やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画「セッション」 感想

「理解する」と「面白い」と「好き」は別物。でも「素晴らしい」。


映画「セッション」を見ました。公式HP↓
session.gaga.ne.jp
音楽ものなので映画館で見たかったのですが私の地元では公開せず、今頃レンタルにて鑑賞。
本作は町山智浩さんと菊地成孔さんが熱く論争をしていましたが、私はそれは読んでいません。


感想ですが、「めちゃくちゃいい!でも好きじゃない」です。
この作品が何を描いているのかは分かるし圧倒されるし「すげー!」のですが、好きじゃないのです。それはJ・K・シモンズ演じるフレッチャーのパワハラ恫喝暴力イジメ理不尽指導が大嫌いだからです。なので、内容の面白さに唸りながらも「こんな人嫌だー」という感情が同時にあるため、映画に没頭できませんでした。


主人公アンドリューの父はいい人で優しいお父さん。この父は威厳や厳しさや超えるべき壁を持つ存在ではなく、母性的な優しさを持つ父親です。それに対し圧倒的な威厳・厳しさ・超えられない壁を持つフレッチャーという父性としての存在。この対比。
アンドリューも最初はこのシゴキに耐えられず涙を流します。しかし、徐々に音楽とフレッチャーの魅力と魔力に取り憑かれていきます。
親戚は地方の3部リーグのアメフト選手。自分は一流音楽学校の主奏者。それでもアメフト選手の方が評価される。どいつもこいつもクソだ、何も分かっていない。
フレッチャーに認めてもらいたい。そのためにはもっと練習しなければ。だから彼女との時間は無駄だ。ゆえに別れる。極端だよ!
そして練習に練習を重ねるアンドリュー。手のマメは潰れ絆創膏を何重にも巻き、氷水に血まみれの拳を浸してまで練習を止めない彼。苦しくなんかない。このおかげでフレッチャーに認められ、バンドの主奏者になれるのだから。


バスのトラブル(タイヤのパンク)でコンクールに遅れそうになったアンドリューに対し主奏者の交代を迫るフレッチャー。なぜだ。あいつより自分の方が上手いのに。主奏者の席は渡さない、絶対に。
そして交通事故に遭ってしまうアンドリューですが、それでも走って会場に向かい、血だらけのままドラムの席に座ります。もちろん満足な演奏ができるはずもなくフレッチャーに退場を命じられるアンドリュー。こんなに頑張ってきたのに。事故は自分の責任じゃないのに。事故に遭ってまで縋り付いた主奏者のポジションなのに。キレてしまいフレッチャーに飛びかかるアンドリュー。
結果、退学になります。


数か月後。フレッチャーはその過剰な指導法を内部告発され、学院を追われてフリーの指揮者をやっていました。偶然アンドリューと再会した彼は自分のバンドに誘います。演奏している曲は学院でやっていた曲と一緒だから、と。
そして演奏会当日。アンドリューに「内部告発したのはお前だな」と告げ、彼の知らない新曲を始めるフレッチャー。何と嫌な奴!個人的な復讐を演奏会本番でやるとは!でも、演奏失敗のダメージはフレッチャー本人だって大きいのでは?
いきなりの新曲を演奏できるわけなく、ボロボロの演奏で生き恥を晒し、ステージから去るアンドリュー。舞台袖には父親がいて「よくやった、もういいんだ」と抱きしめ、慰めてくれます。


ここが、「こちらの世界」と「あちらの世界」の境界です。


ここで、アンドリューはステージ(=あちらの世界)に戻るという選択をします。
ステージではフレッチャーが観客に次の曲を説明しています。「次の曲はゆっくりとしたテンポで…」
そこでいきなり叩きだすアンドリュー。しかも「ゆっくりとしたテンポ」ではなく、速いビート。慌てるバンドメンバーに「合図する!」と言い、演奏の主導権を握ります。バンドの演奏が始まってしまえば、フレッチャーも手が出せない。しかも、その演奏はかつてないほど素晴らしいものでした。最初は自分に背くアンドリューに対し怒りの目を向けていたフレッチャーですが、その演奏はフレッチャーが追い求めていた理想(に近いもの)でした。
あと、ここは前回フレッチャーに飛びかかってしまった「キレた行動」との対比になっています。フレッチャーを驚かす演奏をするということが「やりかえす」ことだと。


バンドの演奏が終わっても叩くのを止めないアンドリュー。彼のもとに詰め寄るフレッチャーに対しまたも「合図する!」と指示するアンドリュー。しかも今回はフレッチャーに対する指示です。
そこからは二人の世界。バンドメンバーも観客もこの二人の間には入れません。この二人の周りには存在しません。そしてついにシンバルがずれたのを直すフレッチャー。ここでこの師弟関係は絶頂を迎えます。
そして演奏の終了とともに映画も終了。


素晴らしい。106分という短めの時間もよい。脚本も演出も素晴らしい。今こうやってあらすじを書いていても興奮が蘇ります。しかし、こんな指導者嫌なんだよなー。


常人では到達できない音楽の高みに触れるにはこのような常軌を逸した指導が必要なのかもしれませんが、このやり方でないとそれは叶えられないのか?とも思います。
そもそも論として「音楽ってそういうことじゃねえだろ(しかもジャズなのに)」という思いもありますが、そこは音楽の良さをどう定義するかにもよるので、どれが正解ということではない。この監督は正確な演奏に価値を置いた、ということ。
この辺、両方の意見があります。
blog.goo.ne.jp
www.jiyuuniikiru.com
どちらもなるほどと頷く。


あと、この作品の原題は「WHIPLASH」といいます。ムチウチです。シゴキの鞭でもあり、過度な練習の結果ドラマーが発症してしまう症状でもあります。そして劇中で繰り返し登場する演奏曲の曲名でもあるのです。じゃあ、タイトルこのままの方がよくない?


結論。この作品は素晴らしいのでアカデミー賞を獲るのも理解できる。しかし、理不尽なシゴキは嫌だ。

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