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やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

岩月謙司「なぜ男は『女はバカ』と思ってしまうのか」 感想

書籍

いろいろ分かった。なぜモテないかも分かった。


男と女。世の中にはこの2種類しかいないのに、いつまでたってもお互いのことが分からない。だから彼氏彼女はできないし、付き合っても別れてしまう。
著者は大学教授なので、男性も女性も平等に扱います。どちらかを持ち上げたりけなしたりすることはしません。ただ、「男と女には違いはある」ということははっきり言います。これは社会的な男女の不平等とは別の話です。
そして、どんな場合でも「例外」はありますが、ほぼ全ての人に発生する「事実」を元に本書は進みます。


「異性に触る」という問題

女性の場合は、もしイヤな男性にさわられたら、まるでゴキブリかヘビにでもさわられたようなおぞましさ、身の危険を感じますが、男性は、せいぜいハエが自分の手にとまった程度の不快感しかないのです。

そうなの?私の手はゴキブリなの?同じ動作でも男女でこんなに感覚が違うんじゃ、痴漢もセクハラもなくなるわけないな。


感情で記憶する女性、事実で記憶する男性

女性にとっての「現実」とは、何をしたか、という事実(実際の行動)よりも、それをして「快だったか、不快だったか」という感情のことです。喜怒哀楽こそ現実なのです。

男性の記憶の仕方は、女性と反対に、何をしたのかという事実に感情をくっつけて記憶する、という方法です。男性は、まず何をしたか、という事実を記憶し、その事実に「うれしかった」とか「悲しかった」という感情を「おまけ」のようにくっつけて記憶するのです。

そうなんです。分かっていましたが、そうなんですよね。だから女の話はつまらないのです。男の私からすれば。しかし女性の側からすれば「そんなこと(事実)はどうだっていいのよ」なんでしょうね。
もともと私は理屈や分析が好きなので、より女性からはウザいんでしょうね…。


共感に生きる女性、社会に生きる男性

女性の会話は感情に関することがほとんどです。むかついた、気色悪かった、気持ち悪かった、おいしかった、気持ちよかった…、という会話です。相づちも「そうそう」「そうよねぇ」という共感の表示です。

一般に男性は何らかの形で社会に貢献できないと不安を感じるものなのです。その象徴的事実が、例えば男性サラリーマンにとっては、例えお金を払っても欲しいのが地位であり肩書きだ、ということです。

だから男性は定年後、することがなくなってしまうのです。今まで「肩書き」で生きてきたから。女性は共感できる友達がいれば地位や肩書は関係なく、日々を楽しむことができるのです。


女性は「感情」で生きる。その感情は「快か不快か」で、「快」に向かうように生きている。その最大のものが「愛されること」、つまり恋愛です。だから女性は恋バナが大好きで、そのために化粧やおしゃれを頑張るのです。男性からすればびっくりするような金額を「美しい・かわいい」のために使うのも、「愛される」という最大の目的のためには必要な投資だからです。それに見合った見返りがあるのです。
ただ、最終章では「自己受容」のために「かわいい」が必要とも書いてあります。


女性が浮気を見抜くワケ

女性は、事実をあまり記憶しないと述べましたが、しかし、女性は目的があると、よく観察し、よく記憶します。(中略)
その目的というのは、「愛されること」です。愛されることに命をかけている女性ですから、それ以外のことについての事実の記憶はどうでもいいのです。

愛されること以外はどうでもいい。さすが学者、バッサリです。

女性は、親や恋人(夫)が自分を愛してくれているのかどうか、浮気していないかどうか、という明確な目的がある場合、男性以上にしっかりと観察し、記憶するのです。観察の結果、愛されているかどうかの判定に使えそうだ(または、浮気しているかどうかのチェックに使えそうだ)と判断するとしっかり記憶するのです。

女性の脳は、(中略)分析的または論理的思考よりも、総合的または直観的思考の方が圧倒的に有利です。女性の脳は、過去に記憶された事実や感情の全部を使って直観的に判断するのに都合のいい構造をしているのです。
一方、男性の脳は、過去の記憶を一個一個、縦につなぎ合わせて結論を出す、ということは得意でも、女性のように過去の全部の記憶を一度に使って総合的に考えることは不得意です。不得意と言うよりも不可能に近いのです。
男性でこれができるのは天才だけです。でも、女性は多くの人が天才的思考ができるのです。女性に天才が少ないように見えるのは、その能力を快を得るため、つまり愛されるために使っているからです。

女性は天才です。だから、浮気なんて一発でばれてしまうのです。


「安心」と「共感」
女性は、愛されている・守られているという「安心」が大事で、そのために行動しています。化粧やおしゃれなどに精を出すのもそのためです。
そして、「共感」も大事。共感とは感情の共有です。誰かとつながっていたい。だから一緒にトイレに行くのです。
そして、誰ともつながっていないという不安を解消するために、証拠を欲しがります。一緒にトイレに行くのも、プリクラを撮るのも、プレゼントが大好きなのも、そのためです。「心の絆証明書」が必要なのです。

女性がおしゃべりなのではなく、おしゃべりをすることで、心の絆を感じたいのです。その結果のおしゃべりなのです。

男性は何年も会わない友人と久しぶりに会ってもすぐにその時の親友に戻りますが、女性はおしゃべりをしなくなった女友達はもはや友人ではないのです。
私は女性でも数年ぶりに会ってすぐにその時の友人関係に戻れると思っていますが、どうでしょうか。ただ、男性はあまり「あれから今まで」の話は気にしませんが、女性はその間の生き方で自分と共感するかどうかを確認したがるのでしょうか。


恐るべし「女のカン」

女性の思考は、網で動物を捕まえるがごとく、網目状のネットワークで相手の全体像を直観的に見抜くのです。

ただ、その判断の根拠を言葉で説明できないため、現代社会ではなかなか活用されないそうです。
女性のカンが鋭いもう一つの理由。

男性には見えないものが女性には見えるのです。つまり、女性は、男性よりもはるかに豊かな感情の世界で生きているので、男性には感じ取れないものを感じ取ることができるのです。(中略)
女性は、男性よりもきめの細かい感情の世界で生きているからです。「うれしい」という言葉ひとつとっても、女性は、何十、何百のうれしいという感情を使い分けて生きているのです。

本書の終盤ではこの「女のカン」を妨害するものとして「自己欺瞞」「小さい快」「自己受容」について書かれていますが、割愛。


なるほど。女性には勝てないわけだ。そして、私は女性にとってはあまり「快」な存在ではないわけだ。だからモテないわけだ。
昔から女性の話はとにかく聞けと言われていますが、その通りなんですよね。だから石田純一がモテるんですよね。私には難しい芸当です。


記憶の仕方の部分で、男性は事実を記憶し、女性は感情を記憶するとありましたが、ここにとても膝を打ちました。
私のTwitterフォロワーさんは岡村靖幸のファンが多いのですが、同じライブを見たときの記憶の仕方が違うのです。私だったら「この曲歌ってくれた!」という事実に感動し記憶しますが、女性ファンは「あんなポーズしてセクシー!」「あんな動きしてかわいい!」という感情を記憶するのです。
そして、ライブが終わって何日も経っているのにまだ「あのポーズが忘れられない」「あの動きを思い出すだけでにやけてしまう」なんていうツイートがたくさん書かれています。
この辺も、本書を読んでとても納得しました。


もうひとつ、「感情の共有」について。
Twitter上で「おやすみ」「おはよう」と書き、それに「おやすみなさい」「おはようございます」と返事をするみなさん。これはとても女性らしい行動なんだなあ、と本書を読んで思いました。


ちなみに、タイトルにある「なぜ女をバカだと思ってしまうのか」についての明確な答えはありません(読めば理解はできるようになりますが)。このタイトルは編集者が煽るつもりでつけたのだと推測します。
正しいタイトルは「なぜ男性は女性の『天才性』に気づけないのか」だと思います。ただ、どっちのタイトルが目を引き、売れるかと考えれば前者なんでしょうね。
このタイトルのせいで本書を女性が読むことはあまりないと思いますが、女性にこそ読んでもらって感想を聞きたいです。ただしその感想は「むかついた」など感情ばかりで論理的でないものかもしれませんが。


なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか (講談社+α新書)

なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか (講談社+α新書)