やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

深水黎一郎「最後のトリック」 感想

それでも僕はやってない


(ネタバレあります)


深水黎一郎著『最後のトリック』を読みました。
「読者が犯人」という不可能トリックに挑んだ本作。それも「読者の一部ではなく、読んだ人全員が『自分が犯人』となる」「発売当時だけでなく、いつでも成立するトリック」という条件つき。
無理でしょう。無理だからこそ「最後のトリック」なわけですが。


いきなりネタバレしますが、そのトリックは「自分の書いた文章を読まれると体調が悪くなる男が新聞小説に自分の文章を掲載することにより多くの人に読まれて結果心臓麻痺で死ぬ」というものです。
(白黒反転しています)


この物語の中ではこのトリックは成立しています。私が、私たちがこの文章を読んだからこそこの男は死んだ。つまり犯人は私だ。
でも。うーん、無理でしょう。
まず私には動機がない。直接手を下していない。「私が文章を読んだ→だからこの男が死んだ」の因果関係が事実だったとしても、現代の科学ではその因果関係を証明することはできないので、罪に問うことはできません。


そして、それ以上に「自分の書いた文章を読まれると体調が悪くなる」という設定が納得できない。この物語では超能力の調査も行っていて、「ありえる」ということになっています。その下敷きの上にこの設定があるのですが、そんな現実離れした設定が必要である時点でこのトリックは成立してないでしょ。


私は本格ミステリには疎いので、楽しみ方を分かっていないのもありますが、こういう「仕組みで勝負」な物語は苦手だな。トリックを成立させるために物語がある。物語の面白さよりもトリックの整合性が優先されている。
本作も会話シーンなどは「セリフっぽいセリフだなー」と思う箇所がいくつもありました。


また、この被害者の動機は理解しますが、そこで物語の世界に入り込むほどの筆力はなく、トリックには驚きましたが物語自体には感動や驚嘆はしませんでした。ここで読者を物語世界に引き込む(実際読者を物語世界の中に登場させるとかではなく、夢中にさせる、という意味)ことができれば、このトリックももっと説得力を持たせることができたのに。


というわけで、トリックは成立しているけど前提条件が非現実なため納得できる「私が犯人」ではありませんでした。うーむ。 


最後のトリック (河出文庫)

最後のトリック (河出文庫)