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映画『蜜蜂と遠雷』 感想

もっと知っていたら


映画『蜜蜂と遠雷』を見てきました。公式サイト↓
mitsubachi-enrai-movie.jp
原作は未読です。


よかったです!
群像劇だけど栄伝亜夜がやや主役寄りになっていて、ラストの結果発表でまたバランスを取ってくるこのさじ加減、上手いなー。原作ではもっと群像劇(明確な主役不在)でありつつ風間塵が主役寄りだったようですね。


クラシックのコンクールって上手さと解釈の競い合いなので、素人の私たちにはそんなハイレベルで些細な違いなど分かりません。それを、本作ではカデンツァ(自由演奏)という方式を採ることにより、演奏者それぞれの個性が見えるようになっています。上手い。
また、こういう作品ではしばし「外野の解説」により、今行われていることのすごさを説明するものですが(『魁!男塾』の富樫・虎丸方式)、本作ではこれはほぼなし。音楽の力と観客(見ている私たち)の力を信用してこその説明の少なさ。
ただ、これは私は良し悪しだなーと思いました。マサルは正確無比で完璧な演奏、塵は天衣無縫で自由な演奏、明石は生活者の演奏、そして亜夜は天才降臨、ということなのでしょうが、それが演奏だとどういう特徴を持っているのか、すぐにはつかめないのです。生活者の演奏って何?自由な演奏といってもジャズではないので完全な逸脱はできないわけで、どこまでがクラシックの枠の中の自由なのか、とかとか。
クラシックのコンテストだから演奏途中にしゃべる人なんていないのかな?ブルゾンちえみのような門外漢に「問う役」をやらせてもいいのでは、と思いました。
逆に、前半は説明セリフが多くてちょっとげんなり。登場人物の説明として必要なのは分かりますが、下手な人にやらせると「説明してるなー」感がすごくてげんなりするのです。


物語は、天才たちにしかたどり着けない場所、天才だから影響を与え合うこと、それがまた天才たちを成長させることなどが描かれています。
7年前のトラウマによりピアノから遠ざかっていた亜夜は塵から「ピアノを演奏する楽しさ」という根源的な動機を取り戻します。明石がサラリーマンを続けながらコンテストに挑むのは「生活に根ざした音楽」を表現したいから。しかし圧倒的な天才の前にはそんな自信の信念も届かない。マサルが目指してきた「完璧な演奏」は技術的なことだけではないということを彼らと交流することで気づいていきます。


そして最終決戦。各々が持てる力を十分に発揮し、亜夜は覚醒して素晴らしい演奏を披露して終わる。ぶつ切りのラストのようですが、その後に結果が表示されることで余韻と解釈が生まれてきます。
完璧な演奏をしたマサルが優勝、そして亜夜と塵が続く。コンテストってそういうもの。ロックやジャズとは違う。そして、明石が奨励賞と作曲家特別賞。ここでついに凡人の努力が認められます。この案配も上手い。


本作は超絶技巧のクラシック演奏ですから、もちろん吹き替えボディダブルとして演奏者がいるのですが、これが4人のキャラに合う人をそれぞれ見つけてきて、演奏の違いを出しているのです。すごい、本気だ。
また、劇中の『春と修羅カデンツァは、原作に描かれていることをすべて盛り込みながら、この作品のために新たに書き下ろしをしているのです。すごい、本気だ。


これだけクラシックに本気な作品なので、クラシックをもっと知っていたらもっと楽しめたのになーという悔しい思いがあります。クラシックは演奏技術はもちろん重要ですが、解釈も重要(それによってどう弾くかを決める)なので、知っていれば「この曲を選択したのはこうだから」「こういう弾き方をするのはこうだから」とか、いろいろ分かったり考えたりすることができたのになー。


タイトルの意味は何ですか?原作を読めば分かる?私個人の解釈では、蜜蜂のような小さな羽音が、遠雷を轟かせる。バタフライエフェクトのような意味でもあり、コンテストという室内で演奏している音が世界を鳴らすことにつながっていく(劇中でホフマン先生が言っていたこと)ということでもある。
また、蜜蜂は花の授粉を媒介する昆虫であり、塵の両親は養蜂農家ということもあるので、本作の中では塵が蜜蜂となり天才たちに影響を与えていく、という意味もありそうです。
そして、ラストの亜夜の演奏後、客席に向かって立つ亜夜に向かって鳴り止まない万雷の拍手。これも「遠雷」なのでしょう。蜜蜂の力により、遠雷を轟かす演奏を行った亜夜。それは昔母が亜夜に言った「あなたが世界を鳴らすのよ」を実現させた瞬間でもあります。


演者について
松岡茉優
彼女が女子受け悪いのは分かる。ウザいもん。しかし、俳優としてのスキルは文句の付けようがない。かつての天才少女が自分を取り戻し覚醒する姿、しかと見届けました。
「天才」という役ですが、『ちはやふる』の若宮詩暢とはまた違う人物造形。上手い。すごい。素晴らしい。
松坂桃李
桃李君は上手いなー。予選落ちしたインタビューシーン、ものすごくよかったです。最初は平気な顔しているけど、いざしゃべり出したら悔しさが溢れてきちゃう。上手い。
ただ、メガネが度なしだったのが残念。本当に度入りだと顔が歪んじゃうから仕方ないけど「あー、伊達かー」と思ってしまいました。
森崎ウィン
『レディプレイヤー1』の「俺はカンダムで行く」の彼ですよ。彼だけ英語の発音が素晴らしすぎて、斉藤由貴がかわいそうになりました。
彼はイケメンだし英語もしゃべれるんだから、こんなところにいないでハリウッドに行きなさい。真剣佑とともにハリウッドで活躍しなさい。
鈴鹿央士
すずかおうじと読むのですね。初めて知った。新人だもの。加藤諒から気持ち悪さを抜いたような顔でとてもよい。
途中のインタビューシーン、完全に素のしゃべり方でした。これが演技としてできているならすごい。
斉藤由貴
このキャスティングだけ、私は不満です。斉藤由貴、ピアノ弾けそうにない。審査委員長をするほどの強さをもっていない。英語しゃべれない。タバコ吸わない。
あのしゃべり方や表情から、クラシック界のすごい人にはとても見えませんでした。黒木瞳とか天海祐希とか、もっと強そうで頭良さそうな人の方がよかったなー。斉藤由貴は「ただ見ただけなのに男が勝手に惚れちゃう」みたいな役が合っている。
平田満光石研鹿賀丈史
ベテラン・重鎮はさすがに上手かった。


本作の監督は石川慶。何と脚本も編集もご自身です。そんな多才な人なのに、エンドロールでは途中に名前が出ちゃったらしく、見つけられませんでした。監督なんだからラストにででーんと止め打ちしていいのに。
そして、この方、『愚行録』の監督じゃないか!全然知らなかった。才能あるのはもう分かったぞ。次回作が楽しみだ。
『愚行録』の感想はこちら。
ese.hatenablog.com


蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

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蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

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蜜蜂と遠雷

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蜜蜂と遠雷 (1)

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