサビのコード進行が意外でびっくり」という評価、トーフさんは「808というリズムマシンに内蔵されているカウベルの音色を使うとは」という評価でした。
トーフさんのPPAP評はネットニュースにもなりました。
headlines.yahoo.co.jp


そして、いしわたりさんの第1位は西野カナ『Have a nice day』でした。

流行語が歌から生まれなくなっている。あるときからミュージシャンは自分の気持ちを歌う、表現することがゴールになっていて、その歌が世の中でどのように機能するか、誰の生活のBGMになるか、そこまで考えが及んでいない歌が増えたなって思っている。
で、西野カナの特別なところは、その視点が絶対的にあることで、常に誰かの暮しのBGMにどうやったらなるかっていうことを考えている。
(中略)
スタンプになりそうな言葉がフックとしてたくさんあって、一日のその人の生活の中でこの曲が頭に流れるチャンスは多い。だから、この曲は世の中で機能する曲だなって思ったんです。

というものでした。
ちなみに歌詞はこちらです。
http://j-lyric.net/artist/a04d733/l03b48d.html


「その曲が個人の生活の中でどう響くか(作用するか)」といういしわたりさんの意見はとてもよく分かるし納得します。しかし、「だからこの曲は名曲だ」とはすんなり思えないのです。


私は歌詞の「平易/難解」については、それ自体はどちらが正しいとか優れているという比較にはならないと思っているので、平易な言葉で書かれた歌詞はよいと思います。しかし、その歌詞があまりに「そのまんま」だと、解釈の余地もないし行間を読むこともできない、浅くて薄くて耐久性のない歌詞になってしまうと思うのです。
そして、この曲はそういう曲だと思うのです。
「カレーは辛い」「夏は暑い」みたいな、「はい、そうですね」しかいえない歌詞。それ以上でもそれ以下でもない、そのままの言葉。
これは表現といえるのでしょうか。


「表現」とは、私個人の解釈ですが、「そのものを言わずにそのものを表すこと」だと思っていて、それがダブルミーニングや比喩・暗喩といった技法で歌詞に厚みを持たせ、個人的な出来事でも抽象的な表現により普遍的な共感を呼ぶのだと思っています。
それが、この歌詞はあまりにそのまま過ぎないか、と思うのです。
いしわたりさんは番組の中で「最近は作り手が表現する時点で終わっている。受け手のことを考えていない」と言っていて、その意見にも納得なのですが、うーむ。


そういった点も踏まえて、いしわたりさんはこの曲が2016年No.1といっているのか。もちろんプロですからそういうことも全部分かっているはずですが、ぜひご本人にお聞きしたいです。


西野カナの『トリセツ』は「平成の『関白宣言』」ともいわれましたが、『関白宣言』はラストで愛情と不器用の裏返しということが分かりますが、『トリセツ』は最後まで自分の要求を並べるだけ。ちなみに『部屋とYシャツと私』も自分の意見だけですので、こちらの方が『トリセツ』に近いのでは。
また、『あなたの好きなところ』では延々と彼氏の好きなところを言っていくだけという歌詞で、ブリッジの部分では「あなたで良かった だって面白いもん」という歌詞があります。私は初めてこの曲を聴いたときにのけぞってしまいました。何だこの歌詞!


「そのまま」がいいのか。「分かりやすさ」が最重要なのか。私は、歌詞の内容の好き嫌いではなく、「そのままの歌詞」が苦手なのです。
うーん、うーん、うーん。


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物語は「脚本」と「キャラクター」の両輪で回る

映画『オールド・ボーイ』(韓国版)を見まして、世間では絶賛ですが私はどうも乗り切れない感想でした。
「理由も分からず拉致監禁され、15年後に突然解放。その謎を探る」というあらすじ、面白そうじゃないですか!そして途中横スクロールゲームのようなアクションシーンがあったりクライマックスではびっくりの秘密が明かされたりとオモシロ要素がたくさんある作品だったのですが、映画全体としてはイマイチだったなーというのが私の感想です。


で、なぜ乗り切れなかったのかというと、キャラクターの行動理由が分からないから、が大きいです。脚本はいいけどキャラクターがよくない。
いや、キャラクター自体はいいし俳優の演技も素晴らしいけど、「そいつはそんな行動するかな?」と思ってしまったのです。
15年間監禁された後に解放されて、若い女性が好意を持ったらすぐヤルでしょ。女性も「この曲歌ったらやろう」なんて言うかな。男側は「そんな生殺し!殺生な!」と思うでしょう。
そもそもの原因も、犯人の男は何年も準備してさらに15年監禁してその後ネタばらしって、気長で粘着で壮大すぎるだろ、と思うのです。動機は理解しますが、トータル30年近く頑張れるものか(あの覗き見のとき、主人公と犯人は何歳という設定だったのかな?)。すぐに殴りに行ったりはしないのか。催眠術の万能ぶりは目をつぶる。


映画でも漫画でも、お話そのものはウソなわけじゃないですか。で、そこにリアリティを持たせるのが設定や時代考証や物理的な可能性なわけですが、それ以上にリアリティを持たせるのは登場人物の考えや行動に一貫性があるかどうかだと思うのです。
そこで登場人物が生きていると、どんな変な行動をとっても気にならないのです。それが、脚本の都合で動かされると「何でこんなことするかな・言うかな」と思ってしまうのです。


もちろん脚本がないと物語は進まないので、そのバランスが大事。
井上雄彦さんは「この人、こんなこと言うかな?」と常に考えながら物語を作っていて、「キャラクターが生きていれば話はどうでもいい」と発言しています(こんな強い言い方ではなかったけど)。これには賛成なのですが、『バガボンド』も『リアル』も、そのせいで話進まなすぎだぞ!
逆に、『ワンピース』は話を進めるためにキャラクターが動かされている感じがするし、『君の名は。』の「会いに行かない主人公たち」「日記アプリが消えてしまう」「災害のことを知らない」設定は都合いいなーと思ってしまうのです。
バランスが大事。


同じことを書いているエントリ↓
ese.hatenablog.com
こっちの方が深く書いているな。


オールド・ボーイ プレミアム・エディション [DVD]

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ポリコレより先にくるもの

バナナの皮に滑って転んだら、笑うよね


先日の「すべらない話」でカンニング竹山が親友だった前田健さんのお通夜に行ったときの話をしまして、「故人の性的嗜好を笑うなんて」「芸人同士なんだから、笑いに昇華してあげるのが正しい」と賛否両論の意見がありました。
見ていない人は動画サイトを徘徊してください。


で、このネタに対し、こんなブログ記事がありました。
ninicosachico.hatenablog.com
そしてこの記事に対し
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
という反論もありました。


私は、このネタは笑えませんでした。ただ、笑えなかった理由ははっきりしません。故人だから?LGBTネタだから?ポリコレ的に正しくないから?よく分かりません。
で、この番組はこの後に宮川大輔が元相方のほっしゃん。の話をして、それは最近引退宣言→即撤回をしたほっしゃん。は昔からこんな奴(精神的に不安定)だったのよ、ということでほっしゃん。の部屋のゴミ屋敷状態を面白おかしく語るというネタでした。
私は、こっちは笑えたのです。


何が違うのでしょう。
どちらもポリコレ的に見れば「笑ってはいけないこと」「面白おかしく話すべきではないこと」の範疇なのでしょうが、笑えたネタと笑えなかったネタの違いがある。
何が違うのだろう。自分の感情なのに分からない。


多分、「その話が面白いかどうか」の違いだと思うのです。「その話が笑っていいネタかどうか」ではなく、「面白いかどうか」
ネタのチョイス、話す順番、情景や感情をイメージさせる説明、間、声のボリューム等すべてを総合して「面白いから笑った」のだと思うのです。
後から考えれば問題のあるネタだったかもしれませんが、そういうポリコレ的な観点の前に「面白い」が先にきていたから笑った。カンニング竹山のネタは、ポリコレ的な問題がありつつ、それを払しょくする、もしくは考えさせない面白さが足りなかった。
こんな単純な結論はどうでしょうか。
以前この番組で河本準一が「姉がレズです」という話をしたときも笑いました。これは数年前に放送された回で今よりLGBTやポリコレといった考えが私になかったから笑えたのでしょうか。いや、たぶん今話しても笑ったと思います。
あのネタは、河本さんに何度もサイコロが回ってきて、「短いのでいいですか」というフリの後に言ったネタなのです。間が完璧。だから笑った。それだけだと思うのです。


ポリコレは社会に広まっており、正しくてよいことなのですが窮屈さを感じることもあります。なので、お笑いでポリコレに抵触するネタをやるときには相当ハードルが高くなっています。
でも、上手い人がやれば面白い。もちろん後から「あれまずいんじゃない?」と思うかもしれませんが、そのときは笑ってしまうかもしれません。


お葬式でお坊さんの靴下に穴が開いていたら、笑ってはいけない場面なのに面白く感じてしまうでしょう。誰かがバナナの皮で滑って転んだら、思わず笑ってしまうでしょう。転んで怪我していないか心配するのはその後だと思うのです。
ポリコレや正しさより前に「思わず笑ってしまうこと」はあると思うのです宮川大輔はそれができていてカンニング竹山はできていなかった、それだけではないでしょうか。


そして、カンニング竹山のネタがマエケンの死を笑いで昇華させたかといえば、できていないと思うのです。単純に面白くなかったから。
逆に宮川大輔ほっしゃん。の精神的に不安定なことを面白く伝えることにより、今回の引退騒動も「そういう人なのね」と思える効果を生んだと思っています。ほっしゃん。の「取扱説明書」を示したというか。宮川大輔こそ笑いで昇華させることができたでしょう。


ダウンタウンが出たての頃、横山やすしに「そんなもんは漫才やのうてチンピラの立ち話や」と批判されたことがあり、それに対し松本人志は「チンピラの立ち話が面白かったら最高やんけ」と反発していました。
私もそう思います。漫才の上手い下手より先にあるのは「面白いかどうか」。
「面白い=正義」とまでは思いませんが、いろいろな理屈より「面白い」が先に来てしまうことはあるのです。


お笑いは、素晴らしい。


<1/13追記>
このネタに関する感想や意見は結構たくさんネットにあって、その中身を読むと「面白かった/面白くなかった」と「正しい/正しくない」がごっちゃになっている感じがしました。「正しくない→だから笑えない」という文脈。私は、「正しいかどうかは置いておいて、面白かったから笑った」という立場です。それがこのエントリのタイトルの意味です。
さらに「この問題についてのブログを読んだから自分もそのネタを見てみた」という人もいて、それだとちょっと本末転倒というか、見る観点が違うのではないかと思うのです。「面白い話として見ていたのにポリコレ的に正しくないから笑えなかった」はいいのですが、「ポリコレ的に問題のある話をしたそうだがどれどれ?」という見方は、すべらない話の見方ではない。そうなると「なるほど、これは確かに正しくない。だから笑えない」「別に問題ないのでは。だから笑える」という結論になりがち。それはお笑いの見方としてはねじれている。
漫才やコントは笑いを計算して生み出しているわけですが、笑い自体は原始的な「感情」なので、理解や反発より先に来るものだと思っています。なので、「笑えなかった→なぜなら」という順番はいいのですが、「正しい/正しくない→ゆえに笑えた/笑えなかった」という順番はつまんないなーと思うのです。


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