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映画『羊の木』 感想

過去は、肩書は、重要か


(ネタバレあります)
映画『羊の木』を見てきました。原作は未読です。公式サイト↓
hitsujinoki-movie.com
吉田大八監督ですから信頼と期待しかしていません。『桐島、部活やめるってよ』はもちろんですが、それ以外の作品もどれも面白い。前作『美しい星』はきちんと理解できず、ブログに書くことはできませんでした。
この作品だってたぶん監督の意図するところの半分も理解できていないと思いますが、語りたいことはたくさんある!


まず、物語にあまり関係ない部分を。
今回の舞台は魚深市という地方都市で、ここは都会でもないけど限界集落でもない、本当に日本全国にいくつもある「普通の地方」です。私の地元は内陸部なので映画のような漁港はないのですが、それでも「これ、うちの地元じゃん!」と思いながら見ていました。
そして主人公は市役所職員で、新人でも管理職でもない、中途半端な若手職員。この、どこにでもある場所が舞台でどこにでもいる人が主人公という設定で、見ている私たちと主人公月末は同じ目線で映画の世界を進んでいくのです。ミステリーの手法として王道ですが、素晴らしい。
ついでに、市役所内部の様子とか会議室の様子とか課長の言い方とか、めちゃリアル。「ここ、うちじゃん!」と思いながら見ていました。


6名の元受刑者を迎えに行く月末は、全員に「いいところですよ、人もいいし魚も旨いし」と同じことを言うのですが、その反応の違いによって6名の性格が分かるようになっています。こういう、ストーリーの進みとキャラ紹介が同時進行していく作りは上手い。いちいちセリフで説明するのはダサい。
あと、この時点で月末は彼らが元犯罪者ということ、さらに殺人を犯した人ということを知りません。ここも観客と同じ目線になっていて上手い。


この作品は「元受刑者は社会でいかに生きるべきか」「受け皿が大事」みたいな表面上の話ではありません。元受刑者と知ってもそれまでと同じように付き合えるか、それは理性での理解か、肌感覚としての感情か、というところまで踏み込んでいきます。その回答は観客に委ねるわけですが確かに考えさせられますね。建前と本音、理解と感情。


この作品の解釈にあたって大きいのはタイトルの「羊の木」とは何ぞや、と「のろろ様」とは何ぞや、というところですね。私の解釈は以下のとおりです。


まず、「羊の木」について。
かつてヨーロッパでは木綿が知られていなかったので、羊が生る(なる)木があると信じられていました。そんないい話あるわけないのに信じちゃう、現実を知らない人たち。
これは、この元受刑者移住計画を考えて推進してきた役人たちですよね。刑務所に入れておくと税金で生活させるのでお金がかかるから刑期を早めて仮釈放にしちゃって過疎地に押しつけちゃえ。地方は過疎化に悩んでいるわけですから、外部からの移住者はありがたい。おお、Win-Winじゃんと思って机上の空論を進めるわけですが、人口数万人の小さな市(都市なんて呼べない、単なる市町村)によそ者を何人も入れちゃったらそりゃおかしなことが起きますよね。


また、聖書において羊とは群衆の意味であり、イエスキリストは羊飼いの意味でもありました。だから、元受刑者たちが群衆の一部になる(この地に上手く溶け込んでいく)という意味もありつつ、市役所はキリストではないので、羊飼いとして上手く機能しません。
あとは、生まれ変わりとしての羊、という意味もあるようです。市川実日子演じる栗本が儀式のように魚や亀を庭に埋めていき、最後には新しい芽が出てきます。これは、彼らがこの新しい土地で暮らしていけるという希望の象徴だと思うのです。


次に、「のろろ様」について。
この作品の中でのろろ様は「かつて災いの象徴だったが、村人が倒したため村の守り神になった。その際、二人同時に崖から飛び降りると一人は助かりもう一人は生け贄となって浮かんでこない。のろろ様は直接見てはいけない」という説明がありました。のろろ様はこの作品中のフィクションの神様であり祭りなので、もちろん全て作品のテーマに関わってきます。
前半で「二人飛び降りる言い伝え」があるのはもちろん後々のフリで、クライマックスで月末(錦戸亮)と宮越(松田龍平)が飛び降ります(ここの合成がショボ過ぎてよくない!あと、海までの高さがありすぎ!飛び込んで「プハー」の高さじゃないよ!)。ここで助かるのはもちろん月末のはずですが、浮かび上がってきたのは宮越。私はこのとき「宮越は月末を助けて死ぬのかな?」と思いながら見ていたのですが、次の瞬間起こったのはのろろ様の像の頭部が外れて宮越にドーンでした。いやー、いくら何でもそれは…。原作でもこうだったのですか?
で、ラストにのろろ様の頭部が引き上げられ、見ている人たちから歓声が上がります。これは、災いの象徴だったのろろ様が宮越を倒して守り神になる(だから今度は見ている人は目を伏せずに写真を撮ったりしている)ということであり、さらにいえば宮越自身が災いの象徴から守り神に成仏したということもいえるかもしれません。宮越がのろろ様だったということ。


そしてもうひとつ。「人が他人に対して好感を持ったり嫌悪感を持ったりするのは自発的なことなのか。それとも過去や肩書きなどの情報によって左右されるのか」という点についても少し書きます。
当初、月末は移住者が元受刑者であることを知りません。そして知った後は少しぎこちなくなりますが、「仕事」としてそつなく対応します。
中宮越から「友達」というワードを出され、たぶん月末は「自分は彼と友達かな?」と自問自答したと思います。しかし彼は悪い奴ではないし「仕事」の手前もあり、「友達」を受け入れます。自然ではない、意識的な友達。
物語中盤で文は宮越と付き合うことになりますが、月末は嫉妬心から「彼は元殺人犯だ」と口を滑らせます。これに対し文は「罪は償ったんでしょ。その人を知ったから付き合うんじゃなくて知りたいから付き合うんでしょ」といいことを言います。しかしその後宮越と会うと、何だか怖い。これは彼の過去を知った「知識」なのか、肌感覚としての怖さなのか。
これは、私はどっちもだと思っています。元殺人犯だと聞かされたらやはり少し構えてしまう。しかし自分は彼を信じている。あれ、でも、何か怖い。それは彼の過去を知ったからだけでなく、直感としての恐怖感。だって、この時宮越は殺人を犯した直後なんだもん。


設定は突飛ですが十分ありえる話で、それをリアリティある描写で日常の導入部を描いていき、少しのほころびやストレスや嫉妬がやがて大きなトラブルを引き起こす。映画として上手い筋運びでした。
元受刑者は6人で、2時間に収めるにはこれが限界だと思いますが、とても上手くまとめていたと思います。全員をあまり絡ませないのは劇中の意図でもあり、映画としての要請でもあります。全員が絡む群像劇にしちゃうと終わらないしまとまらないから。その分、栗本(市川実日子)は上記の再生の芽吹きを、福本(水澤紳吾)と大野(田中泯)は居場所の大切さを、太田(優香)はもう一度人を愛することとそれを受け入れてもらうありがたさを担います。それぞれが映画の中で役割を持っているのです。杉山(北村一輝)と宮越(松田龍平)は更生できない人もいる、元々ナチュラルボーン異常者もいる、というおとぎ話ではない現実の部分です。


このように、お話としても面白いしメタファーや演出意図を考えるとまた面白い、噛み応えのある作品でした。そしてこの作品にいい味をつけているのはもちろん素晴らしい俳優陣です。それぞれ感想を。


錦戸亮(月末一)
関ジャニ∞のメンバーなのに、この作品では完全に普通の人。オーラゼロ。それどころか、どちらかというとイケてない側です。私たち観客と同じ目線になってこの世界に誘って(いざなって)くれます。受けの芝居が上手い。この「何もなさが上手い」って、すごい難しいですよね。熱演しちゃダメだし、個性を際立たせないように演じなきゃならない。これって、上手いからできるわけで、下手な人がやったら「ただ魅力のない人」になっちゃう。年齢的にも何でもできるときなので、どんどん映画に出てほしいです!


木村文乃(石田文)
そっけないぶっきらぼうな役ですが、地の「いいひと」が消せていない。まだ可愛くていい人だ。惜しい。
あまり本編と関係ないけど、劇中でバンド練習をする場面で、木村文乃松尾諭は明らかに楽器が弾けない腕の使い方をしていました。そこがもったいないなー。松田龍平は弾けない役なのに弾ける指をしていたし。
あと、このバンド演奏は、グランジのような歪んだギターを延々とかき鳴らすのですが、これって監督がこういう音楽をやらせたかったのか、木村文乃がギター弾けないからコードチェンジ少な目のこういう音楽になったのか、どっちなんだろ。ボーカルもないノイジーな音楽を素人がわざわざやる(しかもオリジナルのようです)って、よっぽど音楽マニアですよ。でも文からは音楽好きな要素を一切感じないんだよなー。


北村一輝(杉山勝志)
こっちは、完全にチンピラ。最初の登場は後ろ姿だったのですが、北村さんだと分からなかった!いい人もナルシストも演じられる俳優さんですが、今回は完全にチンピラ。ちょっと肉付きよくした役作りもいい。シャープにするといい男・切れ者っぽさが出ちゃうからね。


●優香(太田理江子)
ネット上では「優香がエロい!」の大合唱でしたが、私はあまり感じませんでした。ただ、おっぱいはやはり素晴らしい。スキのある色気熟女、恋愛体質の天然女というエロい脚本を優香が演じればそりゃエロいよ。でも、木村文乃と同じく地の「いいひと」が演技で上書きされていない。
月末のお父さんは本当に惚れているのかな?おっぱいの魅力(魔力)に憑りつかれているだけじゃない?それにしても、演技とはいえ優香とあんなぐっちょぐちょなベロチューできるのいいなー。


市川実日子(栗本清美)
シン・ゴジラ』ではあんなにしゃべり倒していたのに、今作ではセリフほぼゼロ。表情もほぼゼロ。それでも伝わるこの人の性格。きちんとしていて、きちんとし過ぎていて、失敗してしまった。
簡単なようで難しい役。市川さん、上手かった。


●水澤紳吾(福元宏喜)
『SRサイタマノラッパー』のTOMだよー!すげー、役者はすげえ。
今作でいちばん振り幅のある、分かりやすくおいしい役でしたね。オープニングのラーメン・餃子・チャーハンの一気食い、素晴らしかったです。途中の危なっかしいカミソリの震え、素晴らしかったです。お酒を飲むと人が変わっちゃうところ、素晴らしかったです。
この泥酔の場面、福元の裏の顔を見せつつ元受刑者が一堂に会して接点を持つ意味合いもあり、さらに彼らのもう少し深いキャラ設定を表現することにつながっているので、映画としてもとても上手い作り方だなーと思いながら見ていました。
あと、床屋の主人を演じた中村有志さんも素晴らしかった!ここ、火野正平だったら胡散臭いしマキタスポーツだったら深みが足らない。中村さんがちょうどいい。


田中泯(大野克美)
無口なヤクザ。これは強面が演じれば誰でもいいよなーと思っていた(演技はとてもいい!)のですが、ラストのクリーニング屋の女主人とスマホで撮影するときのぎこちない笑顔でやられた!今までの強面全部フリかよ!笑顔になるのではなく、笑顔になろうとするあの表情筋!素晴らしかったです。
また、クリーニング屋の安藤玉恵さんは毎回素晴らしいですね。ぶっきらぼうで冷たいのに、いい人。よくあるツンデレやあるきっかけで変わるのではなく、変わっているのに一貫している。「この店の売り上げが下がったのはあなたのせいだけど、あなたは何も悪くない」「私の肌感覚はどうなるのよ。あなたのこと怖いとか悪いとか思わなかったよ」泣いた。


松田龍平(宮腰一郎)
何を考えているのか分からない男No.1。今回もサイコパスでしたが、さもありなん。藤原竜也と並んで一般人を演じるのは難しい俳優ですね。途中崖に行く場面では『散歩する侵略者』かよ!と思いました。
得体のしれない不気味さと可愛げを両方持っているんだもんなー。そりゃモテるよ。そのくせ罪の意識なく人を殺しまくる。多分「殺人」という意識も罪悪感もない。そんなサイコパスを「そのまま」で演じられる彼はすごい俳優だ。
ラストで宮越は車で人を轢きまくるのですが、違和感ゼロ。そりゃ轢くよな、そりゃ殺すよな、と思ってしまいました。


長くなった!さすが吉田大八監督、いい作品でした。


映画「羊の木」オリジナル・サウンドトラック

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クヒオ大佐

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