やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

他人を下げても自分は上がらない

黒子のバスケ」に対する脅迫犯がようやく逮捕されました。大阪在住の犯人はたった一人で関東から九州まで脅迫状投函の旅を続けていたそうです。その数約500通。
恐ろしい。何が彼をここまで駆り立てたのでしょうか。金を要求したわけでもないし、コミケの中止要求なども自分にとって直接の利益があるわけでない。ネットやニュースで取り上げられることが嬉しかったのでしょうか。さみしい承認欲求ですね。
報道では「バスケ漫画で成功した作者がうらやましかった(ねたましかった)」とのことですが、それだけでなぜここまでできるのでしょう。それによって本人には直接の利益はないし、その作者を貶めても自分の現実は何も変わらない。
全く分からない。


同じように、ストーカーの気持ちが分からない。
別れて悔しい、戻ってきてほしい、という気持ちは分かりますが、悔しいからといって相手に対して嫌がらせをして、それで相手が戻ってくると思っているのでしょうか。
多分、戻って来ないことは分かっているけど、自分を振った相手が憎い、自分をこんな気持ちにした相手が悪い。だから罰を与える。自分の受けた苦しみはこんなもんじゃないぞ。というような思考回路なのでしょうが、そんなことしても自分の現実は何も変わりません。
全く分からない。
最悪な事例として殺人事件にまで発展してしまうこともありますが、そんなことをして自分が捕まるリスクやマイナスは考えないのでしょうか。
もはや自暴自棄だからどうなってもいいのでしょうか。その瞬間はそういう気持ちかもしれませんが、その後何年にも亘って様々な自由や権利が拘束・制限されることと天秤にかけないのでしょうか。
全く分からない。


これらは極端な例ですが、ネットで相手の悪口・批判(批評ではなく)ばかりを書く人も同様だと思うのです。
「幸せを感じる」ということは相対的なことかもしれませんので、相手を叩いて下げれば相対的には自分が上がった気持ちになるのかもしれません。でも、実際の自分は何も変わっていません。そして、悪口ばかりを書く人はそのような思考に染まっていくので、どんどんマイナスからの視点しか物事を見ることができなくなります。
あーあ、つまんない人生でしょうね。自分の周りは全て妬みの対象で、自分の周りは敵ばかり。


繰り返します。
他人を下げても自分は上がらない。当たり前ですが、自分が上がるためには自分が上がるしかない。