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映画&書籍「容疑者Xの献身」 感想

世界の亀山モデル、未だ健在

つい先日原作を読み終え、流れで映画も見ました(DVDで)。なので、このエントリは原作と映画の両方の感想になっています。


犯人役の石神に堤真一、彼が恋する隣人・花岡靖子に松雪泰子、靖子の昔からのお客・工藤にダンカン、といった配役。


まずは石神役の堤真一
原作の方は冴えない数学教師で柔道部の顧問という設定でしたが、映画版は柔道部の設定は外れ、登山が趣味になっていました。確かに原作の「柔道部の顧問」というのは「男性の死体をひとりで処理できる力持ち」という必然はありましたが、「数学の天才」という部分が最重要なので、怪我のリスクや体育会系であるはずがないという人物造形も含め、この部分は不要ですね。その点登山が趣味というのは、ひとりでできるし体力は必要、ということでこの役にマッチしています。
この部分の改変は良いと思います。
映画途中で出てくる登山シーンは映像のダイナミックさ以上の必要性は感じませんでしたが、まあここは「世界の亀山モデル」なので失笑しながら見ましょう。
ただ、やはりいい男過ぎ。もっとずんぐりむっくりで剥げかかっている、カンニング竹山のような男がよかったです。実際竹山だと困ってしまいますが。
とはいえ、髪型や眉毛やヒゲのぼうっとした感じ(きちんと整えられていない)や猫背であまり感情を出さないしゃべり方など、堤さんは非常によく演じられていました。後半は全く2枚目とは思わず見ていました。
どうでもいいけど、石神が勤務する高校が映画版では非常にだらけた雰囲気になっていましたが(工業高校・男子校みたいな感じ)、あんなに低レベルに描く必要なんてなく、一般の高校生でも「数学はアレルギー」「マジ勘弁」みたいな子はいっぱいいるので、もっと普通に描けばよかったのに。


そして松雪泰子。
「はかなげな美人」としてはすごく良いのですが、「美人」が強すぎ。もう少し美人度が低い人がよかった。こういう役には毎度おなじみ西田尚美とか。そして、弁当屋を自ら開業したという設定は、彼女が自力で何でも出来てしまう印象を与えてしまうので、ここは原作通り単に勤めているだけでよかったのでは。「私みたいにそんなにきれいでない女になぜここまでしてくれるんだろう」という立ち位置の方がよいのでは。
ついでに関係ないけど、彼女の娘の中学生の女の子の非常に「いい子」な感じがすごくよかった。だって俺、ロリコンだから。


そしてダンカン。
彼女が以前水商売をしていた頃からの常連客で、彼女に惚れている役。原作では非常にいい人で、彼女が彼と結ばれても誰も(読んでいる人の)文句が出ない感じでした。しかし映画版は何だか胡散臭い。ダンカンというキャスティングも、着ている服装も胡散臭い。これだと彼女の幸せを願うことができないんじゃないかしら(映画を見ている人が)?もっと真人間に見える人がよかった。


そして、この物語は原作にはいない柴崎コウがいるのですが、非常に邪魔。ドラマや映画にする場合、見た目の華やかさと、視聴者目線でなぜなのかと質問する必要があるので、必要といえば必要なのですが。
原作のクライマックスで湯川が「君に話しておきたいことがある。ただし、友達に話すのであって、刑事に話すのではない。だから僕から聞いたことは、絶対に誰にもしゃべらないでもらいたい」と強く迫るシーンがあるのですが、そこの切迫感が出ない。湯川が真実に気づいても、それを警察に言うわけにはいかない。それは石神のプライドを守りたかったから。湯川自身の苦しみを伝えられるのは友達である草薙しかいない、しかし彼は刑事、という関係性が、柴咲コウでは弱い。
しょうがないけど、非常に残念。


あと、映画だと時間の制約もあるし、セリフばかりだと見難い映画になってしまうからシンプルにせざるを得ないのはわかりますが、もう少し肝の部分は描写してもよかったのでは。湯川の苦悩や犯行トリックのダイナミズム、石神がわざわざ自らをストーカーに貶めてまで花岡母娘を守ろうとした強い意志など。
特に犯行トリックについては、トリック自体はもちろんですが、それにより石神が自ら退路を立ったこと、真実が明かされても石神は無実ではないことなどがもっと強調されてもよかったのでは。
登山のシーンに金と時間をかけるのはもったいない。品川祐や真矢みきの登場シーンもいらない。私はテレビドラマは見ていないのですが、テレビ版を見ていた人たちはおなじみのキャラクターが出てきて嬉しく思ったのかな?いや、多分思ってない。だって必要ないもん、あの辺のシーン。
まあこの辺も「世界の亀山モデル」だからな。


でも、磁石を使った説明から大掛かりな実験装置を組んでいる場面までを1カメラで映す冒頭のつかみや、ラストの「石神は彼女によって生かされていたんですね」というセリフ等、映画版の方がよかった点もありました。


映画版では娘が自殺未遂をしたエピソードが省かれていますが、これがないと靖子が出頭する動機にはならないのではないでしょうか。もともとは石神一人に罪を負わせるのは忍びないと思っていた靖子も、湯川の説明を受けて「幸せになることが彼のためにもなることだ」と思ったはず。
しかし、娘が自殺未遂を図ることで、「やはり自分だけが幸せになるなんて許されない」と思うに至ったのだと思うのですが。やはりシンプルにしたかったのでしょうか。単に「未成年が自殺未遂はまずいでしょ」という見えざる手が働いたのか。


個人的に原作での最大の疑問点は、「いくら彼女に惚れていたからといっても、払う代償が大きすぎやしないか」ということ。
一目見て 一目惚れして 無償の愛?
思わず俳句を詠んでしまいましたが、いくら惚れている人を守ろうといっても、自らが殺人を犯すことまでしなくていいんじゃない?以前自分が自殺をしようとした際にたまたま救ってもらっていますが、だから彼女たちに何かあったら自分の命を差し出そう、と以前から決めていたのかな?映画版の方は「彼が愛を知らなければここまでしなかったかも」というセリフがありましたが、まだこの方が納得できる感じ。


毎回原作ものの映画を観る際に「原作が先か映画が先か」と悩んでしまうのですが、どちらにしたって後者の方は前者ありきでストーリーを確認しながら見る・もしくは読む、になってしまうので、どちらが先がいいというわけではなく、先に見た・読んだ方を良く感じてしまうものですね。
でも、強いていうなら「原作を先に読む」方をおすすめします。
映画は、映像ならではの迫力や見せ方もあるでしょうし、後から原作を読むと、本当に「ストーリーを追いかける」に感じてしまうので。別の作者・監督ですが、「告白」は映像の威力や表情の見せ方などで原作を超えたと思っています。


追記
これを書いたあとで、宇多丸のシネマハスラーを聞きました。そこで、ラストの石神の慟哭の場面の演出についてのダメ出しがあったのですが、そこに非常に納得。
「あの石神が泣く(哭くといってもよい)」「今まで冷静沈着な石神の魂がこぼれ落ちる」場面なので、彼が泣くこと自体よりも、そのことについて周りが驚く描写が必要だと。そうすることにより、この場面が引き立つと。
なるほど。
なので、あの場面には湯川がいるべきだし、泣いて登場した靖子も石神の慟哭を見て泣くのを忘れて驚くべきだと。
なるほど。
さすが宇多丸さん。「演出」といった映画の見方がわかってらっしゃる。
私には「その発想は無かったわー」。



Trailer Japonés Suspect X aka Yogisha X no kenshin

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